他力斎

雑記、雑感その他もろもろ

夢も希望もない話

 曾祖母のマユについて書く。マユは94歳まで生き、筆者が小学校低学年だった頃に此の世を去った。彼女は明治生まれの津軽人で、筆者が子供の時分においても生きた化石のような存在であった。マユは頑健そのもので、杖をつきながら自力で歩き回り近所を逍遥したものだった。そんな曾祖母であったが、ある時いきなり体調を崩し、入院したきり家の敷居を跨ぐことなく命運尽き、かくしてこの薄汚く救いのない火宅から解放されていったのだった。

 曾祖母は筆者にとって、同じ家で暮らしているものの馴染みの薄い人物であった。笑ったりしたことは筆者の記憶においては一切なく、筆者が普段の通学路と異なる道を歩いていると、それを見咎めて怒ったものだ。特に趣味もなく、決まって夜の9時になると自室に引っ込んで眠った。ひ孫である筆者を可愛がるような素振りもなく、何かを楽しんだり面白がったりするようなことは全く無かったと言っても過言ではないほどだった。

 曾祖母は厳格な人物だったと父や伯母から伝え聞いた。筆者の祖父、つまりマユにとっては自らの子供に当たる存在についての躾や教育の方針は、伝聞に過ぎないものの筆者の印象に強く残っている。マユは筆者の祖父が金にならない文学や芸術に関する本に、触れることすら許さなかったのだという。祖父はそのようにして育てられ、マユのやり方をそのまま受け継ぎ筆者の父を躾けた。そしてその父もまた、例の方針に倣い筆者を作り上げたということになる。

 曾祖母にも両親や祖父母がいたということなど、言うまでもないことだ。マユもまた自身の上の世代から薫陶を受け、その厳格さを涵養していったと思われる。マユが子供の頃と言えば、津軽は未だ文明の光が及ばない化外の地であったことは想像に難くない。そんな土地で生きている人間が子供や孫にどのように接するかは、マユの例を見ても明白である。マユはロクな教育も受けられなかっただろうし、生まれついた世界の外を知ることなく生きるしかなかっただろう。

 貧しさは人を即物的にする。他の津軽人もマユと似たようなものだったろう。津軽人にとっては、文化など無用の長物でしかなく、実利や欲得だけがこの世における全てであると言っていい。津軽において人は、いくら稼げるか、どれだけ損をしないかという視点のみで世界を認識するしかない。筆者は津軽という土地柄によって醸成される人格について、とてもではないが肯定的に捉えることは出来ない。

 かくいう筆者も、「手に職をつける」という浅ましい理念に基づき教育を施された。そろばんの塾に通わされ、身体を強くするために無理やり運動部に入部させられ、当然のごとく高校は職業科であった。そのような、子供を潜在的な労働力と見なすサモシイ精神により育てられた人間が、一体どのようにして幸福な生き方ができるだろう。厳しい気候と貧しく狭量で頑迷な人々、それらに囲まれた環境においては土台、夢も希望もありはしないのである。

 

 

 曾祖母が祖父にした仕打ちは、特筆すべき逸話であろう。マユは筆者の祖父を文学や芸術から積極的に遠ざけた。続く

 

 

 人は虚構なくして生きることは出来ないだろし、また生きるべきではない。

最低4000字

 本ブログは文章を練習する場として存在している。俺は春から愚かにも、文章教室なんかに通い始めた。そこの講義を受講する為に、俺の貴重な週末の数時間が犠牲にしている。本当なら土曜日は下らない労働から開放され、永田町にある国会図書館に朝から晩まで入り浸り本を読むことに費やしたい。しかし、文章教室という用事が出てしまっているがために、土曜の半分はそれのために割かなければならない。正直に白状すると時間の無駄のように思えてならない。

 また、俺は例の学校に行くために既に学費を支払ってしまっている、27万円だ。俺の経済力について事細かく明かすことは差し控えるけど、俺は低賃金労働者であり金銭的にはかなり困窮しているタイプの人種だ。その俺が27万円も学費として捻出するのは暴挙に近い。我ながら衝動的に馬鹿なことをしたもんだ。だが、今更になって金を返してくれと学校にいけしゃあしゃあと要求できるほどの交渉能力を俺は持ち合わせてなんかない。

 27万円をドブに捨てたと認めてしまうのは絶対に有り得ない選択だ。よって俺はその投資に見合った何かを習得しなければならないということになる。文章教室に通っているんだから、当然のように文章力を身に付けるより他はない。本来なら小説や脚本を無限に量産し、あらゆる文芸に精通しているくらいにはならなければ元が取れたという状況にはならないのだが、それは俺の能力的に恐らく達成不可能だろう。

 しかし、ブログならどうだろうか。一応文章である点で先に挙げた文芸の分野に属している代物ではある。少なくとも、クリエイティブ・ライティングの練習としては全く無関係で無駄とは言えないはずだ。27万円もワケワカラン学校に払った代償としてブログで文章が書けるようになりました、などとはとんだお笑い草ではある。しかし、それでも何も進歩もなく27万ボラれました、などと言うよりはほんの僅かでもマシだと考えるべきだ。

 したがって、俺は本ブログ上で毎日最低4000字の文章を作り公開することを自らに課すことにした。ブログをやり始めた頃は、3000字の記事を毎日作ることを目標にしていたが、当初は志が低かったと言わざるを得まい。専業の作家・ライターの類いにおいては、日に何万文字も文章を量産できるものも少なくないと聞く。いやしくも文章教室に通っている身である俺は、それに少しでも近づくことを目指さなければならない。そうしなければ俺は結局、愚劣な衝動により27万円を他人に毟り取られたことを認めることになるのだから。

 

 

 俺は正規雇用者として労働しているので、いわゆる無産階級に属する。要するに、他人に雇われ賃金を得ることにより生計を立てている卑しい身分というわけだ。そんな俺は週に5日は朝から晩まで会社に拘束され、労働という浅ましい行為に従事させられている。拘束時間が何時間に及んでいるか、一々計算するだけで気が滅入る思いだ。莫大な時間と労力を赤の他人に捧げているなど、俺にとってはまさに屈辱に極み。

 働きながら文章を作ることは容易ではない。俺は既にこれまで一日最低3000文字の文章を作成することを自らに課している。仕事を終え帰宅し、食事を済ませて文章を書く時間を捻出することは骨が折れる、剥離骨折するほどの苦しみだ。果たして眠る時間を減らしてでも、ブログを更新することに一体何の価値があるというのか。文章教室に払った学費が死に金でなかったことにしたいという強情のためだけに……。

 現状、たかがブログの文章を作るだけで呻吟するような有り様だ。理想を言えば、3000字だろうが4000字だろうが苦労なく片手間でこなせるくらいにならなければ。苦しんでイヤイヤ、ようやくそれを達成する時点で俺にはやはり文才など存しないのだろうか。そう考えれば暗澹たる気持ちになる。大金を払い、自身の能力のなさを思い知り、あまつさえブログという形でそれを天下にさらけ出すなど。

 俺はサラリーマンや役人には向いていない、子供の頃から分かっていた。出来の悪い社会不適合者予備軍として学生時代を送った俺は、卒業証書一枚を持たされ大学を叩き出され、労働者という身分に堕した。そこから先は悲惨の一語というしかない。底辺職を転々とし、若い時分を労働という蔑むべき行為に空費するしかなった俺の人生を、一体どうやって正当化できよう。

 労働者として、あるいは人間として俺は完全に行き詰まった。20代前半に於いて俺は、自らの行く末をまだ楽観視できた。25歳や26歳の頃は転職という逃げ道が残されているような感があった。しかしそんな時期はとうの昔に過ぎ去って、今では己の先行きの暗さに絶望している。生活はこれ以上良くなることはなく、貧しく孤独で、一縷の望みも明るい兆しも全く無いのが現状だ。無駄に年を重ね、単刀直入に言えばお先真っ暗の人生終わりかけ、と言ったところか。社会の最底辺で爪に火を灯すような暮らしを強いられるということは、決して笑い話で済まされない、歳を取ってしまうと。

 

 そんな俺が文章教室に関心を持ったのは、言うなれば藁にも縋る思いだったのだろう。勤務時間中にサボってネットで情報をあさっている最中に、例の教室の興国高なんだかを目にしたのが、思い返せば運の尽き。文章で生計を立てようだの、自分を表現して自己実現使用などという甘言に乗せられた愚劣極まりないノータリンが、金と時間をドブに捨てるために行くような、唾棄すべき所に俺は、興味を持ってしまったのだった。

 しかし、他にどんな選択肢があるというのだろう、と俺は自問する。文章教室というか、クリエイター系の学校なんぞは、悪質な銭儲けのためだけに存在している代物だと俺は端から知ってはいた。それだけは予め弁明しておきたい。それが分からないほど俺は世事に疎い人間ではないと、己の名誉と尊厳のために言い添えておく。それは有りもしない夢を語る、極めてインモラルなビジネスと言えるし、それは俺とて重々承知なのだ、念のため。

 そうは言っても、一般的な普通の仕事で俺の人生はもう開けないことは明らか。いま勤めている会社でどれだけ精力的に仕事をしても、転職活動に勤しみ別の職に就いても、俺の人生が他人に扱き使われるだけの最低最悪なものでしかないという点は決して覆ることはない。労働が己の生において必定であることは最早、言を俟たない現実であるものの、それによって人生が肯定しないことを俺は既に知っている、嫌というほど。

 投資をやるには種銭が要り、スキルアップして真っ当な身分になるには能力が要る。不幸にも俺は、そのどちらも有していない。そんな惨めかつ哀れな男が、文章教室の美辞麗句に乗せられ、大金を巻き上げられたとしても同情の余地は大いにあるのではないだろうか、我ながら。バカげたことに及ぶくらいしか、俺の人生はもうどうしようもない、特に近頃になってそう思うようになった。

 俺は津軽地方の寒村で営々、子々孫々と暮らしてきた貧家の長男である。そんな星の下に産まれ落ちた愚物が、一体どうやって幸福かつ価値ある人生を歩めるというのだろう。かの有名な永山則夫や加藤智大、監禁王子に脱獄王・白鳥由栄などなどなど……。我が国の歴史にその名を刻んだ錚々たる面々を数多く排出した津軽人の一人として、この世の中の末席を汚す存在であるこの俺が、文章の学校に通うくらい別段どうと言うこともないだろう。

 

 

 俺の人生は辛苦と屈辱に満ち満ちている。田舎の貧しい生まれで、マトモな教育を受ける機会もなく、法定最低賃金以下で世間の連中に酷使され足蹴にされ踏み躙られる。社会に打ちひしがれ身じろぐことも許されない俺が、文章教室に通うことで自らの生に突破口を見出し、この国に一矢報いるつもりでいるのだ。我ながら涙なしには語れない話ではないか。

 文章で身を立てられるようになれば、俺は予め定められた自身の宿命を克服せしめたと言って差し支えない。俺は順当に行けば、津軽のどこかにある工場などで働かされるような身分にすぎない。そんな俺が東京で花形の仕事ができるとしたら、それは生まれ持った領域から脱却できたと自負できるほどのことだと言えよう。その端緒として件(くだん)の学校に通い、文章力を身に付けようと試みるのは別段オカシイことではないような気もする。

 そのためには差し当たり、27万円分の成果を挙げなければならない。このブログはそのためだけに存在している。日ごと4000字を生産する能力が涵養するために俺は、はてなでわざわざこのような愚行に及んでいるというわけだ。身の上話は恥ずかしく、日常の事柄を書き連ねるのは個人情報がバレる危険性を孕んでいる。この二点が気がかりで、俺は学生時代からずっとネットで文章を公開することに及び腰であった。

 だが、最早そのようなことで二の足を踏んでいる場合ではないのは明白だ。綴らずに生きようなどとは、端から無理なご相談。俺のケースにおいては、そう結論付けるしかないだろう。書くことでしか俺の人生は正当化できず、それが無理なら俺は生きていくことも能わない。一角の人間になれず、書くことが徒労にすぎないとしても、それ以外に選択肢など始めからなかったのだと、俺は今になって思う。

 とにかく、難なく日ごと4000文字を書きアップロードできるようならなければならない、難なくだ。3000字の文章を毎日生産するだけで四苦八苦してきた俺だが、最近は特に難儀することもなくなってきた。自らに設定するハードルを上げる時が来たと言えよう。4000字の文章を一日も欠かさず、労せずに作り出せるようになれば俺の人生を好転させる一因が生まれる可能性は僅かだが生まれる。そしてバカげた出費を正当化することもできる。それが頓挫するとしたら、俺はもう縊れ死ぬしかあるまい。

不マジメに読む

 国会図書館でこれは、と思った本に巡り会ったが読みきれず、閉館とともに窓口に返却しなければならなかった。くだんの図書館は基本的に日曜と祝祭日には開館していないため、暦通り働いている者が使えるのは基本的に土曜日のみだと言ってよい。盆休みであるため昨日と今日は通えたが、通常は平日に例の図書館を使用することが出来ない身分でいるのが心苦しい限りである。

 俺の盆休みは翌日まで続くものの、国会図書館においては第三水曜日は休館日となっている。したがって、俺が次にそこに足を踏み入れられるのは土曜日ということになる。それまで読みきれなかった本についてフラストレーションを溜めながら生活しなければならない。土日平日の別なく、自身が自由に過ごせる身分であったなら、そのような思いは決してすることはなかっただろう。

 冒頭で触れた「これはと思った本」についてだが、俺は実のところ、それの目次に目を通して流し読みをしただけだ。しかし、それだけでも俺にとってその本は極めて有用であることがはっきりと知ることができた。それだけにオアズケを食らわされているのが心残りで仕方がない。他にも何冊か今日は図書館で閲覧したが、それらの本と比べて例の本は俺にとって重要な書籍であったかもしれないのだ。

 自身にとって必要な本というものは目次を読めば全体の構造が分かり、大まかに全容を知ることができる物を指す。逆に言えば、目次を読んでも内容が判然としなかったり全体を2,3度流し読みをしても内容が全く頭に入ってこないような本は自分にとっては読む必要がない本だ。とは言っても、本自体に問題があるのか読み手の知的レベルの程度が低いからなのかは、一概に明言できるものではないだろう。

 無論、書籍というものは始めから終わりまで熟読なり精読なりする方が望ましいのだろうが、あいにく俺にはそのような時間的な余裕などない。流し読みという行為をしなかったならば、この盆休みで1冊も読みきれなかった可能性さえある。俺は普通の人間と比べて文章を読解する能力が高いとは言い難く、また読書に避ける余暇そのものも決して多くはない。有限な時間と読解力で読書に望むなら、真面目くさったやり方ではとても埒が明かない。

 

 

 第一、本が好きで読書が趣味だという人間が存在することが、俺には理解できない。俺は子供の頃から活字を読むことが不得手であり、楽しみといえば専らアニメとゲームであった。書籍と言えばマンガがせいぜいでラノベにすら食指を伸ばすことがなかったほどだ。幼少の頃、俺は両親によく知能を疑われたものだが、今でも本を読む度に自分の先天的な頭の悪さが露呈するような気がして、その度に不愉快な思いをさせられる。

 面白くまた興味が惹かれるといった読書体験がないわけではない。俺にも知的好奇心なるものも幾ばくかに過ぎないものの存しはする。しかし、如何せん読むのが遅く気力も体力も大してなく、なによりも活字を読む喜びというものが根本的に理解できないのが致命的だ。本音を正直に打ち明けるならば、俺はインターネットで遊びながら酒を飲むだけで人生を終えたいと思っているほどだ。

 実際に俺はそのようにして余暇の殆どを潰してきた。大学2年の時に酒の味を覚えてから、約7年もの間、俺は大学や会社をはじめとした社会的な場での活動や人間関係などから逃れたい一心でインターネットと酒に耽溺した。その結果、俺の20代は全く無駄に浪費する羽目になり、俺の人生は台無しとなった。最も若く、有望であったはずの時間が最も無意味で実のない行為により失われた。

