書き捨て山

雑記、雑感その他

限界

人間にとっての限界とはなんだろうか。改めて考えてみれば、私たちの人生には常にあらゆる制限や限界が存在する。様々な意味において私たちは有限であるし、日常の生活や暮らしの中で無制限にできることなど一つもないと言っても過言ではないだろう。 そんな…

一事

私たちは人生において一体何を大切にすればいいのだろうか。世間を見渡せば、これには様々な回答があるだろう。それは自分自身の生存を確保し、財産を築くことだと言う者もいるだろうし、国や社会ひいては他人に奉仕することだと言う者もいるかもしれない。…

私の正体

自分とは何かという問いは月並みだが究極の疑問だ。これは古代から現代に至るまで、おそらくすべての人間が人生のある時期には最低一度は抱く疑問ではないだろうか。青臭く、通常なら答えがでないこの問いは世俗的な感覚においては考えるだけ時間の無駄なも…

鏡張りの独房

他者をはじめとしたあらゆる事物は自己の心を映し出す鏡だ。人間に対しても動物に対しても、また物体や現象、形而上の概念的な存在ですら一切は私たちのある面や部分を表象する象徴のような役割を果たしているに過ぎない。私たちは自分以外を道具やきっかけ…

見境

人は無意識のうちに物事を分別して捉える。生まれついた瞬間の嬰児にとって、この世界は一体どんな様相を呈しているのだろうか。分別や分類などといった浅知恵など一切持たない無垢な者にとって、世界は全く単純明快であり仏語で言うところの無分別の境地が…

問題即自我

問題とはそれ自体が人間にとってのアイデンティティだ。自分が自分であることと己自身がどのような存在であるかということは密接に関わり合っていると言っても過言ではない。人間にとって格闘している問題の内容が己が何者かを表す。このような視点で考えた…

肉の人、霊の人、そして無

人間の本質とはなんだろうか。我々は様々な瑣末事に翻弄され忙殺されながら日々を汲々と送っているせいで、自分を自分たらしめる要素が何かなどといった思いを馳せる余裕はあまりない。自分自身を守り維持するために暮らしを営んでいるのだから、それが何な…

喪失

仔細は省くが、今日ブログで使用するはずだった文章の草稿が故あって無駄になってしまった。タイトルを決め全体的な構造を考え、各行ごとの冒頭に据える一文を綴るだけでも私にとっては大仕事であり、それを完遂するだけでも少なからぬ時間が掛かる。それが…

なんでもない

人は自分自身について語る時、否定形でしか言及できないのかもしれない。まるで否定神学のように、己について厳密かつ矛盾のない命題を述べるならば、否定形の文言にならざるをえないのではないだろうか。つまり、私は肉体ではなく、一時の激情でも思考でも…

人生終わり

人生は物語そのものだ。私たちは過去現在未来というシリアルな出来事の羅列を自分自身という主人公を中心にして体験しつつ意味付けながら生きている。私たちは人生の当事者でありながらオーディエンスでもあり、自身の生涯を現実として体験しつつもそれをコ…

マユイズム

私の曾祖母はマユという名前であり94歳まで生きた。マユは明治生まれの津軽人でとても頑固というか頑迷な人物であった。ひ孫の私とは同じ家で生活していたが精神的な交流と呼べるものは殆どなく、幼少の私にとってマユは得体の知れない何か恐ろしい存在のよ…

平等

人間は皆等しく平等に価値がない。外見の美醜や知見の多寡、どんな社会的な地位を持っていようとも一切関係なく万人は無価値であり、そういう意味で等価である。顧みられるべき者など誰一人存在せず、敬うべき人間も恐れるべき人間もない。人間存在の根本が…

楽しさ

楽しいという感情は損得勘定や勧善懲悪などといったものを超越する。楽しければ人は損をすることを厭わず、どんな悪いことにでも平気でも手を染める。それについての実例は枚挙に暇がないだろう。私自身思い当たるフシはたくさんあるし、それらのうちには社…

くそったれ

生きる上で排泄行為は屈指の重要度を誇る。栄養補給や呼吸などといった事柄は大っぴらにされ、生きるためには欠かせないと誰もが認めるにもかかわらず、それと同等に大切な行屎送尿、つまり小便をしたり大便を垂れる行為についてはまるで顧みられることもな…

叶わないという幸福

引き寄せの法則をはじめとした願望実現系の自己啓発やスピリチュアル関係の分野にずいぶん長いことかぶれていた。未だにそれらに対する未練を捨てきれていない感が我ながらあるのだが、意識や思考の表層においては既に半ばこれらには見切りをつけた立場を取…

自惚れ

自分は大した存在ではない、それどころか塵芥と同等の価値程度しかないということを声高に叫び、かつ卑屈にもならずにむしろ堂々とそれを宣言できる人間は果たしてこの世の中にどれほどいるだろうか。自嘲気味にそれを口走るような人間はもしかしたらそれな…

