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書き捨て山

雑記、雑感その他

倦怠

 毎日3000文字の文章を書くというのは私には少々荷が重いようだ。言うまでもなく平日も土日も毎日毎日3000字の文章を書けるほどの話題が転がっているわけがない。基本的に日常というのは同じことの繰り返しであり、働いていればなおさらだろう。また、休日に風変わりなことをしようと思えば当然金がかかる。それができるような経済状況ではない。

 よって、毎日文章を3000字なんでも良いから書き続けるという行為は苦行でしかなくなる。多少支離滅裂な内容であったり誤字脱字があったりしても構わないと自分の中でハードルを下げたとしても、それでも私の能力では厳しい試みだった。書くという所作が自分の中で負担になっているのを感じる。

 結局のところ、私には文章を書く能力や適性というものが自分で思っているほどにはないということなのだろう。心の何処かでは、これだけはと思っていた。しかし実際にやってみると、文章を書くことがそう大して好きではないということに気付いた。それが分かっただけでも良かったと言えるのかもしれない。少なくとも大好きでやりたくて仕方がないというわけではない。

 職場に拘束されている最中に、文章のことを考える。どんなことをテーマにして記事を作成すればいいか。各段落の先頭のセンテンスだけでも書こうとした。そしてそれらについて考えあぐねることが、私は実は嫌なのだ。割に合わず将来性もない嫌いな仕事からようやく解放されても、自宅に帰れば食事の前か後に自らに課したブログの作文をしなければならない。そう思えば気が重くなる。

 誰であれ大儀で疲れることなどやりたくはないだろう。私もどちらかと言えば物臭な方であり、生来の気質のために何かを成し遂げた経験が殆ど無い。このブログを毎日更新し、一日3000字の文章を仕事の日も休みの日もコンスタントに書き続けるという苦行など、正直に言えば投げ出したいと思っている。

 だが、これまで同様に面倒だからと言って継続的なな努力を断念してしまえば、結局今までと同じ人生が死ぬまで続くこととなる。それは私にとって本意ではない。私の半生はとても肯定できるようなものではなかったし、現状ままのんべんだらりと暮らしていくことを私は潔しとはしていない。その一年だけが私の重い腰を上げさせ、今日の文の文章を書いている。

 

 

 さらに悪いことに、このブログ以外の文章も書かなければならなくなった。ならなくなった、という言い方は語弊を招く表現かもしれない。詳しい経緯は書かないが、別に誰かに強制されて、と言う話ではない。小品となる文章を書き上げれば、内容の次第によっては雑誌に掲載されるかもしれないという募集があり、それのために何かを書いてみようと思い立っているだけだ。別にどうしてもやらなければならない「仕事」ではない。

 しかし、誰のためでもなく何の得にもならない駄文を大量にこれまで書き続けてきたのは、文章を書くことで人生を少しでも好転させようと試みたのが理由であった。それならば、無名な雑誌の片隅にであれ自分の文章が載るかもしれないという話を無視して手をこまねいているわけにはいかないだろう。その募集においては880字程度の文章を書けばいいのだから、単純な文字の量で考えればそう難しい話ではない。

 仕事とこれとそれ以外の文章の作成を同時にこなさなければならない。しかし、それのハードルがどうに私には高く感じられる。働くだけなら可能だ。働きながら毎日欠かさず3000字の文章を作るのも可能だ。しかし、それら加えて何かをしなければならないとなると我ながら不安になる。単刀直入に言うなら、できる気がしない。

 何もかも投げ出してしまいたくなる。鬱屈した胸につかえるような思いを酒で押し流すような日々。私がかつて営んでいた生活に戻りたいとすら思う。たとえその先にあるのが破滅だとしても、その結末に身を委ねてしまいたい。現在の私には飲酒の習慣はないが、酒を飲まないのは文章を書くために判断力を保つ必要が有るためだ。逆に言えば書かなければ別に酒を断つ理由もなくなる。書くのをやめてしまえば……。

 仮に体は無事だとしても、書くのをやめれば私は死ぬまでこのままの暮らしぶりだろう。低賃金で長時間拘束され、やりたいこともいきたい場所にも行けず、労働と消費を命ある限り繰り返すだけの底辺でありつづけるだろう。現状を僅かでもマシなものにするには、何かを身に身に付けなければならない。そしてそれは私にとって書くことしかあり得ない。それでも……。

 

 

 私が人並みにできるのは文章を書くことだけだ。資格もなく技能もない。経歴も際立って秀でた要素など全く無い。絵を描くことも作曲をする能力もない。英語などの外国語を習得することもできない。私がこれまでの人生で他人と戦って勝ち目がありそうなことは作文だけだった。それは他の何かよりはマシと言う程度だとしても、それは私の唯一の取り柄であるように思われた。

 その書くと言う行為が億劫に思われる。今日の分となる文章を考えたり下書きしたりするだけでも何度も書き直した。そしてその度に自分の文才が大したことはないと言う事実を思い知らされた。自分の能力のなさを思い知ることは何よりも辛い。他人にバカにされたり、思うような成果が出ないよりも、身を以て自覚することこそ耐え難い。特異だと思いこんでいる事柄においてはなおさらだ。

 面倒くさいだけで済むならいいが、書く度に自分の思っているような文章にならないのも癪に障る。単純な労力だけならばそれほどではないが、結局自分の拙さを自覚する機会に直面するのが嫌だ。全く書けない人間に比べれば多少はマシと言う程度の文章力しかないと露呈するのが耐えられない。それでも自らを鼓舞して少ない余暇の時間を咲いて文章を書くことは単純に大儀この上ない。

 結局のところ楽しくない。文章であれ何であれそうだが、結局楽しいかどうかが全てだと言える。面白がれることなら苦には思わないだろうし、時間や労力を割くことになってもそれを気に病んだりはしないだろう。私は働くことが嫌いだが、何故嫌いかと深く自問することはなかった。それは面白くないから嫌なのだ。それは仕事以外の、このような行為においても言えることだろう。

 仕事でも遊びでも面白さを感じないから面倒に思うのだ。私という人間の能力の低さは物事に対する興味や関心の幅の狭さに起因している。文章を書くという他のことよりは得意なことであっても、面白くないから投げ出そうとする。何かをやりたくないと感じたなら、それについてどのように捉えれば面白いと思えるか自問してみるべきなのだろう。

 

 

 逃げることは容易い。今書いている記事どころかブログそのものを消してしまえばいい。そして今すぐスーパーに走り、ストロングゼロのロング缶を6本ほど買い、後は気絶するまで飲み続ければいい。それだけのことだ。そして酒が残ったまま翌朝会社に行く支度をして、肝臓が分解し損ねたアセトアルデヒドの悪臭を全身から撒き散らして将来性のない労働に従事すればいい。

 暇を持て余して酒浸りになることはできる。怪しげな人工甘味料とアルコールを混ぜ合わせて作られた安酒は簡単に手に入るし、それを呷り酩酊状態になるのには何の労力も必要ない。体や脳を本格的に壊すことになるだろうが、残りの人生をただ飲み明かして暮らすという選択肢も別に選べなくはない。やろうと思えば仕事すら放擲して飲み続けられる。それに虚しさを感じないなら、それは全く安易なことだ。