 その愚を犯し続けたい思いと、それと相反する一念が俺の胸中でせめぎ合っている。志を低くして、このままあらゆる望みを捨て社会の最底辺に甘んじれば、俺は色々な意味で幸せなのかもしれないと思う。だが、それとは性質を異にする別の欲望が自身の内奥で燻っているのもまた感じる。俺の生は目下において最低最悪だが、それでもまだ何かを諦めたくないなどとは、我ながら誠に見苦しい限りだ。

 そうは言うものの、本から遠ざかれば俺は余計な気苦労を抱えることもなく、自身の無知や無学を思い知ることもなくなる。仕事の時間以外はアルコールで脳機能をひたすら鈍麻させ、一切の後先など考えず、インターネットで自らが既に知っている領域に属する情報だけを漁るような生き方は安楽ではある。本などという紙の束が此の世に存在することも念頭から消え去るような愚鈍な暮らしは本来、俺の性や分に合っているのかも知れない。

 

 本から遠ざかれば人は自分の愚劣さや浅薄さを自覚せずに済む。それらを知ることはある意味で精神的な劇薬となる側面は否めない。読書という行為に臨むにあたり無知や未熟さが露呈したり自身の知的な水準に自信を喪失したりすると前述したが、それが正に該当する。本はある時には壁となり俺の前に立ちはだかる。自分がまだまだ足りない存在なのだと知るのは面白い体験とは言い難い。

 そのため、俺にとって本を読むことは基本的に愉快な作業では決してない。少ない時間で内容を把握し、自身にとって必要と思しき部分を読むことで情報を得て血肉に変えるのは俺にとって苦行に近い。もし今この時点で俺が10歳だとしたら、何かを1から学習するのは遅すぎるどころか早すぎるほどだろう。しかし、今の俺は具体的な年齢は伏せるが既に人として機を逸してしまっている。

 今頃になって物を知らないことが浮き彫りになっても、俺にはもうどうのしようもない。図書館で閲覧した本の中で、精神医学や哲学に関する擁護などを用いて映画を分析するような内容のものがあったが、俺には全く理解できなかった。そもそも本自体が悪いのだと決めつけてしまいたかったが、そのような分野に精通していない俺自身に問題があるような気がして、中身が頭に入らなかったことがもどかしく思えた。

 自分には知らないことが無数にあり、まだまだ知的な面においてまだまだ道半ばにすぎないのだと気づかされることは、面白くない。子供や若者にとってそれは新たな可能性が広がる契機となりえるが、若くない人間には単に己の有限さが浮き彫りになり、自分がつまらなく劣った存在だと明かされる屈辱的な体験にしかならない。「不まじめ」に読んでいるなら尚のことそのような目に遭わされる危険性が増す。

 まず著者のプロフィールと目次を読み、本の書き手の専門分野と内容の全体像を把握する。次に数秒でページを繰りながら章や節の見出しや太字などで強調されている部分の文面や内容などを大まかに掴む。そのようにして始めから終わりまで目を通した後にはじめに戻り、さらに時間をかけて本文を指でなぞりながら取り敢えず目に入れる。それから3度はじめに戻り、自分にとって必要だと思われる箇所を絞り、それを時間をかけ読むよう心がける。

 

 

 果たしてそれである本を「読んだ」と言えるのか、甚だ疑問ではある。俺は書籍というものは全ての文字を読む必要などないと考えている。加えて、読書なる行為は自信にとって必要な情報を必要に応じて摘まむようにすべきだとも思っている。また、仮にもし本の全ての箇所を1から10まで入念に読んだところで、俺は1割も覚えておくことはできない。俺は読めば読むほど忘れていく。新たに1冊読めば前の1冊を忘れ、新たに1ページ読めば前の1ページを覚えていられない。それならば、はじめから不マジメに読んでも同じなのだと言えるだろう。

 しかし、いわゆる読書家なる人種がこのような話を聞いたなら、もしかしたら腹の底から嘲笑するかもしれない。此の世には一度読んだことを死ぬまで忘れずに性格に記憶に留め、ひと月に数十冊ないし100冊以上読破できる人間がいるかもしれない。それに比べれば、読んでいるとも言えないような適当な読書法でもって誤魔化そうと試みる俺は極めて下等だと言わざるを得まい。

 頭脳労働に従事するものは多くを読み、また書くことを生業としている。俺はそのような階層に属する人種を憎まずにいられない。限られた僅かの時間を割き本を読んで情報を得ようとしている俺とは違い、そのような人間は調査や研究をする時間など腐るほどあるのだろう。そしてその時間的な優位により、彼らは俺よりも多くを知り、また多くを成せるのだと思えば嫉妬で気が狂いそうになる。

 「不マジメ読み」で理解できない本は読まなくて良いなどと大それたことを先に述べてしまったが、それは単に俺が無知で頭の悪い人間であると公言しているに過ぎない。もっと時間があり、もっと頭が良かったなら、さらに言えばもっと若かったなら、俺は卑しい賃金労働者、ワーキングプアにならずに済んだかもしれない。一角の人間が享受し謳歌できる実のある人生を歩めた可能性が、もしかしたらあったのかもしれない。時間に追われつつ読み書きに四苦八苦しながら俺はそんな益もない空想に耽る。

 万巻の書を自在に渉猟するには、俺はもう歳を取りすぎているしそれをする能力も端から無いことは潔く認める。しかし、残りの生をせめて少しでも良いものにしたいがために俺は、遅ればせながらも拙い読み方でもって本という厄介な代物にこれからも臨むだろう。それをしたところで何がどうなるわけでもないが、少しでも多く読んだり書いたりすれば、自分という下らない存在が僅かでもマシになると信じたい。

満身創痍な心身への処方箋

 数年前に強く打った前歯が時たま疼き出す。歌舞伎町で二人組の男に襲われ、逃げる最中に転倒して地面に打ち付けたのは右の前歯だった。その日を境に右の前歯の先端は欠けてしまい、樹脂を填め込んでいる。その例の歯は忘れた頃に違和感を俺にもたらし、いつかの日に見舞われた災難を思い起こさせる。痛いとまではいかないが、これがどうにも気になって仕方がない。

 欠けた歯は二度と元には戻らない。歯医者が言うには、先端の欠損だけでなくヒビも入っているのだという。疼きだして神経に触るのは恐らくそれが原因なのだろう。これから先、そのひび割れも含めて二度と完治はしないのだと思うと憂鬱になる。歯そのものの違和感はもちろんだが、それ以上に縁もゆかりもない他人どもに何の咎もなく襲われて負傷させられたのが忘れらないのがいけ好かない。

 さらに言えば、肉体を損なったのは歯だけではなく、眼球もだ。前に働かされていた会社で、先輩社員があるとき俺の顔にスプレー式の洗剤を吹きかけてきた。理由も動機も一切不明だが、とにかくその者は俺に対してその行為に及んだ。その結果、オレの左目に霧状の洗剤が入り、俺はすぐに会社を飛び出して眼科を受診するハメになった。眼科医は特に大事には至らないだろうと言ったが、俺は現在においても甚だ不安である。

 仮に今頃になって左目に悪影響が出たとして、俺は一体どうすれば良いのだろうか。くだんの会社はとうの昔に倒産してしまっており、例の先輩社員など今どこで何をしているか、生きているかどうかさえ定かではない。赤の他人に大した理由もなく痛めつけられた俺の肉体の欠損や不調などといったものだけが結果的に残され、俺は人知れずに一人で途方に暮れるより他はない。

 他人どもに肉体や精神を傷つけられたことなど、振り返れば枚挙にいとまがないほどだ。また、それらのどれもが不名誉で不都合な代物にすぎない。幸いにも生活や人生全般に支障をきたすような深手は負っていないものの、無意味に欠けたり痛めつけられたりしたことを、俺は納得することができずにいる。自分に非がないにもかかわらず、余計な気苦労を被ったことについて、どうにかして自身の気持ちの始末をつける必要がある。

 

 

 かつて俺の肉体には傷一つ無く、身体を組成する細胞のすべてが若々しかった。自分の肉体を惜しむような日が訪れるなどと、若く幼い時分には想像もできなかったことだ。最早この俺もそのような感傷に浸る様になってしまったのかと思うと、歳を重ねたことを否が応でも実感せずにはいられない。言うまでもないが子供の頃の肉体と現在のそれとでは、価値がまるで違う。

 若いうちには若さの値打ちが分からないものだ。そして俺の傷一つない若々しい身体は、世間や他人によって著しく害されていった。最早あちこち傷だらけであり、大して若くもなく、詳しく検査などはしていないが内蔵もかなり損傷しているだろう。歳のことは男でも気にせずにはいられず、盛りが過ぎた肉体を引っさげて生きていく物憂さを近頃になってひとしお感じるようになってしまった。

 歯が欠けずに済み、目玉に薬品を吹きかけられもしないような生き方は、決して難しくなかったはずだ。選択肢がある若い内に人生をより良くすることもできたはずで、また内蔵を痛めつけるような生活習慣に陥らずに生きることも可能だったろう。俺は心身ともに損ないすぎたのかも知れない。そしてその喪失に気づくのには、少々遅きに失した感は否めない。

 生物としての旬が過ぎており、肉体的な意味においてはこれ以上生きていてもいいことなど何もない。子供ならば成長もするだろうし内蔵などは多少痛めつけられても回復する余地があるかもしれない。しかし、今の俺はこれ以上身長も伸びず、肉体に蓄積されたあらゆるダメージは回復することはないかもしれない。良くもならず伸び代もない現在の俺に、生きる意味なり価値なりが果たしてあるのだろうか。

 歌舞伎町に行ったのは上司に夜通し酒を飲まされたからで、目に洗剤を吹きかけられたのは悪徳企業に騙されて入社したからだ。アルコールで内蔵を損なったのは毎日の労働が辛く孤独で将来に希望が見いだせなかったからだ。加えて、若い時分に思い通りに生きられなかったのは周囲の人間の無理強いの為に時間や労力を無駄に空費したからであり、精神に被った打撃も他人の下らない都合や欲得の為に犠牲にさせられたからだ。

 

 俺の身体は時分が知らないうちに傷つけられ、台無しにされたのだ。肉体的な面に限れば、俺という存在は他人の魂胆や都合などによる皺寄せを食らった結果の産物にすぎないと言える。歌舞伎町で俺を襲った連中は俺をカモにしようと考えたのだろうし、俺の目に洗剤をかけた奴は俺を心底下に見ており蔑みたいと考えたからだ。俺に苦役を強いた他人も、子供の頃の俺に無意味な習い事や職業科の学校に行くことを強要した両親も親として子供である俺を自分たちの願望に沿った存在にしようと画策したからに過ぎない。

 他者の欲望と思惑によって消耗し毀損された肉体は、俺のものだと呼べるだろうか。他人の手で歪められ痛めつけられ、損なったものは畢竟、その者どもが所有し生殺与奪を握っていると見なしても過言ではないのかもしれない。本来の自分というものが仮に存在したとするなら、それは傷一つ負うこともなく、無為に馬齢を重ねてもいなかった己の心身だろう。それは遠い昔に失われてしまった。

 いまの俺は打ちひしがれ踏みにじられた無残な残骸に過ぎない。自身の意思や願望とは全く異なる方向に俺は進まざるを得なかった。その結果として目下の己の肉体と精神が此の世に存在しているなら、それらに愛着を抱く理由など何一つない。俺は余人の全てを愛してはいないため、それらによって痛めつけられ損なわれた己を肯定することも出来ない。また、それをしなければならないとも思っていない。

 宿命というのはあらゆる外的な要因のことを指した言葉なのかもしれない。俺も若さが失われない内に出来るだけのことを精一杯やるべきだとか、悪い人間と付き合わないようにするのが望ましいとか、酒を飲まないほうが内蔵にも脳にもいいだとか、その程度のことは分かっていた。しかし、外的な要因が俺から若さを奪い、怨憎会苦のあらゆる災厄をもたらし、苦しい生活を耐えるために酒を飲まざるをえない状況にさせられた。

 俺が今の俺になることは必定であったのだろう。どのような策を講ずれば俺は「この俺」にならずに済んだのか。俺が俺として此の世に産まれ落ち、俺として躾や教育を施され、俺として社会において存在し生存するならば、「この俺」になる以外の道など端からありはしなかった。俺は望まなくても俺であるしかなく、その望まない俺は他人や社会などの自分以外の人間によって形作られた存在だ。足掻き憂い嘆いたところで、それはどこまでも無駄骨を折ることにしかならない。

 

 

 自分とは即ち自分ではない何かだ。それの歯や目がどうなったとしても、それは俺ではない俺の悩みや苦しみでしかない。確固たる自分というものは、どのような形でも存在し得ない。我在り、という思いや考えは所詮、幻想にすぎない。有限な人生の時間を意のままに使えないなら、それははじめから自分のものではないということであり、それを生きる肉体と精神もまた自身の所有物ではない。そしてそれらを我が物としていないなら、自分などはじめから無いと結論付けるしかない。

 どれだけ傷ついても、それが自分のものでないとするなら、そこには問題など存在しないと断言できる。これまで書き連ねたことを総括するなら、前歯も目玉も、俺のものではないのだからそれらに気を揉む理由など端から存在しなった。失われた若さも健康な内臓や脳も、元々俺のものでないのならどうなろうと知ったことではない。肉体に限らず、精神の如何にもまたこれは当てはまるだろう。

 置い衰え、傷つき損なわれる肉体と精神に感傷的になる必要はない。なぜならそれは自分のものではないからだ。心身に限らず、森羅万象の一切において俺のものだと言える事物など一つたりとも存在しない。それならばいっそのこと、万事は成り行きに任せ、その生滅に心を動かされるべきでないのだ。主体としての己が虚妄にすぎないなら、心身ともにどうなろうと瑣末なこと。

 打たれ傷つき、汚され辱められる自分など、最初からどこにも存しない。そのような心持ちで居れば人は、憂いも苦しみも嘆きも悲しみも抱くことはなくなる。それらを被る「私」が幻想であり虚構でしかないのだから。無論、心身は俺に絶え間なく苦しみや問題をもたらすが、それが間違いなくあるように感じられるからといって、即ちそれが絶対に実在すると考えるのは浅はかというものだろう。

 己を滅尽すれば、それが被ってきた全ての問題ははじめから存在しないことになる。痛めつけられたり欺かれたり、利用され虐げられた全てを無効にできるのだ。歯の疼きも左目への懸念も、老いていくだけの体も思い煩うに値しない。我が肉体は我がものでない、我が精神もまた我がものでない。日々の暮らしの中ではこれだけをゆめゆめ忘れないようにすれば、気に病むことなど何もない。

500000字

 本ブログの文章は既に500000字を超えている。毎日最低3000字の記事をブログに載せることを目標として、今年の2月から今日まで延々と愚直に文章を書き連ねてきた。170記事を超えているので最低でも51万字の文章がブログにアップロードされたことになる。また、実際には文字数が3500字ないし4000字弱ある記事も決して少なくはないため、実際の文字数はそれよりかなり上回っているはずだ。

 停滞した人生を変えるために俺は文章教室に通うことに決めた。教室は1年制であり支払った学費は27万円であった。これは俺にとってかなりの大金であり、これをドブに捨てるような結果に終わることは何があっても許されない。俺は俗に言うところのワーキングプアであり、30万近い額の出費は身を切られるような思いだった。どうにかして元を取るべく、俺はある一計を案じることとした。

 学校に通うことを決めた俺は、文章力向上のためにブログを始めた。毎日文章を書く習慣を身につけるべく一日最低3000字の記事を毎日欠かさずブログに載せる事を自らに課した。内容はどのようなものでもよく、支離滅裂で誤字脱字だらけでも構わないから毎日まとまった文章を作ることを日課とし、半年以上俺はそれを続けた。推敲などもほとんどせず、とにかく毎日コンスタントに書くように心がけた。

 現状、特にこれと言って成果のようなものは出ていない。目覚ましく文章の腕前が向上したわけでもなく、文章を書くことで収入が得られるようになったわけでもない。一円にもならず、誰にも褒められず認められもしないようなことを愚公移山とばかりに俺は延々とやり続けた。働きつつ、また文章教室の課題なども片付けながら一日も欠かすこと無く3000字の文章を毎日書くのは中々に骨が折れる作業だった。

