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書き捨て山

雑記、雑感その他

倦怠

毎日3000文字の文章を書くというのは私には少々荷が重いようだ。言うまでもなく平日も土日も毎日毎日3000字の文章を書けるほどの話題が転がっているわけがない。基本的に日常というのは同じことの繰り返しであり、働いていればなおさらだろう。また、休日に…

絶望

絶望という言葉は否定的な意味合いを込めて用いられる。実話でもフィクションでも、この単語がいい意味で使われていたためしがない。絶望とは行き止まりであり、恐るべきで避けなければならない情緒や状態であると考えるのが一般的な解釈だろう。しかし、望…

受難

生きることはすなわち苦しみである。少なくとも私の場合はそうであるし、世に言われているような様々な人々にまつわる説話などを見聞きすれば種種雑多な苦労話のオンパレードで、辛苦と無縁な人生など全くもって望むべくもないのだと思うと暗澹たる気持ちに…

汚穢な帰結

スーパーにおいて肉を買うべきかどうか逡巡した。その間数十分にも及んだ。どうしても肉が食いたいという思いと、財布から金が目減りすることへの抵抗感がせめぎ合い、私は売り場を何往復もしながら悩みに悩んだ。また、仮に買うとしても豚肉にするか鶏肉に…

内側の敵

私は自身の心の内奥、それも中枢に陣取る他人の存在を感じる。何かで失敗をしたときや目標に届かなかったとき、私の中に居る何者かが私をあざ笑い、蔑み、徹底的に否定する声が聞こえるようなきがする。それ幼少の頃から今日に至るまで、片時も止むことのな…

生きてる証拠

子供のころ、不満や不機嫌を顔に出す度に両親に責められたものだ。お前は何が気に入らないのか、何故そんな顔をするのかなどと言って、父も母も私が表明した態度を常に糾弾した。私が彼らの家庭で許されたのは、楽しそうな素振りと嬉しげな表情だけで、さも…

持たざる者

何かを手に持ったまま生まれてくる人間は存在しない。一人の例外なく私たちは徒手空拳かつ裸一貫で産まれてくる。この世に私物を持ち込んで生を受ける人間など存在するはずがない。晴れ着や襤褸を身に纏いながら母の腹を出て来る者も居るはずがない。 また、…

マジ

何事にもシリアスにならずにいられるなら、人生は遊びとなる。結果も成果も一切機に求めず、意味や意義も価値も全く一個だにせずにただ為すだけなら、どんなに気が楽で楽しいだろうか。万事を遊興や道楽だと捉え、気楽に臨むことができる境地に至ることこそ…

一人相撲

人間は他者について本当の意味で知ることはない。どれだけ親しく接している人物に対しても、その人について私たちが知ることができるであろうことは全体のほんの僅かでしかない。親兄弟でも同じだ。誰であれ人間は無限の諸相を有していおり、それらの一つを…

万事一笑に付す

果たして人は人生に対してシリアスになるべきなのだろうか。余人は皆ことごとく深刻かつ真剣な面持ちで日々を暮らしている。仕事などはその最たるもので、まるで自分や他人の生き死にに業務の出来や結果がそのまま直結しているかのように切羽詰まって真面目…

足下そぼ濡れる度に

朝、家の外から聞こえる雨音を聞くだけで嫌な気分になる。軒先から滴る水音が聞こえ、早朝にも関わらず陽の光が差さない薄暗い窓辺が目覚めたばかりの視界に入り込むと、それだけでその日の始まりは憂鬱なものとなる。寝床の脇にあるパソコンを操作して気象…

苦しみと個我

人間の本能は苦しみを渇望する。静寂の中で至福に満ちた状態を維持して生きていたいなどと、私たちは毛ほども考えていない。私たちは喧騒や猥雑、敵対や闘争をどんな瞬間にも絶え間なく渇望している。人間が望むのは不安や恐怖、葛藤や苦悩といったネガティ…

幸か不幸か

幸福のパターンは少ない。自他ともに幸福であると認めざるをえない完全無欠な人生を送る人物が仮にもし存在するとしたら、それが複数人いたとしても彼らの生活や生き方にはそれほど多くの違いはないだろう。どんな時代やどんな地域においても幸せの形や内容…

艱難汝を玉にする、なんて

人は生ある限り苦しみから逃れることはない。生老病死をはじめとしたありとあらゆる苦が人間をどんな瞬間においても責め苛む。私たちはそれらの一切から遠ざかろうとするがそれらは執拗に私たちに追いすがり、我々の命が尽き果てるまで延々苦しめることだろ…

自己無責任論

私はかつて幼児だった。生まれ落ちた場所は文化や文明の光が届かない鄙びた農村で、家は貧しく家族は頑迷かつ狭量だった。当時の私はそんなことを理解する能力もなく、ただ毎日を漠然と生き、父や母の言動を唯一絶対の真実だと教え込まれそれに従って暮らし…

不機嫌

仕事の間、今日の私は絶えず不機嫌だった。連休明けて各取引先からの受注が溜まっていたし、週明けの忙しい日にもかかわらず、普段行わないイレギュラーな業務も追加でやらなければならなかった。加えて、業務を行う上で必要な機械の調子が悪く通常よりも仕…