 だが、その先に待っているのは家畜のような人生だ。いや、人生などといった言葉で言い表すにはあまりにもお粗末な生だろう。無節操に美味くもない酒を飲み続け、泥酔し時間をただ無駄に浪費してたところで、何一つ得るものはない。酒代を稼ぐために卑しい仕事に死ぬまでしがみつかなければならない。粗末な安酒の為に生きる人間など畜生にも劣る。

 面倒から逃げれば、私はある意味楽にはなれるだろう。これまでの私の人生はずっとそのような感じだった。私にとっての現在は、常に過去への後悔と未来への絶望との間で板挟みにされた代物でしかなかった。その居た堪れない今から逃れ全てを忘却するために、あらゆるものへの倦怠感や面倒臭さから目を背け逃避する手段として私はずっと飲み続けていた。そししてそれは実際安楽であった。

 しかし、その先には何もない。仮初の安逸や現実逃避の果てにあるのは、先にも述べた通り破滅であることは目に見えている。辛くてもつまらなくても、私は結局これをやめるべきではないのだろう。高々ブログの文章を毎日3000字程度書いたところで何がどうなるわけではないが、それでも酒に溺れて何もしないよりはいくらかはマシであることは明らかだ。

絶望

 絶望という言葉は否定的な意味合いを込めて用いられる。実話でもフィクションでも、この単語がいい意味で使われていたためしがない。絶望とは行き止まりであり、恐るべきで避けなければならない情緒や状態であると考えるのが一般的な解釈だろう。しかし、望みが絶たれたと書いて絶望である。逆に言えば、単にそれだけのことでしかない。なぜわたしたちはそれを極端に忌避するのだろうか。
 世間においては、ポジティブは善であり、ネガティブは悪とされている。希望は良く、失意や絶望は勿論悪だ。社会の大半の人間は、それを何の疑いもなく受け入れ、当然のこととして信奉できるのだろうか。将来への望ましいヴィジョンを明確にし、常に目標や夢に向かって猪突猛進するのが人としての当たり前の生き方なのだろうか。
 自己啓発やスピ系などの世界では願望実現などのために肯定的な精神を殊更尊ぶ。とにかくポジティブシンキングが正しく、後ろ向きで悲観的な考えや感情は脳裏や胸中から完璧に排斥しなければならないと言わんばかりの風潮がまかり通っている。前向きであれ、と説く情報に触れる度に私はなんとも言えない違和感を覚え、浮世離れしたスピリチュアルな界隈にも浸りきれない自分にもどかしさを感じる。
 確かに根暗よりは根明の方が実社会において生産的だと言えるのかもしれない。自分の目的や目標にただ邁進し、過去に後悔せず未来にも臆することなく、ひたすら利潤や成果を追い求める人間は多くを成しまたは獲得するかもしれない。仮にそのような人間だけの社会が到来すれば、国家の発展はさぞ目覚ましいものになるのだろう。
 だが、そのような他人や世の中の流れに私はどうしても同調できないでいる。屈託のない朗らかな人種、憂いも煩いも一切抱くことのない人間、命ある限り愚考に耽ることもなく労働と消費を延々繰り返すだけの存在……。要するにポジティブ礼賛の風潮を良しとする個人や集団、共同体において好ましいのはそのような類いの輩であり、私はどうしてもそれにはなれず、またそのような連中に与することもどうしても能わない。

 


 私は夢や希望を持って生きろと多くの人々に言われて育ってきた。両親や学校の教師はもちろん、あらゆるメディアを介して大人たちは私にその手の思想を吹き込んで居たように思う。子供の頃は望みを持つことがいいことだと臆面もなく漠然と、ただ唯々諾々と信じ、拙いながらも自分なりの未来予想図のようなものを夢想した時期もあった。
 将来なりたいもの、などといった作文を小学校などで書かされたのを今でもよく覚えている。自分がおとなになったらどのような職業につき、どのような人間になり社会に貢献したいかといったことを誰もが学校の授業などで表明させられるだろう。そのような局面において、自分は何物にもなりたくないだの無思慮に願望を持つことを疑問に思うだのと主張することができる人間は極めて稀だろう。
 そして、大学時代においては、就職活動の際には未来のヴィジョンについて語りアピールせよと盛んに言われたものだ。自己アピールや志望動機はとにかく明るく、肯定的に、自分に将来性があることをあらん限りの言葉や態度で示し、明確な目標を思い描きそれに全身全霊で取り組める積極的な精神や人格を持っていることを証明しなければならなかった。
 社会に出ても、人生設計や将来への展望などを思い描くことが良しとされている。組織に利することで出世し、役職を得、結婚し家庭を築く計画があってはじめて社会的に望ましい人物であると見なされる。一生独り身であっていいはずがなく、やりたい仕事が特にないなどと表明するなど以ての外だろう。
 社会のあらゆる人間たちから私は、希望に満ち溢れた自分の将来像を常に携えよと、長らく強要されてきた感がある。将来に展望がないなどあってはならないことであり、いつどんな場合においても生産的で社会的に称揚されるべき夢や目標を掲げなければならない。振り返れば私は、そういった圧力を常に受け続けてきた。そしてそのような考えに馴染むことも受け入れることもできない私は、とどのつまりは単なる社会不適合者でしかなかった。

 

 結局のところ、私は心躍る未来への展望よりも、失意や絶望といった念の方を抱かざるを得なかった。自分にとっての望ましい人生や将来なりたい人間像などといったものを子供の頃から思い描きはするものの、後天的・先天的の別なく人生におけるあらゆる要素がそれを阻み、私に挫折や蹉跌の経験を味わわせた。私は生涯におけるあらゆる局面で無力感や限界・制限といったものを思い知らされ、自分にも社会にも絶望させられた。
 実際、未熟だった子供の頃に思い描いた数々の夢は一つたりとも実現しなかった。子供の頃の夢は、ここで書くことすら憚られる思いだがゲームクリエーターだのテレビマンだのといったものだった。それは私が生まれ育った環境からは目指すことはほぼ不可能な職業であったし、私自身の能力や才知という点で考えてもやはり到底成就するはずのない夢であった。また、それらとは全く別種の細かく、細やかな願望も全く叶わなかったと言ってもいい。
 加えて、多少なりとも希望的観測でもって信用・信頼した人間たちには悉く裏切られた。家族、親戚、友人知人、学校や仕事上で関わった多少親しい間柄……。一々一人一人あげつらうことになんの意味もないため列挙しないが、兎にも角にも誰もが腹に一物あり、悪意や私利私欲のために私を痛めつけ、瞞着し、予期せぬ手段で欺いたものだった。要するに、私は他人というものに希望も期待も一切抱くことができない人間になった。
 結局、積極的で生産性のある人間やそういった人種が是とする考え方や捉え方といったものなど私には全く同意しかねるものであった。夢? 希望? 期待? ヴィジョン? どれもこれも私の人生には全く縁もゆかりもないものだ。大空の気流の如何が肴には無関係であるように、私という個体には希望など糞の役にも立たないどころか人生においてかすりもしない代物でしかない。

 ちなみに、よく持て囃される「引き寄せの法則」などもまるで効果がなかった。どれだけ起こって欲しい好ましい結果や状況を妄想したとしても、それが現実のものとなったことは一度もなかった。会いたい人の顔を思い浮かべても彼と会うことはなく、二度と顔を合わせたくないと乞い願った極悪人に限ってしつこく連絡を入れて来ることが常であった。