 惰性で続けた面も少なからずあるものの、50万文字超えというのは一つの節目と見なしていいだろう。別段なにかが変わるということでもないが、不断の努力と呼べるような作業を一応は行ってきたことを目に見える形で残したと達成感めいたものは感じている。また、毎日これだけ書き続ければ始めると比べれば否が応でも文章力は向上するだろうし、その点でも手応えはわずかだがある。

 

 

 もうやめにしたいと思ったことは一度や二度ではない。何しろ先に触れたが全く何の得にもならないことだ。特に仕事をしなければならない平日においてはその念に駆られた。仮にブログなどやめてしまったところで誰に責められるわけでもない。それどころか休んだり遊んだりする時間が増えるのだからその方が却って良いくらいだった。高等遊民でもない身分の者が、長い文章を継続的に書くことの苦しさを俺はこのブログで思い知った。

 しかし、27万円も文章教室に払ってしまった以上、俺は引くに引けなかった。冒頭で述べたように、それを死に金にしてしまうことなど絶対にあってはならない。少なくとも過半数の日本人よりは日本語の運用能力は上回っているという状態に自分を鍛えなければ教室に費やした金や労力が無駄となってしまう。今さら学校に金を返せなどと言えるはずもなく、一度始めてしまった以上、既に退路は絶たれている。

 働きながら日に3000文字も文章を書ける者など少なくはないだろうが、多くもないだろう。それができる時点でできない者よりは文章を作る能力は上であると自負して構わないのではないだろうか。それを続けられる限り、俺は27万円をドブに捨ててはないと言い張ることが可能となる。例の教室に通っている受講者のうちでも、俺ほど書いている者は決して多くはないだろう。

 また、続ければ続けるほど技巧も向上すると考えて良い。1週間前よりも今日の方が文章力は向上していると思いたい。少なくとも先月や半年というスパンでかつての自分と現在のそれを比べれば確実にマシになっているだろう。文章読本などを読んでみたりもしたが、結局のところ書き続ける以外に文章の腕前を上げる手段などない。その点ではこのブログをやる価値は十二分にあったと言って良い。

 加えて、アウトプットの機会を強制的に設けることでインプットもまた必要となった。入力がなければ出力もない。嫌でも毎日何かを書かなければならないなら、その題材や材料となる情報を常に探さなければならなくなる。情報を得るために日常のあらゆる瑣末事に臨み、インターネットや本などで他人が書いた文章に触れなければならない。書く機会がなければ、俺は読書の習慣も身に付かなかっただろう。

 

 ブログを続けるに当たり、様々な副産物が俺にもたらされた。まず、文章を書くためには頭を働かせる必要が有るため、それのために俺は飲酒の習慣を自らの生活から根絶しなければならなかった。アルコールで脳の機能が低下した状態では3000字の文章を書くことは不可能と言ってよい。書くために俺は酒を絶ったし、そのことで肉体や精神には良い影響を及ぼした。

 酒を辞め、読書をするようになり、多少なりとも文章力が上がった。これは27万円という巨費を例の文章教室に投じたことでもたらされた。正直に言うと、文章教室を受講したところで大した話は聞くこともできず、エッセイや小品の文章の課題を僅かばかりこなしたところで文章が巧くなるわけでは決してない。学校それ自体は俺に何ももたらしていないと言っても、現状においては過言ではない。

 しかし、27万円を無駄にしたと思いたくないという一念が、俺の生活を一変させたのは否定しようがない事実だ。文章教室とは要するにキッカケに過ぎず、それを取っ掛かりにして俺の人生は多少は好転した。少なくとも安酒を呷りインターネットで動画を見るだけの生活からは脱却できたのだから、それだけでも十分だと言えるのかも知れない。

 無論、最終的には被雇用者のワーキングプアという現状から物書きに転ずることを目標としたい気持ちはある。俺が人並みの収入と余暇を獲得するには、文章で身を立てる以外に方法などない。俺はこれまでの人生で適性のないことに多大な時間と労力を投じてきた。だが結局、俺は何も身に付けることもできなかったし、得るものもありはしなかった。

 子供の頃はやりたくもないそろばんや簿記、スポーツなどをやらされてきた。大学も興味のない分野を扱う学部や学科にしか進めなかった。その結果、工場や倉庫、清掃業などの社会における最底辺の卑しい仕事に従事させられるハメになった。親を始めとした俺の周囲にいた大人たちは『手に職』という信仰に基づき、俺を躾け教育した。だがそれはとどのつまり、俺にとって毒や害だけを及ぼした。

 

 

 書くこと以外で俺に取り柄など何一つない。学生時代も文章のこと以外で周りの他人から褒められたり評価されたことなど一度もなかった。長く続けても苦にならない唯一のことが俺にあるとするならば、綴るというただ一事だけだったように思う。思い返せば、はじめからそれだけに時間や労力の全てを投じたら、俺も生涯においてこれほどの悲惨や屈辱を被りはしなかったかもしれない。

 文章を書き身を立てるのは難しく、また現実的ではない。それは俺自身も分かっているが、普通にマトモな会社に就職して平均以上の収入を得て結婚したり家庭を築いたりするなど俺にはどうしても不可能だ。自身の文章に関する能力や適性に賭けでもしなければ、俺は一生底辺労働者として生きなければならないだろう。それが嫌だから俺は藁にもすがる思いで文章教室などという馬鹿げた学校に金を払ったのだ。

 先に述べた通り、学校では大した内容の講義は受けられない。しかしそれは、1年目だから基礎的なことに留めて教えているということも考えられる。2年3年続ければ専門的なことを学べる可能性はあるし、文章で収入を得る道も見えてくるかもしれない。俺はもうそれに自身の人生を賭す以外に選択肢がない。そしてそれができる可能性を少しでも上げるには、継続的に文章を作る習慣を絶やしてはならないだろう。

 もう他に道がない、と言うよりはじめからそれしか俺には道など有りはしなかったのかもしれない。頑迷で狭量な俺の両親は、自分たちの子供を賃金労働者にすることしか頭になかった。俺に何が向いているだとか何をしたいと思っているかなど、彼らにとっては何の意味もない戯れ言に過ぎなかったのだろう。父は俺が中学生だった頃に、俺を測量技師にする算段でいた。そのために俺を工業高校の土木科に進学させようとし、俺はそれに強く反発したのを今でもよく覚えている。

 小学生時代は5年もの間そろばん塾に通わされたが、それも両親の老婆心で俺を机仕事の職業に就けるようにするためのものだった。職業科の高校にしろそろばんの習い事にしろ、両親は俺に数多くのことを無理強いした。それは俺を稼げる労働者に育て上げる為に両親が心の底から親心で俺に課したことだったと言える。それは結論から言えば、全く結実しなかったどころか、俺の生涯を台無しにする悪手となった。

 はじめから文章で収入を得られるような教育を俺が受けられたとしたら、と俺は時たま夢想する。向いてもいない、やりたくもないことを生活を営むためにイヤイヤやることは美徳ではなく、俺は怠慢だと思う。望ましい道に進むことを両親は決して俺に許さなかった。しかし現在の俺は親や他人に指図されるような立場にはいない。そのため、薄い望みのために金と時間を割くことができている。

 文章教室に入学する際、入学願書に自己PRを記入する欄があり、俺はそこに綴ることで生きていきたいなどとと書いた覚えがある。我ながら年甲斐もないとは思うものの、俺にとってそれは子供の頃からの悲願だった。俺は田舎で不本意な仕事をすることを前提に生きることを宿命付けられた人間だ。本来なら東京で生活することもできなければ文化的な職業に就くことも能わない。俺はそれが不服だったし、気に入らなかった。願いが叶わない理不尽な生にどうしても一矢報いたいから、そのような大それたことを書いたのかもしれない。

 あらゆる意味で、俺には綴るしか道がない。他に手がないのだから、俺は終生それに固執するだろう。俺は死ぬまで、書き連ねることと生きることが完全に同義になるほどの生活を実践しなければならない。それについて諦めたり飽いたりしてしまえば、俺がこの世に存在する意味も正当性も完全になくなってしまうと言っても過言ではない。単に物書きになって楽な暮らしがしたいなどといった話ではない。

いつか

 物心ついた時から我慢ばかりさせられ、またしてきた。それをしなくても済むようになる日がいつの日かくるだろうなどと、俺は愚かにも心の何処かで信じていたのかもしれない。然るべき時に然るべき場所で、苦労も理不尽も、悔しさも虚しさとも無縁になり、満足なり納得なりできるような、そんな日が自分の身に遠い将来、やってくるはず、訪れるべきだなどとバカげたことを俺は夢見続けた。

 嫌いな習い事をやらされずに済むようになれば、小学校が終われば、中学校が終われば、高校が終われば、大学が終われば……。そのようにして俺は生涯において、ただひたすら待ち続けた。俺は本当にただ無為に待ちに待った、しかしただそれだけだった。自身の半生を振り返ると、俺はやりたいことや欲しいものを手に入れようと画策したことなど一体何度あっただろうかと自問せずにはいられない。

 両親は俺に我慢をするよう徹底的に躾けた。俺は忠実に父や母が言う通りにした、愚かだった。辛抱することが生きる上で必須で、それ以外に道はなく、それをしなくて済むような道を模索したり夢想することは現実的でも賢明でもないのだと彼らは俺に叩き込んだ。言うまでもなくそれは両親たち自らが信奉する人生観であり、それに染まることは正しいことでも何でもなかった。しかし俺は彼らの生き方に倣ってしまった。

 耐え忍び、待ち続ければいつかどうにかなり、報われるなど有り得ない。苦労や忍耐の先に待っているのは、さらに大きなそれらである。我慢すれば良いことがあるなどというのは例えるなら、北に向かって延々と進めばいつか南の町に到るなどといっているに等しい。実際には、北上すればするほど寒々しい土地に足を踏み入れるばかりだ。改めて思えば、考えるまでもないことだろう。

 子供でも分かるようなことが俺には理解できなかったため、ただひたすら我慢するより他なかった。そのような思い違いをして一生を棒に振るような者は、世の中において決して少なくないだろう。此の世のどこにも在りはしない、永遠にやって来ない「いつか」の為に今という瞬間を際限なく無駄に浪費するのは愚の骨頂である。その一点に気づくために、俺はあまりにも時間をかけすぎた感があるのは否めない。

 

 

 実はいま俺は猛烈に酒が飲みたい衝動に駆られている。盆休みでありまた金銭的にも余裕がある状況で、奨学金返還猶予申請の書類も投函し終え、文章教室の課題も提出したという状況下において、飲まない理由などどこにもない。ただ一つ懸案事項があるとしたらそれは金銭の問題だけだ。一晩飲むだけで約2300円の出費となるため、それだけが俺にとっては唯一気がかりなのだ。

 現在、俺の一日あたりの食費は400円から500円となっている。それと比べれば晩酌台に2500円近く金をかけるなど言語道断だ。これは少なく見積もっても普段の食費の5日分に相当する。それを自らに許すかどうかは、大変な葛藤を生む要因となる。これまで俺は出費、とりわけ食費を可能な限り抑えに抑え、僅かばかりの貯蓄を続けてきた。その俺が自らに晩酌を許すとしたら、これまでの我慢や辛抱は一体どうなるというのか。

 一方、俺は一体いつまで晩酌を我慢し続ければ良いのかだろうかという思いもある。5年か10年か、それとも一生俺は長い休みの最中で差し迫った面倒も抱えてない夜をシラフで過ごさなければならないというのか。死ぬまで終わらない我慢の果てに残るのは決して多くない貯金しかない。耐えるだけで生涯を費やすことが尊いことだなどとは、俺にはとても思えない。これは単に飲酒を正当化しているのではない。

 仮に俺の内心にそのような魂胆があったとしても、これは酒に限った話ではない。俺は一体いつまで不本意な職場で苦役に耐え忍び、少ない給料で糊口を凌ぐような生活に甘んじなければならないのか。晩酌も控えなければならないような経済状況はそれ自体が問題であるとも言えるし、稼ぎが多くなりさえすれば俺は毎晩でも飲むことは可能だ。俺にとって本当の望みは節制では絶対にない。

 俺の人生において、若く身体の自由が利く時間は残りどれくらいあるだろうか。遠からず俺は老いさらばえ衰えていくだろうし、そうなってから我慢だけで浪費した若い時分を振り返って悔恨の念を抱かずにいられる自身が俺には全く無い。と言うより、冒頭で述べたように子供の頃から耐えることばかりであったため、そのことで俺は相当大きな悔いを自身の生涯に残してしまっている。

 

 飲めるのは長い休みの間だけだ。盆休みが終われば、また苦しい労働が始まるだろうし、その最中に酒を飲むことはできない。それを思えばこの週末は半蔵門の酒屋へ生き、ビールを買って晩酌をする絶好の機会であると言える。逆にこの機会を逃したら、次に飲めるか飲めないかで逡巡するのは恐らく年末だろう。仮に今日飲まなければ、俺は年の暮れまで盆休みに飲まなかったことで延々と後悔するかもしれない。

 仮に死ぬまで節制し我慢したところで、俺に一体どんな得があるというのか。耐えれば「いつか」飲めるようになり、それが確定した未来だというのならまだ話は分かる。しかし、前述したようにその「いつか」など幻想にすぎない。晩酌のことなどほんの一例に過ぎず、これは人生における一切合財に当てはまることだろう。有りもしない、決して訪れない「いつか」の為にいまを犠牲にすることは妥当でも賢明でもない。

 子供の頃にそろばん塾に通わされていた時も、俺は「いつか」が来ることを夢見た。そろばんに興味が持てず、計算が嫌いだった俺は塾を無理強いする母親に辞めたいと幾度となく懇願した。母はそろばんの検定試験に合格すれば辞めても良いと俺に約束した。小学生時代の俺は珠算検定という試験を受け、5級に合格した。しかし母や塾をやめさせてはくれなかった。次の検定に受かるまで彼女は俺にそろばんを強要した。4級に受かると3級に受かるまで辞めるなと母は俺に言い、3級に受かると例によって例のごとく、2級に受かるまで絶対に辞めさせないと宣った。

 結局、母はそろばん塾を辞めさせはしなかった。俺は小学生時代の相当な時間をそろばんという無意味な習い事の犠牲にした。これは俺の生涯においてかなり心残りとなっている苦い苦い思い出だ。俺は何級であっても珠算検定に合格すれば母親が俺に塾を辞めることを許してくれると信じた。小学校が終わった放課後を自由に過ごせる「いつか」が来ると俺は思い込んでいたが、現実は先に述べた通りだ。

 小学生だった俺はいつかを信じ、裏切られた。そして俺は幾度となく同じ愚を重ね続けた。学校をやり過ごせば、東京に移住できれば、いつか必ず報われる日が到来し、これまでの生涯で積み重ねてきた辛抱や忍耐が正当化されると思い、俺はあらゆる理不尽と不本意を堪え、ただ待ち続けた。その結果として晩酌一つ出来ないような生活を強いられているのだとしたら、俺の人生は一体何だったのだろう。

 

 

 待てども暮せど、いつかなど永遠にやってこない。それに気づくまで俺は今日に至るまでの膨大な時間と労力を無駄に空費してしまった。その無益でバカバカしい人生を省みれば、俺はたまらない気持ちになる。決して納得できず、後悔しか残らず、過ぎ去った人生の一番いい時期をただただ惜しみ残りの人生を失意の中で送らなければならないのだから、正直に白状するとやっていけない気持ちになる。

 他人の満足や利益、都合のために自らを犠牲にすることは美しくもなければ立派でもない。それは単なる愚行に過ぎず、それ以上でも以下でも決してないのだ。母親の自己満足以外で、俺がそろばん塾に通う理由など何一つなかったし、行きたくもない学校に通い、就きたくもない職業に甘んじ、飲みたい酒も控える。そんな生に意味や価値を捏造し見出そうとする努力はあまりにも虚しい。