私が終わるとき

それは今この瞬間である。私は自分が自分であることに終止符を打つことを宣言しなければならない。自分をどう定義するか、または自分自身をどのようにして高め、よりよい状況に身を置くか、といった努力や工夫は全て本質的には無意味であったということが今…

分割

私はこれまでずっと、人生における時間を分割して認識してきた。主にそれはプライベートな時間とそうでない時間の二種類であった。子供の頃からその感覚は強くあり、何人も絶対不可侵な自分だけの時間と、他者との関わらなければならないパブリックな時間を…

中庸

何事も中庸が一番だ。どんなことも偏りすぎてはいけない。自由を求めたつもりがただの野放図や無秩序に行き着いてしまうとするなら、それはやり過ぎでありそんな状態は「自由すぎ」ということにはならないだろう。私たちが求めているのはどんなものであれ「…

甘え

甘えを許さない関係には価値が無いと思う。そして世間において大概の人間関係は無価値であり顧みる必要性がないとも思う。私が本当に望んでいるのは甘えられる関係なのだと今日になってはっきりと自覚した。そしてそれは容易には手にはいらないこともまた自…

矛盾

自由とは矛盾の肯定ではないか? そんなことがふと思い浮かんだ。自由が欲しい、自由になりたいと念じたり言ったりすることは誰でもするだろうし、私もまたそのご多分に漏れずそれを欲してきたが、そのくせ自由とは具体的に何か、ということについてはあやふ…

捨身

私は何かにつけていろいろな事柄を恐れてきた。私が恐れる対象は大抵、金銭や機会の喪失などといった事柄についてだった。そしてそれを婉曲的に暗示するものや間接的に自身をそれに近づける事象などにもまた恐怖を抱き続けてきた。そしてとりわけ死は究極的…

ダメージ

人間は精神的に傷を負うとき、常に能動的である。というよりも自分の心が傷ついたという思いがあってはじめて人間は精神にダメージを負う。外的な要因や他者による何らかの働きかけが決定的な要因になることは絶対にない。人間が精神的な打撃や痛手を負うと…

彼岸

霊魂とは肉体を超越した自己同一性だ。人間はたとえ体が老い衰え、滅び去っても自分が自分であり続けることを望む生き物である。余人の大半は自分自身がそのままの状態で未来永劫存続して欲しい、そうであることが望ましいと思うようだ。私はそうではないが…

完了

愚痴をこぼしたり他人に胸中で毒づいたりするとき、人の内面では一体何が置きているのだろうか。私たちは不平不満を抱いたり、傲慢で身勝手な悪人に危害を加えられたり財産や労力を掠奪されたりすると、当然穏やかな心持ちではいられなくなるが、そんな悪感…

愛と感謝

お前には感謝する気持ちがない、と母親に2、3年ほど前に言われた記憶がある。母は私が両親をはじめとしたあらゆる他者に対して感謝の念を持ち合わせていないから、人生全般に行き詰まっているのだろう、というような趣旨のことを私に言い放ち、当時私は母…

自由

自由は利害得失を超えたところにある境地だ。起き抜けにそんなフレーズが前触れもなく頭に浮かんだ。それはインスピレーションのようなもので、自分でも全く想定も予期もしていないことで驚いたが、なぜだか自由という言葉や概念についてそのその時一瞬で腑…

人格

自分に害をなす人間に対して私達はどのように捉えればよいのだろうか。こいつは悪人だとか、許せない奴だとか、身勝手なサイコパスだとかそのように考えたところで有害な加害者としてのそいつが消えてなくなるわけではない。 敵を敵であると認識するとき、私…

失敗

これまで数え切れないほどの失敗を積み重ねて来た私の生涯は、しくじりが多いというよりもそれその物であったと言っても過言ではない。人生における全ての場面で私は取り返しのつかない過ちを犯してきた感がある。 失敗続きの人生を振り返りながら、あり得た…

人生

人生失敗した。この文句を生まれてきてから何度吐いたか分からない。口に出さずに頭でこのフレーズを思ったことも回数に含めれば、何千何万という回数になるかもしれない。しかし、そもそも人生とは一体何なのだろうか。そんな大本の疑問を抱くこともなくた…

問題

私はこれまでずっと自分が問題を抱えて生きていると思ってきた。自分は数え切れないほどの問題を解決あるいは克服しなければならず、それが果たされないから自分は不本意な人生を送っているのだと考えていた。しかし本当にそうだろうか。私は「問題を持って…

魂という牢獄

スピリチュアルな分野においてよく唱えられる世界観の一つとして、人間は霊格を向上させるためにこの世に生まれてくるのであり、この世界は人間が冷静を成長させるための修業の場として創造された、といったものがある。これはその世界で名高い様々な人間が…

人類皆無価値

誰しも皆等しくに価値がない、これこそが真の平等である。自分自身含め、この世に尊い存在など誰一人としていないのではないか、最近ふとそう思うようになった。この世界になにがしかの価値のある人種が何処かに存在しているという仮定や前提は人間を単に不…