 


 所詮、明るい展望への確信など、少なくとも私にとっては望むべくもないものでしかなかった。どのような心がけをし、どのような振る舞いをしたとしても私はポジティブにはなれなかった。また、精神世界系のあらゆるメソッドを試したところで、私の実人生が希望や願望に沿ったものになることはなかった。その気配すら感じることができなかった。
 そもそも、希望や夢など本当に人間にとって必須なのだろうか? どれほど爽やかで清らかな内容であっても、希望など所詮美辞麗句で糊塗された欲でしかないように思えてならない。いわゆる絶望とは、欲がないと言うただそれだけの状態でしかない。私はそれについて、良い悪いなどと断ずる事自体が見当違いであるように感じられる。
 ただ、欲自体を抱くことは全く何も悪くはないが、それが成就しないことを気に病み問題視することは良くないというより醜悪だ。自分本位で己の都合によって何らかの欲が生じ、それに伴って未来や結果、成果といったものまつわる願望や空想を頭のなかで惹起させることは個人の勝手だ。しかし、それが外界や他人との関係性に反映されないといって嘆いたり憤るなど言語道断だ。一体何様のつもりなのだろうか。これは言うなれば「そうであればいい」と「そうでねばらならぬ」の違いであり、これらには大きな隔たりがある。
 手前勝手な我欲にまみれた「希望」や「念願」が裏切られたところで、人は本来いちいち気に病む必要などないはずだ。ワガママな欲望を誰かれ構わず要求し、無理強いし、それが思い通りにならなければ泣きわめき、怒り狂い、へそを曲げ、自己憐憫に浸る。一体何様のつもりなのだろうか。傲慢にも程がある振る舞いだといえる。
 私は醜悪な希望よりも、それがない絶望の方が潔く好ましいとすら思う。願いや望みなど、どれだけ綺麗で美しい言葉やイメージで飾り立てたところで、それは欲に根ざした単なる妄想の域を出ることはない。期待、夢、大志……どのような言い方をしたところで、それに縋り執着し、実現や達成に躍起になり、何かによって不意にされる度に四の五の言うのは見苦しい。

受難

 生きることはすなわち苦しみである。少なくとも私の場合はそうであるし、世に言われているような様々な人々にまつわる説話などを見聞きすれば種種雑多な苦労話のオンパレードで、辛苦と無縁な人生など全くもって望むべくもないのだと思うと暗澹たる気持ちになる。肉体的にも精神的にも舞った苦しい思いをせずに済むケースは極めて稀であるというのは言うまでもない。

 一見何の苦労もないように見える人間が居たとしても、それは表向きにはそう見えるだけである場合がほとんどだろう。また、苦しみの種類が人それぞれ異なるだけで、独身者には独身者としての、所帯持ちには所帯持ち特有の、それぞれの苦しみが必ずあるだろう。家族が居る者が被る苦しみと天涯孤独の人間が被るそれは比較できるものではなく、どちらが楽だとは一概には言えない。

 苦しみから解かれることは万人にとっての望みであろう。仏教などが代表的だが、宗教はまず苦しみへの深い洞察に端を発する。人は何故苦しまなければならないのか。そしてどのようにして苦しみから解放されるのかということを論ずるのが宗教の根本義である。そしてそれは現代においては科学や学問でも代用が利く。どのような手段や試みを用いるにしても、人間にとって苦しみとどう向き合うかということは一人の例外なく重要な関心事であると言える。

  世界中の賢明で偉大な人間たちが、数千年にも渡り苦しみをどう処理すべきか思弁してきた。またそれについて多くの人々が侃々諤々の議論を重ねられてきた。しかし、その結論は今日に至っても出ていない。科学や宗教が発達し、思想や学問が洗練されて来たにも関わらず、人生における苦が取り除かれる気配すらないのはどうしたものだろうか。

 苦しみたくない、あるいは楽に生きたいとこの世の誰もが願っているにも関わらず、それが成就することがないのは一体なぜなのだろうか。科学技術の発達が足りないからだろうか。それとも社会制度上の不備がそれを阻んでいるのだろうか。それについての答えなど私ごときが出せるはずもないが、分からない、仕方がないでは気が済まないという思いもある。苦についてこの機会に一考し、一応の結論めいたものを出さなければ収まりがつかないため愚考を弄することで自身への慰みとしたい。

 

 

 私は子供の頃からずっと、苦しみたくないと思っていた。欲しいものが手に入らないことが我慢ならなかったし、やりたくもないことを周囲の大人に強要されることも耐え難く感じられた。それらの全てがまだ幼かった私を苦しめ続けた。両親や学校の教師などが私に与えた仕打ち、それは教育や躾という美名を冠して行われたが、私にとっては単に辛くて苦しいだけだった。

 小学生の頃の私には苦から逃れる術など皆目見当もつかなかった。だから私はただひたすら現実逃避するしかなかった。アニメや漫画、テレビゲームなどに耽溺し、自分が被っている嫌な出来事や自分の身の回りの状況を必至に忘れようと努めた。それは今にして思えば愚の骨頂でしかなったが、無知で未熟だった私にとってはそれ以外に選択肢など思いつくことは不可能だった。

 少年期から青年期にかけて、私は被害者意識の塊であった。とにかく自分が理不尽で悲惨な目にあっていると信じて疑うこともなかった。それは確かに客観的な事実ではあったが、自分が感じている苦しみがなぜ生じるのかということへの考察が足りていなかったと今になって振り返って思う。

 世界は苦難と悪意に満ち満ちていて、それらが私を責め苛んでいると私は捉えた。辛さや苦しさの根本的な原因は自分の外側にあり、それが無辜な存在でいる自分に降り掛かってくるのだと確信していた。結論から言えばそれは全くの間違いで、自分自身だけでなくこの世界自体へのとてつもない謬見であったのだが、それについては後述する。

 高校生くらいまで私は自分が田舎で暮らしをしているから辛い思いをするのだと思っていた。都会に出られれば、自分を取り巻いている問題はすべて解決すると考えた。要するに環境さえ変われば人生が変わると信じていたが、結局のところそれは現状間違っていたと言わざるをえない。私は上京して一年と経たずして、田舎暮らしが私の人生における最大の問題ではないと思い知ることになった。東京でも私は苦しんだからだ。

 

 私は貧しく、自分に自身が持てずに卑屈で惨めな人生に甘んじた。そして無駄に犬馬の齢を重ね、唯一の取り柄だった若さすら無意味に浪費し現在に至る。人生に常に苦しみが伴い、不本意な生き方しかできないという問題は現在においても全く解決の糸口がない状態である。

 一日も休まず、苦しみから逃れるにはどうすればいいかと常に考えてきたと言っても過言ではない。そのような悩み深い人間が精神世界やスピリチュアルに傾倒するのはお定まりの傾向だった。私はそれに関する情報をネットで徹底的に漁り、瞑想やら自己啓発やらにうつつを抜かし、青春時代を完全に棒に振ってしまった。

 ワンネス思想だの「嬉し嬉しの世」だのといった言説や、奇抜な呼吸法やイメージング法なども全く功を奏する事はなかった。心のトラウマだのインナーチャイルドだのの類いを癒やすことも試みたが、それらについて意識を向け通り一遍の努力を費やしても私の人生は一切好転することもなく、現在においても苦しみの只中にある。