 我慢や苦労、辛抱や努力などを美徳と捉えるのは奴隷の考えだ。それは単に他人に植え付け、操作し支配する際に用いるような思想であって、自身が信奉し殉ずるべきものでは断じてない。他人に道具として使われ、利用されるために俺は粉骨砕身してきたのだからとんだお笑い草だ。その上、やりたいこともやれず、言いたいことも言えず、生きたいように生きられなかったと恨み節を書き連ねるなど滑稽の極みと言える。

 今晩は飲むことに決めた。それをしない理由が目下なに一つ見当たらないし、なによりも俺が飲みたいから飲むだけだ。これは言うなれば訓練だと言えるかも知れない。倹約や節制に凝り固まった俺の思考や生活態度を僅かばかりでも柔軟にするためには、エビスビールを飲んでも良い、というより飲むべきだ。自分の望みを実践する練習と思えば、これはある意味必要な投資であると見なせる。

 「いつか」など永遠にやって来ない、これは自らに何度言い聞かせても足りない警句だ。それを待ち続けて、俺のたった一度しかない人生をドブに捨ててしまった。その台無しになった生を最早どのような手段によっても取り戻すこともやり直すことも能わない。望むべき「いつか」がそもそも存在すらしなかったというのは、呆気にとられてしまうようなことでもあるし、またそれのために費やした自身の生涯がただの笑い話にすぎないようにも思える。あらゆる葛藤も悲嘆も、憤怒も屈辱も一笑に付してしまっても良いだろうし、そうしてはならない理由が全く見当たらない。

轍を踏む

 父と同じ小学校と中学校を出て、父と同じ部活道をやらされ、父と同じように職業科の高校に通わされた。思い返せば俺の人生は父親の人生をただなぞっていただけだ。高校が終わり上京したという点も父と同じだった。父は7年ほど東京で暮らした後に帰郷して家庭を持ったが、俺は父親よりも長い間東京で暮らしている。この点でのみ俺は父と異なっている。

 父も母も何かにつけて俺を都落ちさせたがる。キチンと生活できているか、家の中は清潔にしているかどうか、交友関係は健全かどうか、電話口で俺の生活の仔細を徹底的に彼らは聞き出そうとする。そして少しでも俺の暮らしの中で、彼らが想定する「当たり前で普通の生活」に見合わない部分があると、彼らは俺に「生活能力なし」との烙印を押し、一人暮らしなど無理だからなどと言って俺を帰郷させようとする算段でいる。

 東京に居続けられるかどうかが、俺という存在が父親と同一でないことを表す唯一つの要素だ。それ以外の経歴において、俺と父を隔てるものは何もなく、殆ど同種の個体だと言って良いほどだ。身長などは父親の方が大分高く、父は津軽弁しか話せず俺は逆に標準語しか話すことが出来ないが、それらに目をつぶれば俺は父親とほぼ同じように育てられ、似たような人生を歩んできた。

 両親が俺に施した教育は、津軽地方で被雇用者として働き一生を過ごすためのものだった。それは俺を父親と同じような人間にするためのもので、俺はそれを子供の頃からずっと嫌っていた。父や母が提示する人生モデルは、俺には何の魅力もないものでしかなかったし、父親と同じような人生を送ることも潔しとしなかった。そんな俺の言動や振る舞いを、両親は一つも理解できなかったし、する気もなかった。

 彼らは自分たちの人生に不満も疑問もなかったのだろうか。それは今となっては想像するしかないが、とにかく彼らは俺が自分たちとは似ても似つかない何かになること、なろうとする可能性を徹底的に潰そうとした。彼らにとっての理想の息子像は、俺にとっては桎梏や害悪にしかならなかった。彼らが想定した教育や躾は、俺を卑陋で頑迷な田舎者にするだけのものでしかなかった。ちょうど彼ら自身と同じように。

 

 

 津軽地方は経済的にも文化的にも全国の最低水準の地域だと思われる。そこで生きていくと言うことは、世俗的なあらゆる欠乏や不幸に甘んじることを意味する。父も母も、祖父母もさらにその上の世代も、皆そうして営々と生活をし、家庭を築きそして死んでいくことを不服には思わなかった。そして俺もまたその隊列の一員となることを宿命付けられ、物心がつく前からそれを前提として育てられた。

 父も都会に憧れたかもしれないし、故郷を嫌ったかもしれない。その点でも俺と父はやはり同じなのかも知れない、真偽は不明だが。父は高校が終わると東京の会社に就職した。景気がいい時代で、父が若い頃は高卒の就職組でも東京に気軽に出られた時代だった。父が言うには、仕事は下請けに殆ど任せて、自分たちはレクリエーションなどの計画を立てて遊んでばかりいたのだという。

 俺の時代において、高校卒業とともに就職するということは即ち、地元で働くということを意味する。俺が大学まで進んだのはそのルートが嫌だというただそれだけの理由だった。高卒で一生地元でキツく割に合わない仕事をやらされるのが、どうしても嫌だったから、それを避けるための唯一の選択肢として俺は上京しなければならず、またそのためには四年制大学に進学しなければならなかった。

 父親は家の都合で東京の会社を辞め帰郷しなければならなかったという。俺もまた長男であるため、「家の都合」で故郷に連れ戻される危険性はどんな瞬間においてもある。父親よりも母親の方がそれには意欲的で、俺の生活におけるアラ探しには父よりも余程余念がない。俺が地元で生きることを死ぬよりも嫌だと言っても、母は全くお構い無しで、単に家族が一緒に生活する状況を取り戻したいという一念でいるようだ。

 母の念願が叶い俺が都落ちすれば俺は正真正銘、父親と同じ人生を歩んだということになってしまう。父と同じ学校を出て父同じように上京し、数年東京で暮らして帰郷し、家督を継ぐとしたら俺と父を隔てるものなど最早なにもない。俺という個人の存在は完全に消滅すると言っても過言ではない。父親劣化コピーとして生きていくことは耐え難いことだが、そのような俺の気持ちを両親は決して理解してはくれないだろう。

 

 地元が嫌いで家族と暮らせず、働くことも忌避するなど、両親には恐らく想像もできないことだ。そのような願望自体も、それを抱く人間がいるということも彼らには全く思いもよらないことだろう。子供の頃から俺は、弘前の町が嫌で仕方がなったし、職業科の高校にしか進学できなことに絶望し、高校が終われば地元の工場か何かに就職させられることも死ぬほど不本意だった。

 要するに俺は、父や母と同じ轍を踏みたくなかった。両親と同じような人生を送りたくないにもかかわらず、彼らは俺を自分たち同じような人間にしようと八方手を尽くす。そのすれ違いが俺と俺の家族を著しく不幸にしたように思う。父のようにはなりたくなかったし、母親が求める人間像も頑迷で愚昧な人物であるようにしか感じなかった。両親には俺の思いなど夢にも思わないようなことだろうが。

 大学に行き、東京には出られたが、俺は結局のところ父や母と似たような人種になるしかなった。特に四六時中酒浸りだった点は、両親の生き写しだったと言っていい。また、後天的にどれほど頑張ったところで、田舎出の無知な下らない人間だというのは一生涯、覆ることなど有り得ない。とどのつまり、同じ轍を踏みたくないなど所詮は叶わない望みでしかなかった。

 俺は東京で酒に溺れた。成人してから7年ほど、殆ど一日も欠かさずに安酒を呷り続けたが、これは両親もそうしたことだ。父や母だけではなく、親族もみな一人の例外もなく酒飲みだった。気候が厳しく楽しみもないような津軽で生きるには、酒を呑むくらいしかやりようがなく、その気質を俺は受け継いだ。そしてそれは東京で暮らしている最中でも遺憾なく発揮された。アルコール依存は俺が津軽人の血を引いていることを何よりの証であったといえるだろう。

 蛙の子は蛙、親の因果が子に報い、いくらでも言い方はあるだろう。俺が俺であるということと、俺が津軽人の両親から産まれた人間に過ぎないということは不可分であり絶対に変えたり否定したり出来ない。後天的なあらゆる努力や心がけなど単刀直入に言えば無意味で無駄な徒労でしかない。生まれつきの自身の資質に依って立つ限り、俺は両親の轍を踏みながら生き、そして死ぬ以外に道はない。

 

 

 自分が自分であることを否定することでしか、それから抜け出す手段はない。彼らの息子として生き、津軽人としてあり続けようとする限り所在地が東京でも弘前でも何も変わりはない。自分を自分たらしめる全てを唾棄することでしか俺は両親と違う存在にはなれない。他人に定義された自分、環境のなかで予め定められた自己を倦み厭い、それから解かれようとするならば、生得的なあらゆる全てを否定しなければならない。

 辺境の底辺労働者として生きていくのは俺に定められた宿命だった。そして俺はそれに抗おうと散々足掻いた。大学に行ったのも東京に移住したのも、俺は先天的に定められた道から、両親と同じ轍から少しでも外れたいという一心であったように思う。思い返せば我ながら悲しい性分のようにも感じられるが、それが自分で選んだ道だから仕方がない。

 父も母も津軽で生まれ育ち、彼の地で家庭を築き終生そこで暮らすことが嫌ではないのだろう。彼らは自身の人生をどのような理屈によるかは知らないが、肯定することが出来ているのだと俺は推測する。俺よりも彼らの方がずっと幸福だろうし、また社会的にも正当な人種なのだろう。生まれ持った境遇に文句ばかり言い、悪あがきをして醜態を晒すような人間の有り様に一片でも正当性があると言えるだろうか。

 親と同じ轍を踏みたくない、という思いは全くもって正しくない。所詮人間など、家や共同体を維持するための道具にすぎない。その機能を果たそうとしない個体の振る舞いは絶対に肯定されるはずはないのだろう。俺が夢見たことや望んだことなど、今にして思えば何もかもが間違いであった。しかし、間違いであったとしても俺は今更おめおめと地元に戻ることは出来ないし、両親と同じ轍などもう、踏みたくても踏めはしない。

 だが、根本が間違っているのだから、その上で何がどうなろうと別段どうということもないとも言える。俺の生は言うなれば間違ったデタラメの生だ。その大本に何を積み重ねようとも、それに正しさなど生まれるはずがない。俺の生においては何もかもが間違っており、正しくなく、妥当でも理に適ってもいない。そのように考えれば、何もかもがお笑い草に思えてくるし、万事気楽に臨めるというものだ。それは単なる虚勢や虚仮に過ぎないかもしれないが。

忘却

 今日ここに書こうと思っていたことが全く思い出せない。今朝に風呂場で色々と、どのような運びで文章を書き連ねるか、かなりハッキリと思い浮かべていた記憶だけはある。しかし具体的な内容については一つも覚えておらず、日課の作文に普段以上に難儀している有り様だ。そのため何も考えず用意もないまま、無為無策かつ暗中模索で書き進めていかなければならない。

 自身の身の上話から始め、そこから深く掘り進めるような構成するつもりだったかもしれない。しかし、それはだいぶ前に取り留めもなく考えたことだったような気もする。要するにやはり一向に思い出すことができないままだ。どうせ大した内容の文章にならないのだから忘れ去ってしまったところで別段どうということはないのだが、思い出せればそれに越したこともないので一抹の未練は残る。

 これまでの人生で俺はどれほど多くの事柄を忘れてきただろう。大切なことからそうでないことまで、俺は他人と比べてかなりの物事を忘却の彼方に置き捨ててきた感がある。その中には失念してはならないことも決して少なくなかったかもしれない。全てを忘れてしまいたいと思うこともあるが、逆に何もかも忘れずに記憶にとどめておけたなら、どれほど得をするだろうか、と夢想する気持ちもある。

 俺の人生から通り過ぎていった、または俺が取り零してしまった諸々について、思いを馳せれば惜しむ気持ちが増していく。かつて睦まじくしていた人間の顔や名前すらも、その多くを俺は覚えたままにはしておけない。本を読んでいる時も、読み終えた本の内容を読了し次第その殆どを忘れ去る。ページを繰れば前のそれについて忘れ、一行読み進めればその前の行のことを、俺はこころに刻み込んだままにしておけない。

 今日という日に自身が浴しまたは被ったうちの大半を俺は一眠りすれば忘れるだろう。それはある意味では幸福なのかもしれない。今日の仕事も辛かったし、思い出したくもない目にも遭わされた。それらを逐一、脳裏に焼き付けたままにして生きることは言うまでもなく耐え難い。忘れるから難儀することも多々あるが、覚えられないことで精神が保たれると言う側面も一方ではある。

 

 

 俺は何を覚え、また忘れるべきだろうか。今日作るはずだった文章については忘れるべきではなかったが、今日職場で遭ったことについては覚えておくべきではない。都合よく何かを覚えたままにしておき、逆にそうでないことは綺麗に忘却できる能力が自身に備わっていたなら、俺はもっと器用に生きられたかもしれない。学校でも会社でも、よりよく立ち回ることが出来たろうし、余計な気苦労をせず済んだだろう。

 しかし、生きる上で絶対に覚えておかなければならないことなど、本当に存在しているのだろうか。現代はインターネットで大抵のことはすぐに調べられる時代だ。スマートフォンがあれば家の外でもネットで情報を検索できる。このような時代において、何かを憶えたままにする必要があるかどうか、俺は疑わしく思う。必要なことは、必要に迫られた時に随時、引き出しさえすればそれで足りるというのは極論だろうか。

 結局のところ、欲しい情報に如何にしてアクセスするかだ。現代人に求められているのは何をどれだけ覚えられるかではなく、欲しい情報に適宜たどり着き、それを適切に活用する能力である。そのように考えれば、覚えられず忘れてしまうことの弊害など実質ないと言い切ってよい。知識や情報を自身の頭の中に溜め込むことよりも、外部から必要なものを必要な時に引き出せる力の方が今の時代は求められる。

 ある情報に触れる時、それを記憶することを目的とするのは古い考えだ。脳を情報に晒し、それを処理することにより必要な情報にどのような手段でアクセスし、それを活用できるようになるか、それを可能にするための訓練が学習や調査、研究なのだと定義したい。それならば、何かをやったり鑑賞したりしたものの仔細については覚えられず忘れてしまったとしてもそれについて気に留める必要はなくなる。

 知ることと覚えることは必ずしも不可分ではない。覚えられなかったとしても、知ろうとし実際に何らかの知識や情報にアクセスしたという経験は、それについて大して記憶できなかったとしても何らかの肥やしには必ずなるだろう。二度三度同じ事物に辿り着くために必要な労力は一度目のそれよりは格段に少なくて済む。それについての顕在的な記憶は失っても、それに到達する手法や段取りは身に付けたまま保つことは十分可能だろう。

 

 むしろ、単なる記憶など強引に頭に留めない方が良いのかもしれない。これは客観的な事物に関するもののみならず、個人的な思い出の類いにもまた言えることだ。覚えておくということを人は、ともすれば美徳であったり有能さの証であるかのように考えてしまいがちだ。しかし、余計なことばかり頭の中に溜め込んでおくことは立派なことだとは言い難いのではないだろうか。

 むしろ人は積極的に忘れ、意識的に覚えずに済むようにすべきだ。生きるために絶対に不可欠なことは否が応でも人間の脳に深く刻み込まれる。つまり、覚えられないということはそもそも本来は必須ではないことなのだ。それならば逐一あらゆる一切を記憶しておこうなどと試みるのは徒労でしかない。そしてそれをしなければならず、またそれにこだわり続けようとするのは愚かさの顕れだ。

 知識はいくらあっても良いなどと言う考え方があるが、俺はそれには与しない。覚えるということはそれだけで骨が折れるし、手間も時間も気力もかかる。俺はある時、勤め先で取り扱っている商品の仕入れ単価や販売単価、卸売値から参考上代まで、各商品の全てを暗記していつでも諳んじられるようにしておけ、などといった無茶な要求をさせられたことがあるが、噴飯物だ。