問題視

生きるということは問題を抱えることである。我々の人生はたとえどれだけ満ち足りた素晴らしい生涯であったとしても、問題と無縁な生というのは恐らく存在し得ないだろう。私たちは大小や多寡の違いはあっても、万人がそれぞれの問題に対処しながら死ぬその…

本願

世間一般の通念では、人間は幸福を望み不幸を避けたがるということになっている。人は誰しも、ただ一人の例外なく幸せになることを願いそれのために念じ、それを実現させるために行動を起こしているということになっている。幸福追求は人間の権利であり本能…

限界

人間にとっての限界とはなんだろうか。改めて考えてみれば、私たちの人生には常にあらゆる制限や限界が存在する。様々な意味において私たちは有限であるし、日常の生活や暮らしの中で無制限にできることなど一つもないと言っても過言ではないだろう。 そんな…

一事

私たちは人生において一体何を大切にすればいいのだろうか。世間を見渡せば、これには様々な回答があるだろう。それは自分自身の生存を確保し、財産を築くことだと言う者もいるだろうし、国や社会ひいては他人に奉仕することだと言う者もいるかもしれない。…

私の正体

自分とは何かという問いは月並みだが究極の疑問だ。これは古代から現代に至るまで、おそらくすべての人間が人生のある時期には最低一度は抱く疑問ではないだろうか。青臭く、通常なら答えがでないこの問いは世俗的な感覚においては考えるだけ時間の無駄なも…

鏡張りの独房

他者をはじめとしたあらゆる事物は自己の心を映し出す鏡だ。人間に対しても動物に対しても、また物体や現象、形而上の概念的な存在ですら一切は私たちのある面や部分を表象する象徴のような役割を果たしているに過ぎない。私たちは自分以外を道具やきっかけ…

見境

人は無意識のうちに物事を分別して捉える。生まれついた瞬間の嬰児にとって、この世界は一体どんな様相を呈しているのだろうか。分別や分類などといった浅知恵など一切持たない無垢な者にとって、世界は全く単純明快であり仏語で言うところの無分別の境地が…

問題即自我

問題とはそれ自体が人間にとってのアイデンティティだ。自分が自分であることと己自身がどのような存在であるかということは密接に関わり合っていると言っても過言ではない。人間にとって格闘している問題の内容が己が何者かを表す。このような視点で考えた…

肉の人、霊の人、そして無

人間の本質とはなんだろうか。我々は様々な瑣末事に翻弄され忙殺されながら日々を汲々と送っているせいで、自分を自分たらしめる要素が何かなどといった思いを馳せる余裕はあまりない。自分自身を守り維持するために暮らしを営んでいるのだから、それが何な…

喪失

仔細は省くが、今日ブログで使用するはずだった文章の草稿が故あって無駄になってしまった。タイトルを決め全体的な構造を考え、各行ごとの冒頭に据える一文を綴るだけでも私にとっては大仕事であり、それを完遂するだけでも少なからぬ時間が掛かる。それが…

なんでもない

人は自分自身について語る時、否定形でしか言及できないのかもしれない。まるで否定神学のように、己について厳密かつ矛盾のない命題を述べるならば、否定形の文言にならざるをえないのではないだろうか。つまり、私は肉体ではなく、一時の激情でも思考でも…

人生終わり

人生は物語そのものだ。私たちは過去現在未来というシリアルな出来事の羅列を自分自身という主人公を中心にして体験しつつ意味付けながら生きている。私たちは人生の当事者でありながらオーディエンスでもあり、自身の生涯を現実として体験しつつもそれをコ…

マユイズム

私の曾祖母はマユという名前であり94歳まで生きた。マユは明治生まれの津軽人でとても頑固というか頑迷な人物であった。ひ孫の私とは同じ家で生活していたが精神的な交流と呼べるものは殆どなく、幼少の私にとってマユは得体の知れない何か恐ろしい存在のよ…

平等

人間は皆等しく平等に価値がない。外見の美醜や知見の多寡、どんな社会的な地位を持っていようとも一切関係なく万人は無価値であり、そういう意味で等価である。顧みられるべき者など誰一人存在せず、敬うべき人間も恐れるべき人間もない。人間存在の根本が…

楽しさ

楽しいという感情は損得勘定や勧善懲悪などといったものを超越する。楽しければ人は損をすることを厭わず、どんな悪いことにでも平気でも手を染める。それについての実例は枚挙に暇がないだろう。私自身思い当たるフシはたくさんあるし、それらのうちには社…

くそったれ

生きる上で排泄行為は屈指の重要度を誇る。栄養補給や呼吸などといった事柄は大っぴらにされ、生きるためには欠かせないと誰もが認めるにもかかわらず、それと同等に大切な行屎送尿、つまり小便をしたり大便を垂れる行為についてはまるで顧みられることもな…

叶わないという幸福

引き寄せの法則をはじめとした願望実現系の自己啓発やスピリチュアル関係の分野にずいぶん長いことかぶれていた。未だにそれらに対する未練を捨てきれていない感が我ながらあるのだが、意識や思考の表層においては既に半ばこれらには見切りをつけた立場を取…