 人生における苦しみは滅却されることも和らぐこともなかった。過去現在未来の別なく、私を苦しめるあらゆる要因を取り除こうとすればするほど、遠ざかろうとすればするほど、手放そうとすればするほど、却って逆効果になるばかりだった。私には苦もなく生を謳歌するなど自分には到底不可能な芸当であると結論付けるしかなかった。

 私は単に楽しく、面白い人生を望んだが、それは夢想するだけの代物でしかなかった。過去には後悔、未来には絶望しか見出だせず、それらに板挟みにされた私の現在はただただ息苦しく、息が詰まりそうな思いがした。それを感じることや考えることから逃れたい一心で、私は結局酒に溺れ本格的に身を持ち崩す羽目になった。

 

 

 しかし、そもそも苦しみとは何なのだろうか。心身の別なく苦痛を被ることだろうか。悲しみや憤りなどといった否定的な情動が惹起されることだろうか。傷を負い、病を得、年老い、体の自由が効かなくなりやがて死に至ることだろうか。それらはどれも苦の遠因ではあるだろうが、苦しみの根本と呼ぶには何かが足りない感がある。

 苦の本質とは、自分の思い通りにならないことだ。単に肉体や精神が損なわれる状態が苦なのではない。また、理不尽や不条理、不運や災厄などといったあらゆる外的な要因が直接的に苦だというのも誤りである。それらによって自分の意に沿わない何かが起こるがゆえに、私たちはそれを苦に感じるのだ。

 首尾よく物事が進んで然るべきだという前提こそが苦の発端であると考えることもできる。思い描いた未来予想図に従って万物が運行し、万事うまく取り計らわれて当然だと傲慢にも思っているから、その思いが裏切られたときに私たちは騙し討を食らったような気になる。夢想は悪夢に転じ、私たちは受難劇の主人公を演じ始める。

 私たちの願望、予期、想定といったものが反故にされたという思いが苦の直接的な原因であった。無下にされ、袖にされたというある種の被害者意識が私たちに苦しみの念を抱かせる。苦とは、他者や世界が自身に背信でもって報いたという身勝手な主張や思い込みそのものであると言っても過言ではないのかも知れない。

 あらゆる期待、予測、願望が私たちを苦しめるが、逆に言えばただそれだけだ。どれほどの悲惨、艱難辛苦、思いもよらない大災害に見舞われたとしても、都合のいい未来や将来への夢想を当然のことと思い込まなければ、私たちの生に苦はないはずだ。

 手前勝手な願望への盲信を捨てなければならない。未来について何も信じていなければ、私たちに苦しみはない。ある意味絶望こそが苦しみの終わりであると見なすことも可能ではないだろうか。

汚穢な帰結

 スーパーにおいて肉を買うべきかどうか逡巡した。その間数十分にも及んだ。どうしても肉が食いたいという思いと、財布から金が目減りすることへの抵抗感がせめぎ合い、私は売り場を何往復もしながら悩みに悩んだ。また、仮に買うとしても豚肉にするか鶏肉にするかでも迷い、結局のところ両方買うことに決めるに至った。

 買い物を終え自転車を漕ぎながら帰路につく途中、ある疑問がふと頭をよぎった。一体肉を晩飯にして食ったところで、一体何がどうなるというのか? また、仮に肉を買うことを諦め別の何かを食ったところで、一体何がどうなるというのか? そして自問への自答は滞りなく出た。別にどちらにしろ同じことだと。

 肉を食いたいと思い肉を買って食べる。それを断念して別のものを食べる。どちらにしても私の身に起きることは同じだ。何を食べたとしても結局のところ体内で消化され最終的には排泄される。摂食・消化・排泄という一連のパターンは結局何を食べるかに拠らず全く変わらない。にも関わらず何故私は何を食べるかで迷うのだろうか。

 とどのつまり、何を口に入れても糞になるという結末は全く一緒だ。どれほど上等な料理を食べたとしても、またどれほど粗末な食事をしたとしても、最終的な帰結には少しの違いもありはしない。出て来る便の質や量に若干の違いは在るかもしれないが、それは微々たる違いでしかない。所詮全ての食事は不潔極まりない行為に帰するというのは疑いようのない事実である。

 それどころか、食事を中心としたあらゆる人間の営みはよくよく考えてみれば脱糞という一時に全て集約される。人は飯を食うために働かなければならないと言う。しかし食うことで生み出されるのは所詮は糞だから、人は糞をするために働いていると言い換えることもできる。他方、居住スペースや生活環境の維持なども生きる上で必要とされる物事の全ては安心して糞をするためのものだと見なすことは決して暴論ではない。

 生きることと糞をすることは、完全に等号で結ばれる。どれだけ迂遠な道のりを経たとしても、生存上で行われる営みの一切は最終的には脱糞に帰結される。生活費とは脱糞のために費やされる金銭を指すと言っても過言ではない。排泄される糞の量を増やすために私たちは飯を食い、安心して脱糞する場所を確保するために定住する家を必要とする。生活の水準や様式の詳細などは枝葉末節の瑣末な違いでしかなく、万人の営みや振る舞いは脱糞という一事において完全に同一なのだ。

 

 

 人間の暮らしぶりは人それぞれ多種多様な違いがあるが、それらが最終的に辿るところは糞をすることだけだ。どれだけ富貴で高潔な生活をしていようとも、排泄行為を日常から根絶することはできない。潔癖な人間でも大便や小便を一日の内に一度も行わないなどありえない。万人に共通することの一事はあまりにも無視され顧みられることもないが、それが私たちの目を曇らせ惑わしているように思えてならない。

 人生とは徹頭徹尾脱糞のための行為でしかない。糞をすることは最も人間が生きる上で欠かすことができないのは明らかだ。排泄こそ人間を人間たらしめる、人間性そのものであるとも言える。俗世から隔離された僧院ですら、便所を設けないわけにはいかない。天皇をはじめとした皇族や御わす御所でも、大会社や省庁で働いている社会の上層に位置する人間の勤め先であっても、便所は必ず設えてある。

 貴賎、正邪、善悪の別なく、生者は糞と無縁ではない。どれほど偉大で尊敬すべき人間であったとしても、生きている限り必ず大小の別なく排泄行為を日常的に行っている。この公の場においては当然憚られるような行為に手を染めない人間などこの世の何処にも存在しない。そのことについて考えを及ばせる機会が、私達にはあまりにもか欠けているように思えてならない。

 私たちは命ある限り脱糞し続ける宿命であり、その点において万人はみな平等だと言える。尊い者、賤しい者、優れた者、劣った者……。この世には雑多な人種が存在するが、皆一人の例外なく脱糞するだけの存在にすぎない。そう思えば、誰もがクソったれであり、畏怖や崇敬の念を抱くに値しないと断じられる。糞漏らしなど脅威でもなければ珍重すべきものでもない。

 

 逆に糞をしなくて良いのは死者だけだ。事切れれば脱糞は止む。心臓が脈打つことがなければ肛門も伸縮せず、腸から糞が生み出されもしない。私たちは死ぬことによってのみ糞と縁を断つことができるのであって、それに至らないなら脱糞という業からどんなことをしても逃れることはできない。