 それに囚われ本来やらなければならない仕事や作業に支障をきたす可能性について、それを要求した者は一顧だにしていない。実際それでどうなったわけではないのだが、俺は精神的に余計な負担を被った。これは俺にとって間違いなく損失である。覚えていることが無条件かつ問答無用で好ましく望ましいという考えはこの例においては俺にとって害悪でしかなかったと言える。

 これは少々極端すぎる一例かもしれないが、世事の相当なものはそれと同じようなものだと俺は思う。本当に心に刻み込み一生涯、忘れないようにしなければならないことなど、人生に一体いくつあるだろう。それは実のところ決して多くはない。枝葉末節の些末な諸事については、如何に自らが覚えずに済ますかに心を砕くべきだ。要点を抑えずに何でもかんでも記憶しようとし、それができるかどうかで一喜一憂することは単に暗愚なことである。

 

 

 心に刻まずに済むことなど、所詮は大したことではない。それについて思い煩う必要などなく、それに固執するとしたらそれは単なる人生の損失に過ぎず、時間の無駄でしかない。本質的に知るということは必要な情報に適宜アクセスできるようにしておくということであり、単に一個の人間脳に些細な物事を溜め込むことでは絶対にない。覚えるために何かを見聞きするのは皮相的で無意味なことだと断じてよい。

 風呂場でのふとした思いつきや下らない会社で扱っている商品の値段など、俺にとっては何の価値もない。それは覚えられないということが何よりもそれを明らかにしている。何かが覚えられないなら、本来それは自分にとって不要であり意識から切り捨てるべきものなのだ。覚えようとすることがそもそも馬鹿げており、またそれが出来ないからと言って別段、なにかを思ったり感じたりしなければならないということもない。

 極論すれば、人生において必須なのは死なないようにすることと安全かつ快適な環境の確保だ。次点で利便性と快楽の追求くらいが必要な物事であり、それらに当てはまらないことなど捨て置いて一向に構わない。世間においては、物質的に多くを持たないことが美徳として語られることが多くなったが、それは記憶や思い出という形而上の抽象的な物事にも、そのまま当てはまる。

 どんな財産も墓場には持っていけないとよく言われるが、それは覚えたことにも言える。未来永劫すべてを暗記したまま己を存続させることなど不可能だ。仮にそれが可能だとしても、俺は御免被りたい。俺は反対に、全てを忘れてしまいたいほどだ。一個の人間として今まで経験した一切合財を全て忘却の彼方に捨て去ってしまいたい。そして忘れたということも忘れ、有り触れた言い方になってしまうが、無に帰したい思いでいる。

 だが、肉体が健在である限りは生活を営む必要に迫られる。そしてそのためには必要な局面に必要な情報を引き出し活用しなければならない。しかし、逆に言えばそれが出来さえすれば細かいことを一々覚えておく必要など全くない。博覧強記の生き字引が尊ばれるような時代はとうの昔に過ぎ去り、知識は無限に個人の外部に移しておけるようになり既に久しい。それならば人は積極的かつ意識的に覚えないようにすべきであり、それが出来ずにあれこれ覚えることに執着するのは、時代遅れの誤った考え方だと言えるだろう。

非人道

 俺は果たして、人間と呼べる代物なのだろうか。社会的な意味合いで言うところの人間の定義に、自身が含まれているのだろうかという疑念に駆られることが最近ある。いわゆる普通の人間としての人生を、俺は全くと行っていいくらいに歩めていない。それを不都合だとか不本意だなどとは思わない。だが、悪い意味で普通でない人間は、そもそも人間としての範疇に含まれていないのではないかと思うと、ふと不安になる。

 他人よりも秀でていて普通だというのならまだ救いはあるが、俺の場合はそうではない。人並みの水準に様々な面で達していないという点で、俺は普通ではない。そして俺はマトモな人間としての生涯を歩んでこなかったし、これから先もそれはどうしても能わないだろう。当たり前の経歴や青年期、家庭を築くための相手や経済力、また精神性などの諸々が、俺はやはり普通ではない。

 正常な人間が送るべき人生を謳歌している者どもが街なかに溢れているが、俺はその一群に加わることは有り得ない。普通の学校に通い、普通の恋愛をし、普通の会社で働き普通の結婚をし、普通の家庭を築き、普通に生きて死んでいく。疑問も葛藤もなく、当然のようにそれらの一連の流れに沿い生涯を過ごす個体こそがやはり「人間」豊部に相応しい。

 翻って、その意味で俺は人間ではないと結論付けられてしまうのだろう。人間が人間として生きるには必要な経歴や人間関係があるだろうし、経済力や社会的な地位というものも必要だ。通常なら生まれてからの長い歳月をかけてそれらを身に付け、人間は人間となっていく。その常道や定石から俺は外れてオメオメと生きてきたから、俺は人間になり損なった個体なのだ。

 身長や顔立ちなども普通と比べて俺は劣っている。言いたくはないが俺は背が低く、顔貌も好ましいものではない。外見だけで他人から低く値踏みされ、侮られた経験は、俺にとって一度や二度ではない。その点でも俺は人間ではない。普通の人間となるために備えていなければならない身体的な条件すら俺は満たせていない。さらに言えば俺には生殖能力すら先天的に欠落しているということも付け加えておく。

 

 

 種無しで容姿が劣り、経歴が傷や曰く付きで金も地位も持っていないような者は畢竟、人間失格だ。その一事が俺をこれまで延々と苦しめてきた、ただそれだけが。要するに俺は、公明正大に自分自身を人間に他ならないと胸を張って宣言することが出来ない。俺は社会的な意味で人間ではない、人非人に過ぎない。この劣等感や疎外感というのは平均以上の境遇や生涯を送ってきた人間には絶対に理解できないだろう。

 俺は「人間」という指標や基準にこだわり、それに達しているかどうかが常に気がかりだった。平均未満であることが露呈したり自覚させられたりすることを、俺は極度に恐れ続けた。他人に侮られたり蔑まれたりする度に屈辱を味わう時に俺は、さながらそれらの念を向けられる者どもから「お前は人間ではない」と言われているかのような気にさせられるのだ。

 しかし、自他共に自らを人非人だと見なされたり思い知らされたりすることが、本当に問題なのだろうか。優れていようが劣っていようが、単に俺はそれでないというだけだ。俺が人非人であったとしても、それを反射的かつ無条件に憂いたり嘆いたりすることは必須なのだろうかという疑問もまた湧いてくる。俺がこれまで抱いて北感情が、実のところ不必要がない心の葛藤や迷いにすぎないのだとしたら、全くお笑い草だ。

 普通の真っ当な人間、あるいは日本国民として生まれ育つことも生きることもままならないというのは、悲しむべき不幸せなことだろうか。少なくとも俺自身はそのように考えいたが、それがそもそも間違っていたのではないかという気も最近はしてくる。自分が真人間の域に達しておらず、あらゆる点でそれから逸脱した存在であることを認めるのは、ともすれば目もくらむほどの自由を俺にもたらすのではないか、とも思うようになってきた。

 俺は何かにつけて自由を志向してきた。それは極めて曖昧であやふやな夢想に過ぎなかったが、具体的で明確な自由というのは、ともすれば非人道な振る舞いや在り方の中に存するように思えてきた。人としての道や枠組みから外れた領域で生きているからこそ実践できる無軌道さや野放図、通常とは相反する全てが自由の本質であり、また実相であると言えるのかもしれない。

 

 俺は人並みのキャリアを形成できていないが、それは見方を変えれば過去に執着する必要がないということを意味してもいる。経歴に加えて俺には、個人的な思い出という面でも、振り返って懐かしんだり誇らしく思ったりするものなど一切ない。俺は自身の半生を惜しむ気持ちなど一切なく、だからこそ虚無感や悔恨の念を抱いたりもしたが、思えばそれは過去の一切から自由であるということを表してもいる。

 他人と悪い意味で違い、異なっている自分を恥じる気持ちもまた考え一つで雲散霧消してしまう。他人と自身を比べ劣等感に苛まれるのは自然の摂理でも万物を司る法則でも何でもない。単に俺が人並みで真っ当な人間として不適格だということを勝手に、自らの裁量や判断に基づいてのことでしかない。他人とは異なる原理原則で生きられるのだと考えればそれだけで気が楽になるし、実際に俺は今日までそれに則り生きてきたのだから、転向は極めて容易いだろう。

 普通や平均、標準などの尺度を絶対視して物事を捉えたり見なしたりするのは、正当でも妥当でもない。仮にそれに基づいて全てを認識して数多の恩恵が得られるならば、そうすれば良いだろう。だが、そうでないならば、例の尺度など大して当てにならない。それどころか却って人を苦しめ痛めつけ、雑多な害悪をもたらすだろう、この俺の生がこれまでずっとそうであったように。

 人として相応しくない自身のあらゆる要素を自覚する度に俺は屈辱を感じずには居られなかった。俺の欠点をあげつらうだけでなく、決めつけに基づき下衆の勘繰りであれこれと邪推し、俺の精神を完膚なきまでに痛めつける普通の人々を、俺はどんな瞬間や局面においても憎み、そして恐れた。普通の、マトモな人間でなれないことが暴かれ、思い知ることは、俺にとって死ぬより辛いことのように感じられた。

 言うまでもなく、普通でないことは罪でも悪でもない。そのことを恥じるのは義務ではない。また、それに罪悪感を持たされるのは摂理でも法則でも原理に基づいたことでもない。人間として正常で真っ当で、標準以上であることに大きく特別な意味を見い出す心が、俺の中に単にあっただけだった。その一事が覆り消え失せてしまえばそれでそれに関する苦悩や葛藤は消えて無くなるどころか、はじめから存在すらしなかったということを俺は知るだろう。

 

 

 人間として並以上で、善良で、正当であることを権威付ける必要など俺にはない。それに依って立つ立場や身分の人間ならそうすべきだが、俺がそれでないことはここまでに重ね重ね述べてきた通りだ。それならば、俺はその例の範疇や枠組みに自身の内面においてあらゆる権威付けを行いさえしなければ、俺はこれ以上苦しむ必要が全く無いということになる。

 何に依って生きるべきかは自らが選び決断すべきであるし、それは飽くまで自身の都合や適性に応じて判断すべきだろう。俺は自分にとって適切な判断の基準を持つことができなかったから、今日まで無用な懊悩を抱え込んできたのかも知れない。自分に何ももたらさない物事を深刻ぶってあれこれ思い煩うことはバカバカしい。第一俺がそれをしなければならない筋合いはどこにもない、今頃になってようやく俺は愚かにも気づいた。

 人としてどうかというのは要するに人道である。マトモな個人として歩むべき生き様があり、振る舞いがあり、超えなければならないハードルがある。それを達せないことへの劣等感や罪悪感に俺は責め苛まれてきた、四六時中だ。人としての道がこの俺を延々と苦しめてきたし、またそれにより俺は幾度となく痛めつけられてきた。他者や外界に属する一切が俺に牙を剥き俺を害しているように感じられてならなかった。

 人道から逸れることを肯定し、積極的にそれを志向することに活路を見出す以外で、俺に与えられた選択肢は存しないと言っても過言ではない。非人道と言うと何やらおどろおどろしく、後ろ暗い印象を抱いてしまいがちだが、俺は単に正道の人間とは違う生き方という意味でこの言葉を用いたい。普通の基準や範疇の中で幸福や自由を享受できないならば、それらの外であり続けることに然りと言う以外にどのような道があるというのか。

 俺は非人道、人非人という大仰な思い切った言葉で自身と自らが歩むべき道を言い表したい。正常な普通のルートでは生きていけないということを俺はこれまでの反省において嫌というほど身に沁みて分かっている。その道は俺にとって歩むべきものでもなく、またそれをしたいという願望は錯覚や思い込みの類いでしかなかった。俺は自身が「人間ではない」ということを自覚し、それを積極的かつ意識的に肯定しなければならない。それだけが天が俺に与えた道なのだ。

馴致

 仕事の内容が近頃キツくなる一方だ。従業員が一人減り、単純に人手が足りない状況であるというのがまず第一の原因だ。そしてそれだけでなく、盆休み前で仕事の量が通常よりも多いということも重なっている。それらに加えて、取り扱っている自社商品が検品やパッケージ交換、シール貼り付けなどが必要な欠陥だらけのガラクタばかりだというのが致命的だ。

 他社製品よりも自社製品の発送や出荷に関する作業が業務全体をかなり圧迫している。そのため、作業場は一日中かなり切羽詰ったような状況となり、居心地が相当悪い。技術もノウハウもなく、マーケティングもせずに作っている者の自己満足か何かのために製造されたガラクタの為に動作確認をやらされるのが嫌だ。また、箱の表記の不備などで注意書きのシールを貼り付ける作業もまた相当骨が折れる。

 業務を圧迫する馬鹿げた瑣末事が無くればいいのにと思う。自社製品のガラクタがもし全て販売中止にでもなれば、それだけで仕事はだいぶ楽になる。それだけでなく、面倒な得意先などとの取引もなくなれば、仕事の時間に余裕ができるため俺としては大変嬉しい。そのような空想を頭のなかで思い描きながら俺は、日々の苦役に耐え忍んでいるような有り様だ。

 だが、仕事が楽になることが俺にとって本当の望みだと言えるだろうか。多少楽になったとしても、会社が別物になるわけでもなければ、労働環境が著しく改善されるわけでもない。職場の人間関係において、居なくなればいいと思っている者どもがいるが、それらが消え失せるのでもない。にもかかわらず、俺が心底望んでいるのが「仕事の量が減ること」だというのだろうか。

 答えは断じて否だ。俺は今の会社そのものを嫌っている。本当の望みとは苦役を少しでも軽いものにすることではなく、それ自体からの解放だ。しかし、単に仕事をバックレて会社を辞めることによってではない。俺が解かれなければならないのは下層階級の卑しい身分からだ。それは突発的にいま働かされている会社から逃げることは達成できないのは言うまでもない。ましてや目下の仕事の量の多寡など問題ではない。

 

 

 自身が抱いている思考の動きを意識的に顧みる時、しばしば俺は愕然とする。気づかないうちに自分の精神が他人や環境などの外的な要因により、支配されているように思われてならない。あれがなくなれば、奴が居なくなれば、仕事が楽になるのに、という発想においては、会社という枠組みの外に己が抜け出すという選択肢がはじめから考慮されていない。

 つまり、知らぬ間に俺の頭の中は会社に雇われて生きることが当然で疑う余地が無いことだと見なされている。そのことを日ごとに苦しさを増す仕事の中で思い知らされ、俺にとってそれは青天の霹靂のようだった。与えられた枠組みの中で少しでも楽になろうという発想が骨の髄まで身に付いているのは、我ながら信じがたいことであり、また悲しむべきことのようにも感じられた。

 家畜のように馴致された労働者としての自分がそこには居た。いつからか、俺は自由や幸福を志向することを諦めてしまった。そしてそのことを自覚もせずに、半ば眠ったように唯々諾々と辛苦の中でただ無為無策で耐えるという愚かな生き方をしてきてしまった。俺は学校や実社会で自身の望みや願いを挫かれる経験があまりにも多すぎたから、そのようになってしまったのかもしれない。

 物心ついた時から、俺の人生には雇われずに生きるという道が示されてこなかった。生きるということは働くということであり、また働くということは赤の他人に雇われ使役されることを意味していた。子供の頃の俺の周りに居た大人たちは皆そのようにして糊口を凌ぎ暮らしていたし、彼らは躾や教育などにより俺を自分たちの隊列に加えようと試みた。何者かから雇用され一日中働かされ、給料を貰いそれをやりくりして死ぬまで生きることは自明であり当然のこととされていた。

 俺自身、それに大きな疑問を抱くことはなかった。漠然と前述のような生き方を厭う気持ちだけはあったが、それは仕方がないことだと思い己をただ納得させ、他人に従うことを俺は選んで生きてきた。他人に使われずに生計を立て生きる手段を講じることもなく、俺は被雇用者として労働に従事するための教育を受けた。そして俺はめでたく、くだんの生き方をするしかない、弱く情けない、下らない人間となって今ここに存在している。

 