自惚れ

自分は大した存在ではない、それどころか塵芥と同等の価値程度しかないということを声高に叫び、かつ卑屈にもならずにむしろ堂々とそれを宣言できる人間は果たしてこの世の中にどれほどいるだろうか。自嘲気味にそれを口走るような人間はもしかしたらそれな…

私が終わるとき

それは今この瞬間である。私は自分が自分であることに終止符を打つことを宣言しなければならない。自分をどう定義するか、または自分自身をどのようにして高め、よりよい状況に身を置くか、といった努力や工夫は全て本質的には無意味であったということが今…

分割

私はこれまでずっと、人生における時間を分割して認識してきた。主にそれはプライベートな時間とそうでない時間の二種類であった。子供の頃からその感覚は強くあり、何人も絶対不可侵な自分だけの時間と、他者との関わらなければならないパブリックな時間を…

中庸

何事も中庸が一番だ。どんなことも偏りすぎてはいけない。自由を求めたつもりがただの野放図や無秩序に行き着いてしまうとするなら、それはやり過ぎでありそんな状態は「自由すぎ」ということにはならないだろう。私たちが求めているのはどんなものであれ「…

甘え

甘えを許さない関係には価値が無いと思う。そして世間において大概の人間関係は無価値であり顧みる必要性がないとも思う。私が本当に望んでいるのは甘えられる関係なのだと今日になってはっきりと自覚した。そしてそれは容易には手にはいらないこともまた自…

矛盾

自由とは矛盾の肯定ではないか? そんなことがふと思い浮かんだ。自由が欲しい、自由になりたいと念じたり言ったりすることは誰でもするだろうし、私もまたそのご多分に漏れずそれを欲してきたが、そのくせ自由とは具体的に何か、ということについてはあやふ…

捨身

私は何かにつけていろいろな事柄を恐れてきた。私が恐れる対象は大抵、金銭や機会の喪失などといった事柄についてだった。そしてそれを婉曲的に暗示するものや間接的に自身をそれに近づける事象などにもまた恐怖を抱き続けてきた。そしてとりわけ死は究極的…

ダメージ

人間は精神的に傷を負うとき、常に能動的である。というよりも自分の心が傷ついたという思いがあってはじめて人間は精神にダメージを負う。外的な要因や他者による何らかの働きかけが決定的な要因になることは絶対にない。人間が精神的な打撃や痛手を負うと…

彼岸

霊魂とは肉体を超越した自己同一性だ。人間はたとえ体が老い衰え、滅び去っても自分が自分であり続けることを望む生き物である。余人の大半は自分自身がそのままの状態で未来永劫存続して欲しい、そうであることが望ましいと思うようだ。私はそうではないが…

完了

愚痴をこぼしたり他人に胸中で毒づいたりするとき、人の内面では一体何が置きているのだろうか。私たちは不平不満を抱いたり、傲慢で身勝手な悪人に危害を加えられたり財産や労力を掠奪されたりすると、当然穏やかな心持ちではいられなくなるが、そんな悪感…

愛と感謝

お前には感謝する気持ちがない、と母親に2、3年ほど前に言われた記憶がある。母は私が両親をはじめとしたあらゆる他者に対して感謝の念を持ち合わせていないから、人生全般に行き詰まっているのだろう、というような趣旨のことを私に言い放ち、当時私は母…

自由

自由は利害得失を超えたところにある境地だ。起き抜けにそんなフレーズが前触れもなく頭に浮かんだ。それはインスピレーションのようなもので、自分でも全く想定も予期もしていないことで驚いたが、なぜだか自由という言葉や概念についてそのその時一瞬で腑…

人格

自分に害をなす人間に対して私達はどのように捉えればよいのだろうか。こいつは悪人だとか、許せない奴だとか、身勝手なサイコパスだとかそのように考えたところで有害な加害者としてのそいつが消えてなくなるわけではない。 敵を敵であると認識するとき、私…

失敗

これまで数え切れないほどの失敗を積み重ねて来た私の生涯は、しくじりが多いというよりもそれその物であったと言っても過言ではない。人生における全ての場面で私は取り返しのつかない過ちを犯してきた感がある。 失敗続きの人生を振り返りながら、あり得た…

人生

人生失敗した。この文句を生まれてきてから何度吐いたか分からない。口に出さずに頭でこのフレーズを思ったことも回数に含めれば、何千何万という回数になるかもしれない。しかし、そもそも人生とは一体何なのだろうか。そんな大本の疑問を抱くこともなくた…

問題

私はこれまでずっと自分が問題を抱えて生きていると思ってきた。自分は数え切れないほどの問題を解決あるいは克服しなければならず、それが果たされないから自分は不本意な人生を送っているのだと考えていた。しかし本当にそうだろうか。私は「問題を持って…

魂という牢獄

スピリチュアルな分野においてよく唱えられる世界観の一つとして、人間は霊格を向上させるためにこの世に生まれてくるのであり、この世界は人間が冷静を成長させるための修業の場として創造された、といったものがある。これはその世界で名高い様々な人間が…