 勤労にしろ怠惰にしろ、生の帰結は糞を出すことに尽きる。これは決して極論ではなく、ありのままの純然たる動かしようのない事実であり現実でしかない。結果や成果に着目するならば、人間の営みは先に述べた通り脱糞すること以外にない。それに行き着くまでの過程にどれだけ高尚な事件を経ようともそれは物事の本質にはかすりもしない瑣末事でしかない。

 人はいかに生きるべきか、などと世間ではもっともらしく論じられる。しかし、どんな仕事に就きどれだけの金を稼ぎ、どれほど贅沢で満ち足りた生活をしたところで、結局のところその最後は何にたどり着くかはもう何度も述べた通りだ。排泄こそが人間にとっての最終的な目的であるとさえ言える。私たちは糞を放り出すために食事を摂り、安堵して気分良く排泄に及ぶために生活環境を整えている。それらを得るための手段として金銭や労働があると言って良い。

 剥き出しの生の本質とは即ち糞であり、人間は糞を生み出すだけの存在でしかない。浮浪者が野糞をすることと、豪奢な居を構える者が自宅のトイレに長っ尻して脱糞することの間に、一体どれほどの相違があるというのだろうか。両者が及んでいる行為は全く同じであり、差異など少しも存在しない。一方を否定し、一方を肯定するのは単なる謬見以外の何物でもない。

 

 

 人間に対する糞袋という形容は極めて的を射ていると言える。畢竟、人間が生み出すことができるのは排泄物しかない。学問や文化・芸術でさえも、排泄という究極的な行為のための手段にすぎないと私は考える。学者が研究によって金銭を得て生計を立てて最終的に行うことは? 絵描きや作曲家が創作を行い、それが金になったとして、その果に彼らが最終的に行うことは? これ以上は言うまでもないことだろう。

 万人は糞を生み出し、それを蓄え放り出すだけの存在だ。その糞袋としての私たちの個体としての特徴など何の意味があるだろうか。見た目や能力にどれだけの差異があったとしても、私たちが最終的に行うこと、万事の行き着く果てにある行為には全く違いがない。生者など皆等しく汚れそのものであると見なすのが妥当であり、誰であれ生み出すものやできることなど高が知れている。

 この身も蓋もない真理を見据えたまま生涯を完遂できる人間は稀だろう。人は糞をするために仕事をし、居を構え、呼吸をし、健康を維持する。たったひとつの人類共通の汚穢な帰結のために私たちの生涯は捧げられ費やされる。私たちは脱糞する為に生まれてきたようなものだ。そして死とは個体として排泄行為の終焉を指す。そのような価値観や世界観に確信を抱いて生きる人間など果たして存在するのだろうか。普通の感覚なら、それは受け入れがたいものであることは言うまでもない。

 だから人は臭いものには蓋をする。自分が糞を溜め込んで放り出すだけの存在で、自分がする仕事をはじめとしたあらゆる行為は排泄に結びつくものでしかないなど認めがない。しかしそれを完全に否定する術もないから、取り敢えずそのようなあからさまで露骨な事実は無視し、考えないようにする。さも自分が携わっていることが高潔で、自身および自分の身の回りの環境が清潔であると思い込み、汚穢な実相から目を背けるながら人生をやり過ごそうとするのが世の習いだろう。

 清浄という幻想の中に逃げ込もうとしてもそれは、所詮現実逃避でしかない。排泄物および排泄行為と完全に縁が切れるのは死人だけだ。私たちは生ある限りそれらと密接であり続ける。糞・糞・糞……人の営みや人間の肝などそれ以外の何かではありえない。ならば、何を食べるか、何処に住み何を生業にし、どのように時間を過ごすかなど些細な違いでしかない。尊くも尊くもなく、卓越性や特別さも虚妄にすぎない。そう考えれば、真面目腐り尤もらしく生きるなど愚の骨頂だ。

 兎にも角にも人生即排泄、人間即大便という結論に尽きる。生きるということは世間で言われているほど高尚でも荘重なものではない。命ある限り私たちは糞を放り出すのみ。それ以上でもそれ以下でもない。ならばもっと気楽にいきたいものだ。

内側の敵

 私は自身の心の内奥、それも中枢に陣取る他人の存在を感じる。何かで失敗をしたときや目標に届かなかったとき、私の中に居る何者かが私をあざ笑い、蔑み、徹底的に否定する声が聞こえるようなきがする。それ幼少の頃から今日に至るまで、片時も止むことのない残酷で容赦のない声だった。
 私は自分に対して不寛容だという自覚がある。その例の声が自分の精神における一つの側面であることは明白であり、要するに私は不都合があったり問題に直面すると内罰的な兆候を見せるというだけのことである。そしてそれが実際に被る不利益よりも遥かに私を悩ませるのであった。
 己の蹉跌や不備を私自身が許すことができない。何故あのときああしなかったのだろうか。何故もっと上手くやれなかったのだろうか。そのような自問自答を延々繰り返し、しくじりを免れたパターンに思いを馳せながら、現実との乖離に嘆きながらその原因たる自身の不行き届きを延々と内心で追求し続けるきらいがある。
 他者からの批判や嘲笑よりも自己嫌悪が私を最も苦しめる。自分の緩怠が甚だ許しがたく思われ、不甲斐ない自分にただひたすら腹を立てる。自分以外の誰にも責任を転嫁することができないため、必然的に己自身を吊し上げて徹底的に批判することになる。そして自分に浴びせられる情け容赦のない言葉が何よりも私にとって精神に打撃を与えるのだった。
 結局のところ、気にしているのは「他人の目」ではなく、自分自身からの攻撃だ。他人から失敗を指摘されたり責められたりすることが仮にあったとしても、私ははっきり言って歯牙にもかけない。仮に沈痛な面持ちを見せたとしても、喉元過ぎればそんなことは呆気なく忘れてしまうようなタチだ。しかし、保管でもない自分自身の容赦ない悪罵や人格や精神への攻撃は心の琴線に直撃するのだった。
 私は己を恐れる気持ちを外界に投影し、万物に怯えてきた。本当に戦慄すべきなのは自分が自分に向ける嘲罵や侮蔑だというのは明らかだ。しかし私は、自分の外側に何らかの外敵が存在しており、それによって自分が苦しめられ責められているという愚昧な考え違いをすることがままある。冷静になり自身を内省すれば冒頭で述べたように自身の内側に巣食う無慈悲な批判者を意識できるが、突発的に何らかのアクシデントに見舞われるとそれについてはどうしても失念してしまう。これは私が具有する気質の中で最も改めなければならないものだ。それについてこれから細かく書いていく。

 