 長い時間をかけて俺は雇われて生きる者として精神を鋳型に填め込まれるようにして、仕込まれてきた。俺は生活習慣から考えや思い、願いといったものまで他人の思惑により定められ、それらから自由になれずに人生を無意味かつ無駄に費やした。中小零細企業の劣悪な労働環境から抜け出そうとも思わず、その中で如何に苦しまずに楽に就労時間をやり過ごすかに心を砕いているのが、その何よりの証拠だと言える。

 俺が通っていた大学は実質就職予備校のようなところで、就職をゴールにして4年間を過ごす事を前提とした学校だった。俺は学生時代、その校風に腹の底では「嫌なもの」を感じていて、それで色々とやる気が起きなくなり塞ぎ込んで引きこもり気味になりながら毎日をただ無為に過ごした。他人に使われずに済むような行き方、自由な身分になるために具体的に何をどうすれば良いのか、道筋も指針も無く、当時の俺は途方に暮れた。

 大学を放り出された俺は職を転々とし、正規雇用であれ非正規であれ、誰かに屈服し苦役に耐え忍ぶような生活を強いられた。労働がもたらす心身の疲労と、過去への後悔と未来への絶望、現在で被る汚辱。俺の20代はただそれらだけが満たされた代物でしかなかった。俺はどこの職場でもどんな仕事を理不尽で不条理な目に遭わされてきたし、それはいま働いている会社においても全く変わっていない。

 俺はあまりにも長い間、他人に扱き使われ過ぎたのかもしれない。大学から放り出され学生という身分を剥奪されてからこっち、俺は他人に使われることで糊口を凌ぎ、雀の涙ほどの賃金により爪に火を灯すような人生を送ってきた。それこそが俺にとっての日常であり、そうでない生き方など遠い彼方の別世界の話のようにしか思えなかった。

 

 

 貧困と自己同一性が、俺の中では完全に不可分なものとなっていたのだ。苦しい仕事に貧しい暮らし、それらこそが自身の人生であり、逃れられない宿命だといつしか俺は信じ込んでしまっていた。さらに言えば、赤の他人に献身や奉仕することを常とし、時間や労力を乏しい賃金に変えて生きることを当然のことと捉えていた。それを嫌がることすら、俺はすっかり忘れてしまった。

 本当に避けなければならないのはガラクタの検品や嫌な客と対応、好ましからぬ社内の人間などではなく、俺がそれらを被らなければならない環境そのもののはずだ。つまり、下層社会で低賃金労働者として生きる事を前提とした境遇そのものからの脱却だ。先に挙げた諸々の事柄は、謂わば枝葉末節のどうでもいい瑣末事に過ぎず、それら一つ一つに不平不満を言い立てることは建設的でない。

 別の会社に転職しようと思った時期もあるが、それもまた皮相的な対処だ。これまで俺は、一体何度職場を変えたか知らないが、それによって自身の暮らしぶりや就労環境が好転した例がない。下層階級の被雇用者という身分である限り、どこのどのような仕事に就こうが、根本的な解決には到底なりはしない。俺が勤め先を憎みながらも辞められないのは、そこから逃げたところで同じかそれより酷い仕事をさせられるハメになる、ということが明らかだからだ。

 今働かされている会社の中で待遇を改善することも、転職して別の職場に移ることも、俺には何ももたらさないだろう。それは容易に想像できることだ。金銭的かつ時間的な余裕を自らにもたらす方法があるとするならば、俺は他人に雇われたり使われたりして生活せずに済むようにする必要がある。最早職場でどのような目に遭おうとも、俺の生涯における大勢には何の意味もないことだ。

 目先のことに目を奪われ、目指すべき所を取り違えないようにしなければならない。貧困や賤業から抜け出す為に、己が何をすべきで何を考えるべきか、逆に何をすべきでなくどのような考えや思いにとらわれないようにすべきかを常に自問しなければならない。仮に目下の仕事が多少楽になり、待遇がマシになったとしても、俺は絶対にそれに喜んだり満足したりすべきではない。俺が達成すべき目標はそれではない。枠組みそのものから自らを解くことを第一に考え、それだけを見据え見失わないよう、ゆめゆめ心に刻みこむべきだろう。

箱庭

 子供の頃に土手の上から周りを見渡した時、津軽平野が天然の箱庭のように見えた。高い人工物が一切ない津軽平野においては、岩木山だけが一際高く聳えている用に感じられる。そしてその山裾に別の標高の低い山々の稜線が連なり、弘前をはじめとした町や村々を取り囲んでいる。連なり周囲を取り囲む山々により、俺が見上げた空は縁取られ、まるで自分が閉ざされた世界の中に居るような錯覚に陥ったものだ。

 地理的な条件で見れば確かに津軽陸の孤島である。北を海、残りの三方を山に囲まれたその地形的な条件は、自然が成した牢獄のようにも思われる。津軽はあらゆる大都市と接続していない。札幌からも仙台からも遠く、東名阪などは言うに及ばずだ。文化的にも言語的にも全国的な標準とは全くその様相を異にしていると言って良い。それは津軽が田舎というより物理的に「外界」から隔離された異世界だからなのかもしれない。

 とは言っても津軽の内と外は別段、封鎖も隔離もされていない。国道や鉄道はもとより、海路でも空路でも外に出ることは容易い。その点で考えれば、子供の頃の俺が自身が所在する彼の地を指して箱庭だの異世界だのと言うのは謬見だろう。しかしそれは物理的に理論上は外に開かれているだけだ。実質、俺の見解はやはり正しいのだ。外部の人間にとってはどうかは知らないが、少なくとも津軽人にとって自分たちが生きる領域とその外側との間には明確な線引がされており、その多くは自分たちが生まれ育った馴染みの土地から出ようとせず、また出たくても出られない。その点で津軽を閉ざされた箱庭的な世界と捉えたかつての俺の見方は間違いではない。

 それは言わば物理や地理によるものではない、精神的な見えない心の壁により閉ざされた小世界と呼ぶべきものだろう。前述のとおり、全津軽人はその気になれば都会に移住することは可能ではある。貧しい町や村、厳しい気候から逃れ、都会に逃げようと思う津軽人は決して少なくはない。しかし、それを実行に移せるものは稀だ。一人一人の津軽人を自らの故地に繋ぎ止めるのは、自分たちが生き、死んでいく世界は飽くまでこの領域の中に限られるのだという考えや思いの様式なのだ。

 俺にとって津軽、とりわけ弘前は生まれ育った場所であり、既知の世界である。そこに自身の全人生を限定し、そこで生涯を完結させるのは、見知った町や土地の外で生きるよりも遥かに簡単だ。それでも俺は例の箱庭的な小世界から抜け出して、余計な苦しみを被ってでも外で生きる道を選んだ。その選択を俺は誤りだとは思っていない。むしろ、間違いや失敗だらけの自身の生涯において、それに限っては英断だとさえ思っている。

 

 

 しかし、俺はくだんの箱庭から脱したにもかかわらず、依然として閉塞感や自身の生が閉ざされ、行き詰まっているような感がある。津軽という物理的かつ地理的な隔たりから全く無縁な世界で生きている筈なのだが、それでも現在の俺は冒頭で述べたような子供の頃に抱いた感覚をこの東京においても味わっている。いまの俺にとって、障壁となり、自身を矮小な領域に閉じ込めている原因は一体何なのかと、俺は不意に自問する。

 例の心の壁が俺の生活や人生全体を取り囲み、東京においても俺を箱庭的な狭い世界に留めている。そしてそれを形作っているのは自身がこれまで生きてきて築き上げた好き嫌い、ひいては願望などなのかも知れない。それが現在の俺にとっての既知の世界を構築しており、それがそのまま心の壁となっている。そしてそれが俺の一挙手一投足や精神活動や情動などに至るまでの一切合財を制限する。俺の人生が行き詰まっている原因はそれだろう。

 好き嫌いや望みを追求することが自由な生き方だと漠然と思って生きてきた。しかしそれこそが不自由さの源となっていたと考えれば、現状で俺が感じている行き詰まりが腑に落ちる。津軽平野の物理的な環境よりも、俺の精神が定めた価値判断の基準に基づいた生き方の方が、俺にとってはより重大であった。心の壁が作り上げた箱庭から出られなかったからこそ、俺の人生は延々と停滞し続けてきたのだ。

 好きだから固執し、嫌いだから避け、望んでこなかったことだからしない、などといったある種の条件付けにより、俺のあらゆる活動は制限されていた。それが見えない壁なり、俺の肉体と精神を形而上の牢獄に幽閉していたのだ。津軽平野という天然の箱庭から出ても俺は、観念上の心のそれの外側については、終ぞ知ることもなく今日に至っていると言えるだろう。

 好きでもないことや、望んでもないことに対峙した時にこそ、新しい境地が拓けるのかもしれない。既知の小世界に留まることに息苦しさを感じている俺には、それこそがまさに必要なことなのだ。子供の頃にふと感じた例の行き詰まりや窮屈な感じは、今になってひときわ増しているように思えてならない。険しい山々の尾根に縁取られた津軽の空を見上げた時に味わった自身の有限さを東京にいる現在もなお被っている。

 

 好きなことは既に知っていることであり、望みも願いも過去に属している。それらを踏まえた生き方は、閉じたものにならざるを得ない。改めてみれば当然のことだ。未知の領域、未だ見知らぬものは全て未来に存しており、それには好き嫌いや望みや願いなどを抱く余地などない。俺は過去に固執して生きてきた。好悪や夢や希望、願望が既知の世界観を作り上げ、それが見えない心の壁となり自身を取り囲む。つまり俺が脱したかったのは他ならぬそれからだった。

 俺に限らず、好き嫌いや期待という想定が作る箱庭の中で、多くの人間は生きているのではないだろうか。その狭く小さな世界の中で足掻きながら、生涯の多くの時間を費やしているのが従来的な普通の生き方であり、俺はそれを潔しとしなかった。しかしそのことについて、ハッキリと自覚することができず、何から遠ざかり、抜け出せば良いのか判然としなかったから俺は行き詰まっていたのだと気づいた。

 無論、明確に望ましくなく、また嫌いで憎むべきことは当然避けなければならない。しかし、少なくとも嫌でないならばそれを殊更に厭う理由など本当はないはずだ。好ましく望んでいる何か、最良の選択や結果といったものに固執したために俺は、既に知っているところに留まるしかなかった。ベストに固執すればするほど、人間というものは不自由になっていく。

 望みや好みなど、詰まるところ当てにならないどころか却って有害なのだ。これまでの人生が完全無欠で満ち足りたものであるなら、自身の過去に基づいた好悪の判断や望ましい結果に執着することは間違いではないかもしれない。だが、そうでないのなら過去に基づいた価値や判断を絶対視すべきではないだろう。俺はこれまで、愚かにもそれをし続けてきたのだ。

 好きなものへのこだわりは、過去への執着と完全に等号で結ばれる。過ぎ去った時間や場所で経験したかつての思いや考えこそが、自分が好きだと「思いこんで」いる事物と結び付けられる。それは他人その時点でそのように見なしているに過ぎず、それは絶対的に盤石な基準でもなければ、普遍の原理でも法則でもない。好きなことは人間の選択肢や視野を狭めかねないものであり、それに固執する姿勢は自由とは程遠い。

 

 

 子供の頃から俺は、好きなことしかやりたくなかった。願いや望みが叶わなければ人生は生きるに値しないと思っていた。俺はそのように延々と思い続けてきたが、結局のところ好きでもないことに一日の大半の時間を割き、願望などまるで反映されない生活を営んできた。俺は好きなことが出来ず、大願が成就しないから問題であり、自身の人生が不幸せで不自由で、最低なのだと考えてきたが、これまで述べてきた通りそれは根本的な謬見だった。

 「好き」や「望み」などといった一見ポジティブなものに疑いの目を向けるべきだったのだ。それらは過去の経験や記憶から端を発し、人間の精神活動を制限するものだ。それらを絶対的な基準として振る舞えば人は、選択の幅を狭め自身が見知った領域の中だけで生きることになる。その領域こそが心の壁により取り囲まれた抽象的な精神の小世界、本稿で重ね重ね言い表すような箱庭となる。

 行き詰った人生を変えるには、見知った矮小な世界から一歩踏み出さなければならない。そしてそれを実行に移すには好きなものや馴染みのものから意識的に遠ざかり離れる必要がある。かつての俺が生まれ育った故地である弘前津軽を唾棄して外を目指したように、いまの俺は好きなものや望みから敢えて距離を置くべきときが来ているのだろう。

 既知の世界に留まり続ければ人間は淀み、腐る。俺が自身の生を持て余し、満たされず窮屈さを覚えていたのは、見知った領域から出ようとしなかったからだ。それは生まれ故郷などといった目に見えるわかりやすい形の事物からの遁走ではなく、心の動きを定める判断基準としての願望や好きという感情の方を手放し、遠ざからなければならなかったのだ。

 卑陋な箱庭から俺が真の意味で抜け出し、あらゆる意味において解かれるためには、慣れ親しんだ好ましい全てを求め、逆にそれに当たらない一切を避けようとする判断や峻別に頓着しないようにならなければならない。好きなことも望んでいたことも、一度全てかなぐり捨てて、全く望んでもいない好ましいとも感じてこなかった何かや何処かを志向するのは、最早必須であると言えるだろう。

困憊

 図書館から本を借りすぎて窮地に陥っている。次の日曜日までに返却しなければならない本が5冊あり、そのうちの2冊は貸出期間の延長が出来ない。よって、延長ができないものは返却日までに読了しなければならない。そして、今この時点で、2冊のうち読み終わっているのはわずか1冊のみ。月曜日からは仕事をしなければならず、仕事の合間に読書をしなければならないということになる。

 読み切った1冊も日曜日の全ての時間を費やした。それは文庫本であったため読了できたが、残りの1冊は単行本でしかもかなり分厚く、内容も平易でないときている。俺は手元に置いてある四谷図書館から借りてきた本を前に焦燥の念にかられている。貸出期間の延長可能なものは保留するとしても、それが出来ないものは是が非でも次の日曜までに読破しなければならない。

 もしかしたら無理かもしれない、という懸念が俺の頭の中に浮かぶ。朝から夜まで働き、食事を摂りブログの文章を作り、選択やら何やらをしながら、それらに割かずに済んだ時間を読書に充てたとして、読み切れるかどうか甚だ怪しい。加えて俺は睡眠にかなりの時間を割かなければならず、それもまた不安材料となる。ブログの記事の更新をサボればもしかしたら間に合うかもしれないが、それだけはどうしても罷りならない。

 土曜日は国会図書館に行き、そこにしかない本を読まなければならない。そのため土曜日はまるまるその場所で別の本を読むことに費やされる。そこに所蔵されている本は館外へ持ち出すことが出来ないため、俺はわざわざ毎週末には永田町まで自転車で出向き、閉館になるギリギリまでそこで読書をする。これは土曜日には絶対に欠かしてはならない行動なのだと、俺は自身に強く戒め、課している。

  要するに、俺にはとにかく時間がない。俺は毎週日曜日に千代田区と新宿区の図書館に毎週交互に通い、各々の図書館で借りた本の返却と新たな本の貸出の申請をする。各図書館の貸出期間は2週間で、それらに交互に赴く度に本を3~4冊借りているから、俺の手元には常に7,8冊くらいの借り物の本が常にある状態となっている。働きながらそれだけの本に目を通すのはかなりの労力を要する。

 

 

 働かずに済めば今以上に本を読めるのに、と俺は最近いつも思う。労働に費やす時間が俺にとってはムダで無意味なものに思えて仕方がない。また、世の中には賃金労働などという馬鹿げた愚行に及ばずに済む人種というものが掃いて捨てるほど存在しているのだということも頭によぎる。そして、俺自身は何故そのような身分ではないのか、後天的にそれに成ることが出来なのか、何故生まれながらにそれでないのか、といった不平不満が胸中で渦巻く。

 資本主義社会において、他人に雇われなければならない身の上というのは問答無用で負け犬であり不幸な存在だ。俺はその認識について、絶対に誤魔化してはならないと思っている。それは当人にとって、と言うより俺にとっては極めて不都合な事実ではあるが、それを仕方がないだとかそれが当たり前なのだから、などと正当化すべきでないと考えている。それは精神的な敗北だと言える。