自己責任

自己責任という言葉は大抵否定的な意味で使われる。苦境に陥っている人間に対して、その艱難の原因をその者自身に拠るものであると見なすとき、「お前のせいだ」というニュアンスで自己責任という言葉が盛んに用いられる。それは様々な場面で見られるだろう…

カルマ

カルマという概念はこれまでずっと私を悩ませてきた。人生において自身が被っているあらゆる厄災や屈辱、悲惨や不遇の全ての原因が「自分のせい」などというのはあまりに理不尽に思えたからだ。昔2chで「前世で悪事を働いた者はその報いとして青森県に生まれ…

得と徳

私は徹底的に利己的でありたい。己に利する事を極限まで追求し、逆に自身に益のないことは徹底的に忌避していきたい。実利とは生きていく上で絶対に欠かしてはならない指針であると私は確信する。何が自分にとって長期的かつ最終的に得であるか、という視点…

「どのように」と「何故」の問い

この世界は何故存在しているのか。日常の瑣末事に囚われ日々汲々として生きていると、この手の問いが頭に浮かぶ暇もない。しかし、忙中閑ありというように僅かに息つく暇があればふと、そのような問が不意に私の胸中に湧いてくる。この世界は何故、何のため…

逃れられない

仕事をしている最中に何の脈絡もなく小学生だった頃のことを思い出した。小学5,6年の頃の私は人生で最も苦しい日々を送っていた。その頃は家庭内で大きな問題があったとか経済的に困窮していたという話ではなく、学校で教師から酷い目に遭っていたのであった…

不信

これまで私は幾人かの他人から何度か「なぜお前は俺を信じないのか」といった趣旨の事を言われたことがある。そのような発言を私に向かってする人種は大抵、私にとっては信じるに値しない類いの人間で、私はその局面においては適当にはぐらかし事なきを得て…

無念無想

私は考えることに重きを置きすぎていた。これまでの人生を顧みてそう思う。私は己のうちに起こる情動にはある程度の距離を置いて捉え、それを観察してそれに振り回されないように意識的に自らを御することができていたと自負するものの、その一方で思弁や思…

他人の価値

私は他人が恐ろしく、また嫌いだ。誰も彼も不可解で得体の知れない怪物にしか思えない。血縁のない赤の他人は言うまでもなく、親戚縁者や両親ですらも私にとっては全く理解不能な他者であった。私は星の数ほどの他人から数え切れないほどの酷い仕打ちに遭わ…

悔やみ

生きる上で悔やむことがなくなれば、どれだけ心の重荷が減るだろうか。目下直面している面倒事や将来に対する漠然とした不安を抱くことは避けられないかもしれないが、とうの昔過ごさってしまった事柄に対して後悔の念を抱くことを完全に抱きしてしまえれば…

恐れ

人は常に不安にかられて生きている。自分の生活が何かによって脅かされ、崩壊させられはしないか、自分の肉体が突発的な事故などによって損なわれはしないか、などといった懸念が常に深層心理にはあるのではないだろうか。それらの不安とは更に言えば恐怖で…

最終的な目標

私にとっての人生における最終的な目標は自分自身に対して感じる虚しさの克服である。自分の存在を無意味、無価値だと思い知るときに感じる虚しさ。これを乗り越えることによって私の人生は完遂するのだと最近確信している。無駄、無為、徒労や喪失等といっ…

意味付けによる防衛

裸で外を歩く人間はいないだろう。正常な精神状態の人間ならばどんな形であれ何かを身にまとって生きているものである。これは羞恥心などいった問題ではなく単に防衛上の問題である。人間の体は寒さに弱いだけでなく素肌は傷つきやすい。もし全裸で街を歩け…

馴致されるなかれ

私は去年、職場で予告もなく減給を食らったが、今日また予告もなく給料がもとに戻ると告げられた。今月かもしくは来月から私の手取りは15万円から17万円となり経済的にはこれで大分楽になる。少なくともこの先再度減給されたり失業したりなどといったことが…

顔貌所感

私は自分の顔が死ぬほど嫌いである。身長などの容姿全般においても好ましくないがとりわけ嫌いなのが自分の顔面である。目鼻立ちが整っているとは言い難いのは勿論、何よりも嫌なのが母方の親族に顔の系統が類似しているという点である。 私には親戚づきあい…

植え付けられた欲望

生きていく上で私はたくさんのことを望み、求めたがその殆どを得ることは叶わなかった。それは大いに心残りであり続けたし、これから先も変わらないだろう。しかし、願望や欲望というのはどのように心の中で起こるのだろうか。それらの起源に対して私はこれ…

心理的ホメオスタシス

この記事は本当なら先週の土曜日に書かなければならなかった文章である。しかし、三連休で面倒くさくやる気も起きなかった私は結局月曜日の夜遅くになるまで記事の作成に全く手を付けることもなく、今頃になってようやく文章を書いているという次第である。…

我を忘れて

心ここにあらず、それは至福である。自分について思いを馳せない間だけ人間は幸福でいられる。そうでない瞬間は、それがどんな状況であったとしても至福も幸福も損しないと断言していいだろう。幸せになるためには、幸せでいるためには自分について考えない…