 両親は私に大変厳格で厳格であった。彼らは執拗なまでに私を心身の別なく律しようとした。彼らは私の一挙手一投足、言葉の端々や表情一つにも事細かく注文をつけた。私の言動や行為の全てを徹底的に監視し、何か少しでも至らない点が一つでもあれば、それをあげつらい徹底的に批判し、私の精神を完膚なきまでに打ちのめした。
 幼少期から私には親に責めら続け、なじられた思いでしかない。言動一つとっても常に両親の意に沿うものにするよう心がけ、薄氷を踏むように最新の注意を払った。しかしそれでも両親の機嫌を損ねるのが常であった。つまり私は、父や母にとって何かにつけて至らない、気に食わない、虫の好かない子供であった。事ある毎に彼らは私の人格や心根、能力や知能について非難し、咎め続けた。ちなみに、現在においてすら彼らはその姿勢を変えてはいないということも付け加えておく。
 特に、お前は自転車に乗れるようになるのが他の子供より遅かったと、母は何度も何度も引き合いに出してよく私を非難したものだ。この「自転車の件」は母が酒を飲み酔いが回ると必ず触れる話で、私はそれにほとほとウンザリさせられた。要するにこれは、近所の他の子供よりも補助輪無しで自転車に乗れるようになるまで、自分の息子だけ時間が掛かったという母の不満話だ。この一事が母にとっては非常に気に食わず、母は自分の子供が健常かどうか私に疑いの目を向けたのだという。そのことを酩酊に耽りながら母はこれまでに何度も何度も、何度も私にまくし立てて言い放った。他人よりも自転車に乗れるようになる時期が遅かったという私の「過失」は、幼少期から青年期に渡るまでの間、大罪のように言い立てられ、母の口から私の耳に延々と滔々と流し込まれれた。母は私を知的障害者の出来損ないだと思ったそうだ。
 父や母は自分たちの価値観や世界観という「理想の鋳型」に私を嵌め込もうと躍起になった。何歳で歩き喋るようになり、何歳で自転車に乗り、友人を何人作り、将来の労働に役立つ技能を習得し、家庭の調和を乱すことなく成長し、何歳で結婚し、子供を何人もうけ、一家の命脈を保つことができる人間になることを彼らは私に要求した。しかし、その期待に答える能力や資質を私は一切有していなかったのは私にとっても両親にとっても全く不幸なことであった。

 

 振り返れば、私にとってあらゆる人間関係は両親との間柄の焼き増しにすぎなかった。私は父や母を恐れた。そして彼らは私にとって生まれて初めて接触する自分以外の人間であった。そして彼らへの恐怖が遍く全ての人々への先入観として私の心に根深く植え付けられた。対人関係に対して例外なく私が抱く恐れや不安という感情は、元を正せば両親に対する怯え以外の何物でもなかった。
 両親の罵倒や嘲弄、難詰や呵責や指弾は全て私の血肉となった。不首尾や不都合、不利益や理不尽に見舞われる度、私を責め立て追求する両親の声が私の脳裏で常に残響した。お前は頭も要領も悪く、醜悪で怠惰で愚劣・鈍重。誰からも好かれない人間未満の犬畜生なのだという罵声が頭のなかでなっているように感じられ、それらによってわた子は萎縮して臆病になってしまっていた。
 どんな局面のどんな瞬間においても私の中には常に父や母が居座っている。彼らは状況や背景、因果関係の如何を問わず常に私を攻撃し否定し、批判を浴びせ続ける。どんな時も私は幻聴のように付き纏う両親の声に竦み、彼らの批判をかわせずに頭を抱えうずくまる思いでそれが鳴り止むまでただ為す術もなく見を縮めるだけであった。
 内在化した父親や母親が私を常に苛み、攻撃し続ける。どんな些細な失態や恥もこの世を揺るがす一大事のように心の中の両親は一つの残らず取り上げ、私の肉体や精神についての一切合財を全否定する。それが恐ろしくて、耐えられず、行きづらいことこの上ない。

 


 私は他人は残忍で狭量で、恐ろしい存在だと考えてきた。人の世に両親などなく、誰も彼も虎視眈々と他人の失敗や欠点を探し回り、不寛容さを発揮できる端緒が一つでも見つかれば嬉々としてそれを取り立てて嘲弄し軽侮の念をありとあらゆる手を用いて表明し心身ともに相手を痛めつける。それこそが人間一般の本能であり、万人にとっての無上の喜びに違いないのだと、私は信じて疑わなかった。
 しかし、私は他人など一切見てはいなかった。先に述べた言説は、もしかしたら人間の本性についての一つの側面を言い当てている部分はあるのかもしれない。だが、私が認識して恐れ、問題視しているのは他人という鏡に映し出されが自身の内に秘めた鬼胎でしかない。結果的にそれが正鵠を射ていたとしても、それは他者という存在を見てのことではなく、飽くまで自身の内面を観照した結果にすぎないのである。

 私を束縛し、いたぶり苦しめ続けたのは自身の内なる存在だった。それは単刀直入に言えば内在した母や父の声であり、彼らが私に施した教育と躾の集大成であった。私に刷り込まれた自己嫌悪や自己否定の性向の起源は両親が私に対して抱いた失意の念にほかならない。何故お前は上手くやれないのか。何故お前は人並みの肉体や精神を持つことができないのか。何故お前は私の息子なのか。そういった失望の眼差しとそれを表明する態度や言葉が私の精神に深く突き刺さり、それによりできた心の傷が今なお膿を生じさせ私を害しているといったところだろうか。
 内在化した両親、内側に巣食う者を克服しなければならない。不意に些細なやり損じなどを犯したとき、心の準備ができていないせいで癒やし得ないトラウマの引き金を引いてしまうことがある。そうなれば他人がいくら気に留めず責めもしないとしても、私の内心においては大変な糾弾が繰り広げられ、私は内在化した父親や母親の手によって血祭りにあげられる。しかし、身も蓋もないがそれは単なる妄想にすぎない。それによって無駄で無意味な憂苦や葛藤が惹起されているなら、それは乗り越えなけなければならない。
 私が残りの人生において克服しなければならないのは、自分自身への不寛容さであった。人間は他人の目が気になり、他者からの批判を恐れているようで、実のところ自分自身の内なる声に怯えているに過ぎない。それを完全に滅却できるかどうかは置いておくとしても、それによって苦しみ、辛い思いをしているということは常に念頭に置くべきだ。

生きてる証拠

 子供のころ、不満や不機嫌を顔に出す度に両親に責められたものだ。お前は何が気に入らないのか、何故そんな顔をするのかなどと言って、父も母も私が表明した態度を常に糾弾した。私が彼らの家庭で許されたのは、楽しそうな素振りと嬉しげな表情だけで、さもなければ恭順的な振る舞いに徹するしか選択肢が与えられていなかった。
 私の人生において満たされた体験など数えるほどしかなかった。文化文明の光など届かない津軽の農村で、先祖代々子々孫々ひもじい暮らしを営々していくことを運命づけられた星のもとで私はこの世に生まれ落ちた。人生において不安や不満がなかった瞬間などごくわずかしかなく、物心がついてから向こう、私は大抵は限界や制限を感じながら満たされることなくただひたすら鬱々と生きてきた。
 私は常に不満であり、不服であった。家は貧しく、親は厳しく、将来は暗かった。それはこどもの頭で考えても明々白々とした厳然たる事実であり、そのことを思えば子供の頃の私は嫌で嫌でたまらなかった。自身を取り巻く環境のすべて、身の回りで接する人間の全員、これから自分の身に降りかかるであろうあらゆる苦労や困難などを考えるだけで暗澹たる気持ちになるしかなかった。
 しかし、それを表明する機会も文句を言う術も全くなかった。自分の宿命や目下の生活に対して拒否することも疑問を抱くことも一切許されず、辛いだの苦しいだのと言うことはおろか顔に出すことも私は両親をはじめとした家族や周囲の人間たちから固く禁じられていた。そしてその禁を破るようなことがあれば私は徹底的に攻撃され、人格や精神にまつわる一切を否定されるのであった。
 私にできるのはただ無表情のまま辛苦が過ぎ去るのを耐えることだけだった。毎日を明るく朗らかに、屈託なく暮らすことなど私には途方もなく難しく思えた。しかし、不満や苦悩を表に出せば両親をはじめとした周り人間から糾弾される。快活に振る舞えず、不服や難色の念を表明することもできなかった私は、ただポーカーフェイスでいるしかなかった。さも何も思わず、問題を一つも抱えずに全て満ち足りているかのような涼しい顔をする以外にはなかった。
 さらに言えば私は、自身の人生に満足するよう周りの人間たちに強要されてきたようにも思う。鄙びた寒村で貧困に喘ぎながら割に合わない労働に従事し、不本意な生活を延々と続け徒に歳を重ね、年老いて死ぬしかない。他の道などあり得ず、それを夢想することすらも正気の沙汰ではないと考えるしかなかった。子供の頃から私の生は生き辛く耐え難くまた、逃げ場も救いも一切なかった。