 端た金で人生の大半の時間を他人に捧げることが、良いことであるはずがない。俺はかつて販売や積極の仕事をした。工場や倉庫でも働かされた。オフィスでも働いたし、清掃業の職に就いていた時期もあった。そしてそれらのどの職場も、単刀直入に言えばクソ以外の何物でもなかった。給料は平均未満で拘束時間は平均以上、組織や上役への忠義や献身、滅私奉公を当然のこととして要求する最低人間の巣窟だった。俺が目下、働かされている会社もまた例外ではない。

 時間だけでない、それらは俺から多大な体力と精神力を搾取する。それらの職場で苦役に従事すれば、それ以外のことを日常でやる気力などとても湧かない。それは俺が単に物臭で根性がないということもあるかもしれない。だが、そもそも働かずに済めばそんな問題は端から生じないということもまた無視すべきではない。有限な生涯の大半を他者へタダ同然で明け渡すことを、仕方がないの一言で済ますことなど俺には出来ない。

 かつて俺は先がない苦しい労働に耐えながら生活を営む為に酒の力を借りていた。それは俺の意思が弱く、精神的に問題を抱えていたということも理由の一つではあろうが、大本の原因は仕事が辛く将来における明るい兆しもなく、その現状から抜け出す術が差し当たり見当たらないからだった。下らない仕事で被る疲れも悔しさも酒を飲めば取り敢えず棚上げにすることはできた。酒の唯一の効用とはまさにそれであり、俺はそれに頼らずには生きられなかった。

 

 今の俺は酒とは縁を切り、文章教室に通いながら読書をすることに余暇の全てを割いている。働きながら困憊の中、良い文章を作ろうと悪戦苦闘している。そしてそれをする上で当然、読書という行為を避けて通ることは出来ない。文章力を向上させるには可能な限り多くの情報を得なければならず、それはネットで得られるものだけでは十分ではない。そのため、体力的に辛くても図書館に通わなければならず、精神力を振り絞り疲労を感じながらでも紙面に視線を投げなければならない。

 働くことを詭弁により正当化することは罷りならないとしても、現状の生活が疲労と不可分なものであることを隠したりそれを誤魔化す必要はないだろう。読むことも書くことも俺にはやはり骨が折れる。どちらか一方だけならばまだどうにかなるが、インプットとアウトプットを自らに課し、日常的にそれらを継続して行うのは苦しみが伴う。酒に溺れている暇など、いまの俺には一切ない。

 休む時間も欲しいし、本を読んだりものを書いたりする時間も欲しいが、それは叶わない望みだ。働かされている時間の全てが自分のものだったなら、俺はどれだけ色々なことが出来るだろうかと妄想する。そしてそれが実現しない現実に幻滅されもする。労働が俺の人生から自由を失わせ、新しい何かをする時間や新たな情報を得る機会を奪っているのを感じずにはいられない。

 そのような思いを一生涯することもなく、好きなことに興じ道を極められる人種を、俺はたまらなく妬ましく思う。また、その手の連中と俺が何かの分野で勝負したとして、勝ち目など万に一つもありはしないとも思う。好きなだけ本を読めたり創作をする時間がある恵まれた人間だけがそれを専業に出来るのだとしたら、俺には一切の望みがないということになってしまう。

 疲労困憊でも、現状の生活から抜け出すには何かをしなければならない。その何かが俺にとっては本を読むことであり、また文章を作ることなのだと今は考えている。それ以外の方法で俺が浮かび上がり貧しさと卑しくキツい仕事から解かれ自由な身分になる方法はない。他のやり方ではどうしても無理だ。それはこれまでの人生が証明している。真っ当な方法で、俺が幸福になれる可能性は皆無だ。

 

 

 その真っ当な方法とやらで俺が目下の苦境から脱しようとしても、やはり疲れを感じながら何らかの行動を、仕事以外の何かに及ばなければならないことは必定だ。向いておらず、好きでもないことで疲れながら無理をするくらいなら、多少は適性や興味があると思しき分野で勝負したい。望みがどれだけ薄くても、俺は疲労困憊の中で読み、書き、それらと並行して不本意な労働に耐え忍ぶ必要がある。

 無産者のワーキングプアである限り、俺には時間も自由もない。その現状を好転するには、多少の無理には甘んじる必要があるのは言うまでもない。それを厭うなら俺は一生涯、低賃金労働者として生きなければならないだろう。重ねて言うように、それを肯定したり妥協したり、ましてや正当化するようなことは絶対にしてはならない。実人生というものに於いては本来、仕方がないは禁句だ。

 逆に言えば、追い詰められているからこそ具体的な行動に出られるという側面もあるのかも知れない。今日のことでも、借りた本の貸出期日が迫っていなければ、俺は一冊の本も読むことはなかっただろう。俺に限らず、人間というものは必要に迫られなければ何もしようとしないものだ。時間や気力が有限で、心身の限界がすぐ背面にまで迫っている状況は何かをするには却って好ましいと捉えることもできる。

 何かを為すには人間は苦しまなければならない。能動的であることを肯定するならば、それに伴う苦しみや疲れといったものにも、また抱き合わせで然りと言わざるを得ない。現状に甘んじることは容易い。書くことも読むこともせずに安酒を呷り卑しい職業に就くことを正当化することは楽ではある。泥酔し、酩酊の中にいれば苦しみもなければ不安も焦りも恐れもない。

 それを潔しとしないからこそ俺はわざわざ七面倒臭い諸々の事柄に手を染めている。このブログですら、本来なら続ける必要などない。毎日苦しい労働に従事しているのだから、それに加えて無意味な文章を書き連ねて余計に気力や体力を浪費するのは馬鹿げている。しかし、俺はすでに書かなければ不安であり、読まずにはいられない。このまま何も為せずに停滞して年老い、他人に使役され屈辱の中で死んでいくのは、疲れるよりも辛いことだ。

受取拒否

 他人から侮蔑や嘲弄の念をよく向けられる。仕事などではアカラサマに見下されることがままあるし、行きずりの場で指を差されて嘲られることすらある。あらゆる悪感情があらゆる他人から俺に向けられているのを日常において頻繁に感じる。そしてその経験や記憶が、前触れもなく頭の中に去来し、苦々しく思い起こされる。両親ですら、俺を蔑んでいることを隠しはしない。

 それらの局面において、俺はどうすることもできなかった。いつも見えないフリや聞こえないフリを装うか、それらが能わなければ適当に愛想笑いで誤魔化すかだ。キレて相手に襲いかかりたくなるような場面もあるが、生来の小心なタチが幸いし、未だそれには至っていない。そんな手合いの挑発に乗り、自分から過失や攻撃材料を的に与えるような愚を、今のところは犯すことなく済んでいる。

 だが、既存され辱められた俺の精神はそのままだ。これまでの人生において、俺は一貫して泣き寝入りをしてきた。そうする以外に選択肢がなく、ただひたすら寿命が尽き此の世から説かれるまで辛抱しなければならないのだが、この精神的な負担をどのようにして軽減するかは、俺にとって決して避けて通れない問題だと言える。対策を講じなければ、いつ自身が暴走してしまうとも知れない。

 そもそも他人共は自分の心情を俺に伝えることで、一体何がどうなると考えているのだろうか。まずその点が俺には理解できない。見下し、あざ笑うことで刹那的に優越感にひたるのが、それほど快いものだというのか。それもまた俺には到底理解できない感情だ。要するに俺はナメられているのだが、そのナメる言動に一体どのような価値や意味があるのが、どれだけ頭を捻ったところで俺にはやはり見当もつかない。

 結局のところ、理解不能な挙動や思考、情動の類いでしかないそれについて、考えるだけ時間の無駄という話になる。俺にとってその手の感情を表明してくる手合いというのは、動物よりも不可解な存在で、その上きわめて有害極まりない人種でもある。そのような連中の内心や心情などといったものを慮ったり察したりすることは出来ないし、またする必要もないと言えるだろう。

 

 

 無益な感情を表に出し、何かを言ったりやったりしてくる者どもというのは畢竟、どうしようもなく幼稚なのだ。己の感情が刹那的に満たされるという、ただそれだけのために他人を害する行為のどこにも正当性などありはしない。そんな冷中が表明する気持ちになど、塵芥ほどの価値もないということは言を俟たない。俺は、そのような人種と深く関わることを極力避けなければならない。

 しかし、怨憎会苦は此の世の逃れがたい苦しみの一つだ。どれだけ避けようとしても、そういう御仁は此の世の至る所に生息しており、それらの全てとの一切の交流や接触を断ったまま生涯を全うすることは実質的に不可能なのは言うまでもない。それらは単に災いと見なすべきだ。悪徳を持った人間としてそれらを認識するのではなく、それらは事故や災害と同一視し、それらから自身を守る対策を講じるべきだ。

 それらが明け透けにし、表明してくる、それらが具有しているとされる気持ちや魂胆といったものの受け取りを拒絶すること、要するにこれに尽きる。感情や精神と思しきものを例の者どもが有しているかどうかの、それはどうでも良い。仮にそれら若しくはそれらに類するものを具有していたとしても、俺がそれらに配慮したり阿ったりしなければならない義務などない。これだけはいくら強調してもしすぎるということはない。

 俺はお前を下に見ている、バカにしている、蔑んでいる、などといったそれらの考えを逐一、言葉や行動で示してくる者どもの内面の気持ちや感覚、情動のすべての受取を俺は拒否する。第一その者どもが俺についてどのように見なし、考え、評価していようともそれは俺とは全く無関係な事象でしかない。それらの一切はそれらを有する当の本人だけの占有物であり、俺がそれらを共有して一々何かを思ったり感じたりする謂れはない。

 世間ではよく、他人の気持ちを考えろなどいう考えや文句が流布されているが、俺はそれとは真逆の道を進みたい。即ち、俺は他人が腹の底で思ったり考えたり、感じたりしていることの全てに関与も関知も一切しない。個体がその内面で抱くものは、全てそれ自らが背負い、処分すべきものであって、それの発端が仮に俺にあったとしても、それは俺とは全く関係のないものだろう。

 

 どう思われても、何を言われても、さらに言えば何をされたとしてもそれらで以って俺が何かを思ったり感じたりする必要はない。仮にそのようなことをしてしまえば、俺は敵の術中に嵌ってしまうことになるだろう。現に俺のこれまでの人生がそうであったが、それは他人に自身の主導権を握られるということに他ならない。挙動や精神活動の全てを他人に委ね、操作されていると言っても、決して過言ではないのだ。

 そのような状況に甘んじる必要性もまた一切ない。要するにそれは他人の顔色をうかがい、機嫌を取り、それの評価や心情に一喜一憂しているのだ。それは精神的にその対象に俺が隷従しているということでしかない。そしてそうでなければならない理由など、言うまでもなく一つもない。そのため、俺がそれをしないと心に決め、現にそうすればそれで話は終わってしまう。

 それが罷りならないと宣う御仁も大勢いる。実際に俺は他人の気持ちなど我関せず、といったような態度でいると、他人共の中において俺の所作や言動に気分を害したなどと言う者が必ず発生し、このようなことを俺に言ってくる。

「お前は俺をナメてんのか」

 この発言をどのように捉えるべきか。発言者は俺を己よりも格下の存在と見なしており、俺が自分(つまり発言者)を心の底から敬い崇め奉るのが当然だと考えている。またそれは、力づくで無理やり強要させた上での隷属ではなく、俺の自発的な自由意志によって自分のこと(しつこいようだがこれも発言者)を崇敬するのが望ましく、またして然るべきだと思っているのだ。

 俺の側から言わせてもらうなら、それこそ「ナメてんのか」と意趣返しに言ってやりたくもなる。どれだけ俺のことを軽蔑していればそのような考えができるのか。これは俺の被害妄想や邪推などではない。実際にそう思っていなければ、お前はこの俺を尊敬しろ、献身しろ、奉仕しろ、それを当然のことだと考えて俺に全てを捧げろ、嫌だと言ったり思ったりすることは絶対に許さない、などとどうして言えるだろうか。

 他人が俺をどう思おうとも勝手であり自由だ。それに基づき、俺に何を言い何を使用がそれもまた俺がそれを禁止することはできないだろう。しかそ、それらを受けて俺が何を思い何を言い、何をしたところでそれもまた勝手である。人間は感情を共有したり共感することができる生き物だとされている。しかしそれは、飽くまで出来るだけであり、しなければならない義務を負っているのではない。

 

 

 人間が抱いた感情は、飽くまでその当人だけが自らの内で処分すべきものだ。手前の腹の底の魂胆などを臆面もなく表に出し、他人に負担を強いたり苦しめたり痛めつけたりする権利など誰ひとりとして有していない。この一点に限れば、俺は決して間違ってはいないと胸を張って言える。俺は他人の気持ちなど関せず、逆もまた同じだ。それが正しくまた健全な精神と呼ぶべきものだろう。

 他人から何かが郵便や宅配で送りつけられた時、それが不要であれば当然受取を拒否する権利が万人にある。それと同じように、言葉や感情のやり取りでも、他人が俺に向けてぶつけたり投げかけたりしてくるものを受け取らないという選択肢は常に用意されている。俺は子供の頃から、他人から送りつけられる諸々のものを馬鹿正直にすべて受け取ってきた。先の例えで言えば、受取拒否すべき有害で危険な郵便物や宅配物を全て受領し、抱え込んでいたようなものだ。

 受け取る必要が無いものは拒絶すればいい。先の例えで言えば、受取拒否された物は郵便であれ宅配であれ送り主に返送される。受け取られなかったものは送りつけた者が引き受けなければならない。言葉や情緒のやり取りでも同じことだ。害悪となるそれらを被った者がそれらを受取拒否すれば、それらを表明した者、投げつけた者、放った者にそのまま返送される。受け取りさえしなければ、受け手は無傷のまま、送り手が全ての禍を背負うことになるだろう。

 重ねて言うが、バカ正直に他人が投げつけるものを受け取ることは愚かだ。要するに他人に何を言われようが思われようが、気にしないということで、それは一種の呪詛返しだ。すべての言動は受け取らなけば放ち表明したものにそのまま全て戻ってくる。戻ってきたものをどのように処理するかは返送された者がその全責任を負わなければならない。

 あの時あいつにあんな目に遭わされた、あんな思いをさせられた、などと逐一記憶し、反芻するのは他人の有害な贈り物をそのまま受け取り手元に置き、抱え込んでいるに等しい。一度受領してしまえば受取拒否からの送り主への返送は難しいかもしれないが、受領してしまったものを延々と手元に置き続けずにゴミとして捨ててしまうことは出来る。俺は唾棄し一顧だにすべきでない他人の感情や発言の全てを、過去のものは捨て去り、現在ないし未来のものは受取を拒否するつもりでいる。

逃げも隠れも

 酒に溺れた日々を今頃になって思い出す。大学時代から労働者に堕するまでのおよそ7年ほどの間、俺は一日も欠かさず酒を煽り続けたものだ。この世の中は俺にとってはあまりにも過酷で居たたまれなく、辛く苦しくて仕方がない場所だ。それは学生時代から現在まで全く変わらず、その時期ごとに特有の面倒や艱難があった。そしてそれらを解決する術など、俺には何一つありはしなかった。

 だから俺は酒を飲んだ。それ以外に手段がなかったからだ。酒を飲み酩酊に耽ることで俺は全てを忘れようと試みた。俺には苦境を打開する方法も無ければ知恵も機転もなかった。また、日々の暮らしの中で被るあらゆる苦しみを吐露する相手も存在しなかった。ただひたすらに受難を重ね、傷つき疲れ追い詰められ、俺はこの世のどこにも逃げ場がなかった。

 だから長らく、飲むしかなかった。俺にできるのは安酒を呷り現実逃避をすることだけだった。アルコールで酔っている間は過去にも未来にも考えが及ばず、安心して眠れた。毎日毎夜、気絶するまで飲み、仕事が終わり夜になれば食事をしながらただひたすら一人きりで飲み、また気を失い一日が終わるという有り様。数年もの間、俺の身体からアルコールが抜けることはなかったと言ってよい。