 私は下層階級に生まれ、下流の人間として生きるように教育された。父親が通った小学校に通い、習い事はそろばん塾。今にして思えば、学問や文化芸術と言った類いのものは私の少年期においては一切なかった。私は人間である前に、社会通念に適う労働者として生きる為に調教されてきた。そろばんなどという習い事に少年時代の貴重な時間や労力を費やすことを強制されたということはそれを如実に物語っている。
 思い起こせば、生まれ落ちたその日から私は分を弁えるように育てられた。津軽における底辺労働者として生涯を送ることは、私にとって天命であり義務であった。それに則って生きる以外にどういう活路もなく、生まれた日からその前提に基づいて躾けられてきた。
 高校進学のときには普通科に通うことを許されず、職業科しか選択肢がなかった。学力云々以前の問題として、両親は私の進路の選択肢を著しく制限した。普通科は大学に行く人間のためにあるのだと両親は私に断言し、私には普通科での教育は不要だと言い放った。私ははじめ、工業高校の土木科に強引に入れられそうになったが、それだけはと泣きついて別の学科に進学した。しかし高校進学においてどの学科に進もうが普通科でないというだけで私には十二分に屈辱的であり、また絶望的なことでもあった。
 一生涯、田舎で貧しい暮らしに甘んじることが私に課せられた宿命であった。大半の津軽人にとっての職業選択の自由とは、生まれ育った場所から通勤できる範囲で製造業か販売業か、さもなくば土木作業かのどれかの職に就くか自分で選ぶということにすぎなかった。そして私自身もその例に漏れず、職業科を卒業し次第津軽の何処かで働くしかなかった。高校時代の私にとって、それは避けがたい帰結であった。

 

 繰り返しになるが、両親は私が自身の生に疑問を抱くことを一切許さなかった。私の人生における選択肢の少なさや辺鄙な土地で貧乏な暮らしに甘んじることについて、当然のことだと思わなければならず、そこにはなんの不足もないと考えなければならなかった。その意味で私は両親の意に全く沿わない人間であり、そのことは彼らにとって大変好ましくない問題であったようだ。
 両親にとって、私が日常に不満を抱くことは単なる甘えとしか見なされなかった。要するにワガママだということらしい。欲しいものが手に入らないことを満たされないと感じることすら彼らの感覚においては単なる身勝手で聞き分けのないことでしかないのだろう。私が貧しい田舎暮らしに希望が見出だせず、勉強して身を立てる機会すらない事実を明確に意識し絶望することも、両親にとっては単なる「おかしいこと」なのだった。
 両親の立場において家庭は完璧であり自分たちは無謬であった。彼らの世界観においては必要なものは全て一揃いあり、何の不足もない状態であるにもかかわらず、私一人が異常な挙動や態度を取っていた。一縷の望みも、ささやかな楽しみもない窮乏状態で、閉鎖的で先行きの暗い寒村での貧しい暮らしなど少なくとも津軽においては「普通」であった。にも関わらず私はそれを甘受することができなかった。
 私は彼らからしてみれば軟弱で陰気な子供、有り体に言えば頭のおかしい出来損ないだった。父も母も、私に対して頭がおかしいと思っていたし実際に口に出しそう言った。単刀直入に言えば、私は田舎も貧乏も大嫌いだった。だがそれは結局のところ両親、ひいては津軽それ自体への批判であり否定となる。両親の立場からしてみれば、無論それは許されざることだった。また仮に私は表立ってそれを明言してあれこれ言い立てたところで、両親にできることなど何ひとつとしてなかっだろう。


 今の私には両親を責める意図などない。とどのつまり、貧困が全ての問題であった。しかし父親にも母親にもそれを打開するすべなど何もなかったし、私たちの一家津軽の地を離れて殷賑な街に移住することも能わなかった。その結果として僻地の底辺として人生を貫徹しなければならないのはやむを得ないことではある。
 また、両親が私にした仕打ちや言動は全て社会的な要請の代弁だったと思っている。文明社会は結局のところ下層で支える人間が存在してはじめて成り立つ。その礎となるのは低賃金で長時間拘束される現代の奴隷、人の形をした家畜の存在であり、有り体に言えば底辺の人種である。そしてそれは頑迷で無知な経済的弱者であり、この国の社会において津軽人はその典型にして筆頭だと言える。
 自身の境遇に満足せよ、という無言の圧力は社会全体に浸透している。底辺の人間はは世代を超えて底辺でなければならない。父や祖父、先祖代々がそうであったように、私もまた世の中を最下層で支え続ける義務と宿命を負って生まれてきた。だから私は悲惨な環境で貧窮し、多くを知ることもなく狭い世界で生きるように社会全体に強要されていたと言っても過言ではない。両親はそんな日本社会の尖兵として私を馴致していただけだ。
 目下の状況に疑問や不満を抱くことはそれ自体が反抗であり反逆だ。世間は万人のためにあるのではない。それは中流以上の人間が豊かさや幸福を良くするためのシステムだ。中流足切りされるような人間はそれを維持し発展させるための道具として消費されるだけの存在だ。そして私は言うまでもなく後者に属して生まれてきた。そしてその二者は多くの場合逆転することも交わることもないのが常だ。
 今にして思えば、私は生まれながらにして精神的に去勢されていたのだ。奴隷、道具、家畜として産まれ生き死ぬ定めを当たり前で避けられないことだと子供の頃から言い聞かされ、自分でも思い込んでいた。糞でも食らうべきだろう。
 人生の本質とは不平不満と悪足掻きに尽きる。分相応だとか足るを知るなどといった邪悪な思想はことごとく粉砕されるべきだろう。人間は満たされないから行動する。屈辱や渇望こそが人間にとっての原動力となる。貪婪で見苦しい人間こそ称揚されるべきである。

 言わば、不服の念とは生きてる証拠である。私はこれまでの生において、満たされないことを問題視していた。その一方で、執着や未練を断ち切ろうと試みたこともあった。しかしそのどちらも間違っていた。人生とは飽くなき追求であり、それにはエネルギーが必要だ。その根源となるのはとどのつまり、不平不満である。それは避けることも除くこともできない。ならばいっそ礼賛してみるのも一興だろう。