 精神の酩酊状態だけが俺にとっての居場所であり逃げ場だった。その状態をどれだけ長い時間、維持するかが俺の人生の全てだった。どれだけ深く酔うことができかということの他に、俺は一切関心がなかった。それだけ俺の生は辛く苦しく、また虚しかった。シラフで生きるには、この世界はあまりにも厳しすぎるように思えてならず、生涯を通して俺は酒を飲み続けると決め込んでいたほどだ。

 そんな俺も、内臓や脳をアルコールに冒され、連続飲酒に終止符を打つことになった。離脱症状で散々苦しんだが、現在は酒を呷ることなく日常生活を営むことが出来ている。しかし、生きながら感じる苦しさや虚しさは拭い去ることができず、目下の俺にとっては単に現実逃避の手段としての飲酒という選択肢がなくなったに過ぎない。飲めない毎日は時折りふと心細くなる。

 

 

 金曜の夜などは特に酒が恋しくなる。金の心配さえ無ければ俺は今日、半蔵門の酒屋まで行き、晩酌用に色々と買ったかもしれない。アルコール依存症離脱症状に悩まされていたのは遠い昔。現在は別に酒を飲んだところでどうと言うことはない。しかし、酒害で体を壊し飲めなくなった間において、飲酒の習慣が俺の生活から耐えてしまい、今頃になって自宅に籠もり酒を飲む理由がない。

 だが、逃げ場もなければ居場所もない心細さもまたあり、それを感じるような夜にはやはり一杯でも飲めれば、といった考えが頭をよぎることもある。最近は仕事の量がキツくなり、帰宅しても疲れてすぐに眠ってしまうような毎日を送っている。嫌で嫌で仕方がない職場から逃げ出したい気持ちに駆られる。俺は職場の人間や客などといった他人に使役されているだけで、そこに俺の居場所などない。働かされ、ただ疲れ家に帰って眠るだけの日々に、束の間の安息を求めるなら、飲むのが定石だと今になっても思う。

 しかしそれでも飲まない。そのようにして酒に溺れた先に何もないことを俺はよく知っているからだ。一晩の安楽や恍惚は確かに安酒で得られ、それを求めることは容易い。だが、酩酊という逃げ場に留まり続けることで人生を無意味に空費するのに、俺はスッカリ飽きてしまった。内蔵や脳へのダメージを懸念して酒を絶っているのではなく、酔うということそのものが俺には既に無用の長物となっている。

 子供の頃から俺は現実逃避ばかりしてきた。テレビゲームにそれを求めていた時期もあり、またその対象がラジオやテレビなどの放送番組出会った期間もあった。対象が酒だった間のことも、思えばそれらと同一の動機に端を発するものであり、俺は辛く厳しいだけの現実や望みも救いもない人生からただひたすら逃れたい一心で種種雑多なそれらに興じ、耽溺してきた。

 余人は何かに依存する者をあざ笑う。しかしそれは、その者がどのような心持ちで行きていかなければならないかを知らないが故のことだ。明けても暮れてもゲームばかりやっていた子供の時分、両親は俺が何故それに固執するか一切理解しなかった。辛かったからだ。家でも学校でも、ありのままの自分が決して受け入れられないことを当時の俺は察していた。そして他人から認められるためのハードルの高さと、それを越えられない己の能力の限界もまたよくよく弁えていたから、俺はゲームに逃げるしかなかった。

 

 大人になってからも、連続飲酒という俺の生活習慣に苦言を呈するものは数多くあったが、俺の心情を慮れる者などはやはり存在しなかった。その連中は殆どが働いている職場で接触する人間たちだったが、俺にとっては酒を飲まなければならない原因は畢竟その者どもにあるのであって、それらが酒を断つように俺に要求するのは甚だ滑稽に思われた。

 俺は働くことに向いていないし、また俺が社会において担わされる仕事は傍目から見ても割に合わないキツいものばかりだった。そのようなものに耐え忍んで生きているのだから、どうして飲まずにいられよう。当時の俺の心境としては、「いつか」苦役から自らが解かれるようなことがあれば、シラフでいるのもやぶさかではないという感じだった。それまでは、酒を飲むことはむしろ当然のことだと嘯いていた。

 その「いつか」は待てど暮らせど訪れはしなかった。だから俺は歳を重ねるほどに酒にのめり込み、いつしか酒なしでは生きられなくなった。身体から酒が抜けると心に不安の影が差す。夜を明かすことが出来ず、朝が来るのが耐えられなかった。戯れに酒を控えようとしても、過去への後悔と未来への絶望に板挟みにされた己の身の上が思い起こされ、それがどうにも我慢ならない。

 此の世のどこにも居場所などなく、行くべき道も帰る所も全く見当もつかない。この身の置き場に思いあぐねて、ワンルームでひとり途方に暮れるばかり。俺には居場所が必要だった。俺は逃げ場が欲しかった。酒を飲むなと言う者どもに、俺の一体、何が分かるというのか。第一世間の連中は一人の例外もなく、この俺にとっては苦しみの源でしかない。それらが俺から酒という、一縷の望みを禁じようと試みるのだから噴飯モノだと言える。

 他人などにお構いもなく、俺はひたすら飲み続けた。ゲームやラジオに没頭して日常の嫌なことや辛いことから目を背けた子供の頃よろしく、俺は全てから逃れるため、酩酊の中に居場所を見出しそこに安住するために俺は幾杯も幾杯も質の悪い酒を飲み下し、脳細胞を破壊することに勤しんだ。持て余した肉体と精神のやり場など、此の世のどこにも在りはしなかったのだから、俺にとって飲酒は然るべき行為だった。

 

 

 そんな日々も今は振り返るだけの遠い昔と成り果てた。此の世は依然として俺にとって過酷で全く救いのない場所でしかないものの、俺はそれから目を背けることは最早ない。状況はアルコール依存から脱する前後と何一つ変わってはいないが、それでも俺自身の精神や態度といったものは少なからず変化はあった。逃げ場や居場所を求めて彷徨うようなことはもうない。

 それらが必要だと思う心が俺を何かに縛り付ける。俺は高校生の頃に一日中ラジオを聴いていた。そのような生活の中で、俺は心の奥底では延々ラジオを聞き続けなければならない自分の暮らしに言い知れぬ窮屈さを感じたことを思い出す。それと同じような感じを酒浸りの日々の中でも感じたのだ。俺が酒を辞めたのはその縛られることへの煩わしさから解かれたいと欲したからに他ならない。

 何処かや何かに逃げたり居場所を見出したりしたところで、今度はそれが重荷となる。自分には逃げ場や居所がなければならず、救われる必要があると俺は漠然と信じてきた。救済されるべき己というものが厳然と此の世に在るという前提で生きることに、どれほどの正当性があるのか、俺は時たま疑問を抱かずにはいられなくなる。何かに救いを求め、逃げ場を見出し、その度に俺は満たされず、却ってそれが嫌になる。

 この滑川、逃げも隠れもいたしません。俺は仕事終わりの夜の街中にあって、胸中で独りごちた。心身の安全を求め彷徨い、何かに固執することに疲れ、飽きてしまった。俺の人生はただその一事に費やされ、我が生涯はそれへの執着により台無しになった。だが、今はその事実にすら目を背けようとも思わない。俺は産まれて来ない方が良かったが、それでも俺は自身の生に対して然りと言う。

 此の世のどこにも居場所も逃げ場もないことが、今となっては清々しい。水は一箇所に留まれば淀み、腐る。人間の肉体もまた大部分は水分でできているのだから、それと同じようなものではないだろうか。どれほど好ましい誰か、素晴らしい何か、理想的な何処かであったとしても、それ若しくはそこに執着し始めれば、生きることはそれ自体が重々しいものとならざるを得ない。俺はそれを潔しとせず、どのような状況や環境にも安住を決め込みはしない。

実用的でない文章

 毎日仕事で業務日報を書かされている。俺が働かされている会社では、その日ごとにやったことや関わった事柄について従業員は詳細にメールで上役と社長に報告しなければならない。ハッキリ言って、他のどの業務よりもその業務日報メールを作成することの方が骨が折れる。俺にとってそれは仕事上でかなり嫌な部類に入る作業の一つだと言って良い。

 その日報は、昨日と同じような内容であってはならない。その日ごとに別々のことに気づき、それを報告しなければならない義務を従業員は負わされている。しかし、毎日従事させされている仕事の内容は大体ほぼ毎日同じような作業の繰り返しだ。だからといって殆ど同じような文面の日報を提出するとそれを上役共は問題視する。だからこそその作業は面倒この上ない。

 毎日書かされ提出する日報は文字数にして約1500文字ほどだ。内容が薄すぎるとそのことでまた上役連中に攻撃材料を与えてしまう。だから俺は当てつけとばかりに事細かい内容を日報に書き綴ることにしている。具体的な作業の手順を一つ一つ、一挙手一投足まで事細かく叙述するほどのつもりで、俺は念入りに念入りに日報を書き、それを3年半ほど毎日続けている。

 同じことを繰り返しながらも、報告する文章は同じ内容出会ってはならないという矛盾。それを成立せしめるために俺はあの手この手の姑息な方法を弄する。気づいたことを書く項目を箇条書きにするにあたり項目ごとの順番を入れ替えてみたり、メール一通FAX一通送信するだけの作業を大仰に書き起こしてみたりといった具合だ。日報の文章が前日と比べてできる限り違う様相を呈するよう、俺はアレヤコレヤと心を砕く。

 また、一応それは仕事上の文書であるため、当然堅苦しく形式的な内容や文体となる。それは言わば実利的かつ実用的な文章であり、それをしたためている最中には何の面白みもあるはずもない。それは単に上司などの目に触れる上で俺自身を攻撃する材料を与えないようにするために保身の行為にすぎない。それは自然と硬質な文章となり、文法や文体も定石通りにするしかない。

 

 

 だが、それは正直に言えば全く無意味な作業でしかない。どのような大御心に基づいて業務日報をメールで提出する慣習が例の会社にあるのか、俺には知る由もない。それを従業員に課すことにより、会社側にどんな得があり、組織を運営する上でどのような利点があるのか、皆目見当もつかない。上司も社長も、なぜそんなことを従業員に義務付けているのか依然、明らかにはしていない。

 恐らく、実利的な意味などない。単に拘束時間を長くし、組織に忠誠心や帰属意識を植え付けたり刷り込みをするための効果を狙ってのことだろう。 そんなもののために貴重な時間を割かなければならないという自身の境遇が、時折り悔しくてたまらなくなる。その上、少しでも手を抜いた内容にすればすぐにそのことで目上の者に責め立てられるのだから堪ったものではない。

 前職の会社でも日報を作成しなければならなかったのを思い出す。現職でも前の職場でも俺は実務的な文章を日常的に作成することを無理強いされ続けた。実用に適った文章を俺は特に意味もなく作ってこなければならず、前職においては誤字脱字などの細かい推敲まであった。それについていま思い出しても億劫な気持ちになる。文体などの指定までさせられた始末であった。

 これまでの人生において、会社で書かされてきた文章は全て実用的な形式張ったような作法や定石に則ったものしか無かった。会社の仕事で書くものである以上、砕けた内容にすることも出来ず、一字一句に神経を尖らせ無ければならなった、特に前職のそれにおいては。現職における日報は流石に添削じみたことはないが、それでも作成に相当な時間や労力を要するという点で違いはない。

 いわゆる正しい日本語の綴り方で書く文章を作ったところで、全く楽しくない。しかも、実利や実用に適っているのは文章のみであり、先に触れたように日々それをやらされることに具体的な意味や価値などはないに等しい。あると言えば、できるだけ会社を会社らしくするための儀式的な意味合いをその作業は持っていると考えることも出来なくはない。

 

 俺が目下書いている文章それとは全く異なる意味や性質の代物であることは言を俟たない。実利や実用に適っていなかったとしても誰に何を言われることもない。また、他人に強要されて書かされているものでもなければ、何者かの評価や査定を気にする必要もない。そう思えば、同じく日本語で文章を書いているにもかかわらず、随分と本質的には異なる行為をしているということになる。

 また、俺は文章教室に通っており、そこで出される課題としてエッセイやら小品やらを提出することがままある。そこで書かされる文章とくだんの日報との間の明確な区別というものが自身にキチンと出来ているのだろうかとも俺は自問する。つまり、文をしたためるという上辺だけの行為だけを見てそれら及びブログなどの文章を十把一絡げにしているところが、もしかしたらあるかもしれない。

 小学生から作文などを習い、学校や会社などでいわゆる正しい日本語の文章を俺はこれまで幾度となく書かされてきた。それの一つの弊害として、俺は文章を作る時にどうしてもフォーマルなものしか書けなくなっているきらいがある。業務日報やビジネス文書などならそれで一向に問題はないだろうが、ブログだの文章教室だのでもその形式から抜け出せないのであれば問題だろう。

 毎日俺は練習と称してブログで文章を作っているが、それにはかなりの労力と時間を要している。それをやるために一日における時間の相当な部分を掛けていると言っても良い。詳細さや正確さ、さらに言えば精緻なないような表現などを求められる必要がない場での文章でも正式な形のものにしようとするのは明らかな誤りだ。第一、それのために四苦八苦できるほど俺には時間的な余裕はない。

 正しい書き方に固執するあまり、文を作るという行為のハードルを自ら無意味に高くしているところがあると自省する。また、その害は文章講座の課題や何かに応募する作品などを作る際にも生じている。硬い内容の文章しか書けないから、俺はそれらにおいて芳しい成果を出せずにいる。それは俺が文を作ることに常に、どんな局面でも悪い意味で真面目だからだ。

 

 

 少なくとも、ブログごときの文章なら畏まることはないだろう。日ごと仕事でさして重要でもない日報などを無闇矢鱈に書かされているのだから、それでない場面においてももっと力を抜いても良いような気がする。書き言葉として正しくないだとか、文章全体の内容にほころびが見られるだとかいうことにはもう、こだわらずに気楽に済ませなければ、俺の人生は日報とブログを書くだけで終わってしまいかねない。

 遊びでやっているくらいの気持ちで良いのかもしれない。ともすれば、俺の人生のあらゆる全てに、俺はあまりにもシリアスに真面目くさって臨んでいるがために、却って上手くいかなかったのではないかという気さえする。対して大切でもないことにバカにこだわり、時間や手間を掛けてきたがそれで俺は一体何を得たのだろう。少なくともブログの文章に凝る意味など差し当たり存在しない。

 ずいぶん前に俺は、自ら毎日3000字の文章をコンスタントに作り続けると自らに課した。俺はそれをバカ正直に続け、一応はそれを達成し続けてはいる。それを続けるにはそれなりの労力と時間を必要としたが、それは本当に必要だったのかと振り返って思う。3000字書くことはそれはそれで構わないとしても、文のディディールにあまりにも心を砕きすぎ、それのために膨大な時間を無駄にしたような感がある。

 カタカナ語を使うべきでないだとか、文章全体の意味が一貫していないだとか、余りにも枝葉末節すぎることを気にしすぎて、自ら自由を失い自身を苦しめるような有り様になっていたのかも知れない。無論、実用的な文章ならばそれらを気に留めなければならないかもしれない。また、講座の課題や懸賞に応募するようなものならばそれらに最新の中を払う必要はあるだろう。しかし、気楽に書いていい場面も多々あるだろうし、ブログのごときは正にそれだと言えるだろう。

 仕事での文章を気楽に書くことは許されないのだから、それ以外の場における文は気軽に、さらに言えば楽しく作れるようになりたい。思い返せば俺は、何事も楽しむという気持ちが欠けている。とにかく真面目に真剣にやればそれで首尾よくいくと思いがちなところがある。それはそれらの態度で万事に臨むように俺がかなり厳しく躾けられてきたからなのだが、子供の頃に施された教育や条件付けなどといったものの全てから、もういい加減に解かれてもいい時期に差し掛かっているだろう。