持たざる者

 何かを手に持ったまま生まれてくる人間は存在しない。一人の例外なく私たちは徒手空拳かつ裸一貫で産まれてくる。この世に私物を持ち込んで生を受ける人間など存在するはずがない。晴れ着や襤褸を身に纏いながら母の腹を出て来る者も居るはずがない。
 また、何かを所有したまま死ぬことができる人間も存在しない。金銭も不動産も死を前にしては自分と切り離されてしまう。どれだけ親密な人間関係を築き上げようとも、誰かと一緒に死ぬことはできない。死は共有できず、またそれに対峙するときにはあらゆる一切が無効化される。
 何かに対して「自分のものだ」という考えは単なる一時の思い込みに過ぎない。客観的な事実関係や法律などの規則によって明白に個人の所有物として見做され、公に定義されたとしても、それは人の世の決まり事や個人の主観において当人が我が物だと勝手に認定しているだけだ。厳密な意味で人は何かを我が物になどできない。
 そして、私有という概念が誤謬であるがゆえにそれは最終的に苦しみを生む。獲得や所有といったものが仮に真理だとしたら、それは不動にして永遠であるはずだ。だが実際にそうでないことは誰もが体験しているだろう。掌中に収めたはずのものが失われることも、手に入れたと自分の中で思い込んでいるだけで実際はそうでなかったということもままある。
 手にしたと思えるものも遅かれ早かれやがては手放さなければならない。契約書を交わしたり多くの人々から言質を取ったとしても、形があるものはいずれ劣化したり崩れたりしてその価値や姿を失う。そしてなにより、先にも述べた通り死者が何かを携えてこの世を去ることはできない。
 死は究極的な喪失であり、私たちが最も恐れるものだ。死ねばそれまで、というあまりにも明白で自明な事実に私たちは目を背けて生きている。生涯という道中で何を手に入れようとも、その終わりには全て失うとは明らかであるにもかかわらず、私たちは何かを手中に収めようと奔走する。改めて考えれば不可解極まりない。

 


 人間は自身の肉体すら誂えたわけではない。自分の責任や判断に基づいて肉体を形作ったり選んだりしたのなら、私たちの肉体は自身の所有物だと宣言できる。しかし現実はそうではなく、意図しない卵子精子の受精によって自分があずかり知らない経緯により作り出されたのが私たちの肉体だ。それならば、何故体が我が物だなどと言えるだろうか。
 自身の成育環境を自在にカスタマイズできる者もない。こういった環境で生まれ育ち、こういった家庭で人生を歩みたいと企図して幼少期や青少年期を送った人間が有史以来一人でも居るだろうか。そして私たちがそうでないなら、自身のバックグラウンドが自分に帰属する代物だと何故言えるだろうか。
 私たちの一生自体がそう言った意味では借り物だと言える。仮の肉体、仮の背景、仮の経歴、仮の生涯……。それらのどれもが自分の所有物でも私有財産でもない。我が物でないなら、当然自分自身と呼ぶには値しない。
 私たちの生は意図せず始まり、そして終わる。その一連の過程の中でわずかばかりの自由意志を私たちは自己の人生に反映させようと試みはするが、局所的に我意を通せるかどうかという話でしかない。大局的に考えれば、私たちの人生は私たちのものではないと考えるのが妥当だろう。

 人間としての生は借り物でしかない。そしてそれが尽きるまでの間に何かを得たつもりになったところで、それは所詮砂上の楼閣にすぎない。私たちは一人の例外もなく死ぬ。そして死者は何も所有できない。死人には私物を持つ権利も能力もない。そしてそれは遠からぬ私たちの未来の姿であり、人生の帰結である。
 その最中で何かを得ることや持ち続けることにどれだけの意味があるだろうか。金銭に限らず、記憶や思い出、経験といった心の財産も同じだ。それらを獲得し、所有し、蓄積したところで、死を目前にした人間にとってそれらにどれ程の意味があるだろうか。有形無形の別なく、何かを個人的に何かを持つということに究極的には意味などない。
 ところで、多くの見識ある人々がよく言うように、森羅万象は元を辿れば一つのものだという考えがある。 この世界の実相はただ一つの「実存」からなる。人間も物質も、宇宙も空間もそれらを生み出し、存在させる指向の一者、いわゆる神的存在があって成り立っている。それがなければ何者も存在しえない。逆にそれがあるからこそ万物は私たちが知っているような形で存在していると考えれば、この世の成り立ちや個人の人生といったものには合点がいく。
 その説を拠りどころにすれば、一者が数多の諸相として顕現し、それらの一つが私なのだと見なすことができる。私たちはもともとは一つものであり、大元を辿れは皆ひとつの存在である。また、人間に限らず全ての生命体や事物も一つのものを根源にしていると捉えられる。一個人としての生は仮の姿として顕れた現象にすぎず、本質的にはそれとはまったくスケールや次元が異なる「何か」が私だと言える。

 

 

 それを踏まえれば、これが私であるとか、これが自分のものだなどとは最早思えない。一個の人間としての生や一個人の生涯における財産や思い出、体験の蓄積というものは所詮は虚しいものでしかないかもしれないが、個体としての自己を超越した視野を持つに至れば、個としての得失など瑣末事に過ぎなく思える。
 自他の境目が幻想であるならば、私有という概念も錯覚にすぎない。私のものだ、などと主張することは、その対象が何であれナンセンスであるように思える。そして所有することに重きを置く必要がなくなり、最終的には得られなかったり失ったりしても気にも留めなくなるだろう。その境地にこそ自由や安楽がある。
 しかし、私有や所有という迷妄や幻想によって私たちの社会が支えられているという事実もある。自分の物であると主張し合うことで諸々の秩序が保たれているという側面を無視することはできない。日常的な感覚における世俗的な価値観がどんな状況でも無意味で無効だなどと主張するつもりは毛頭ない。
 私たちが生きる世の中はそのような虚妄によって成り立っている。貨幣経済も実体のない信用に根拠付けられた価値が紙幣やデータとしてやり取りされることで成り立っている。これもまた妄想や幻想のたぐいであると断ずることはできる。しかし私たちが文明社会の恩恵に浴せるのは偏にこの「嘘っぱち」を前提にして成り立つ共同幻想の中で生きているからだ。私たちの世界は実利的で生産性のある虚妄と幻想に支えられていると言って良い。
 だが、どれだけ現実的で実益に適っていたとしても空想は空想でしかない。私有財産制によって財産や生命が維持され、社会が安定し文明が進歩したとしても、本質的な意味で人間という存在は「持たざる者」であるという剥き出しの真実は覆ることはない。
 私たちは有益な嘘や幻とこの世の実相を両立させなければならない。私たちは虚構と現実の絶妙な均衡の中に生かされており、そのどちらも重要であると見るのが正常な感覚である。しかし、私たちは虚構の方にいささか絶対視しすぎる傾向がある。だからこそ私たちは方便は方便にすぎないということを自らにゆめゆめ言い聞かせる必要がある。

 便宜を図るために暫定的に何かを私のものだと主張することは悪でもなく間違いでもない。しかし、それは本当のところ真実にはかすりもしない妄言でしかない。それを弁え、踏まえながら私たちは所有権を主張するべきなのだろう。