壺中有天

弁ぜんと欲し 已に言を忘る

アルコール依存症だったころ

 成人してから去年の夏までほとんど毎日アルコールを摂取していた。俗に言うアルコール依存症という奴で盆が明けたころから本格的にアルコールの悪影響が体に出始めてから断酒を決意して今に至る。現在は特別な席以外では全く飲酒をしなくなったが暇を持て余すと今でも酒を呷りたくなる。

 酒を飲み始めたのは大学2年生になってから。通っている大学が無名の三流大学だったこともあり大学の内外でそれについて方々からけなされることが多く、自分の将来に希望が持てなかった当時の俺は酒を飲むことで気を紛らわそうとした。大学の外部の人間や非常勤講師が自分が通っている大学について悪く言うのはまだ我慢できたが常勤の講師まで大学や学生をあからさまに蔑んだり嘲ったりするのは当時の俺には耐えられなかった。

 しかし大学を辞めるわけにはいかなかった。大学に行くという大義名分をもって上京している身だったし、学生支援機構の奨学金を貸与されて大学に通っていたので中退するという選択は当時の俺にはなかった。本音を言うと3年の時にはすでに中退したい気持ちでいっぱいだったが、大学を辞めれば都落ちは免れず、俺にはどうしてもそれだけは避けたかったのだ。

 大学が嫌で嫌で仕方なく、将来に希望が見出せず、辞めるという選択肢もない学生時代の俺は酒の酩酊だけを頼りにして単位を取り卒論を書き、卒業までこぎつけたのである。しらふのままだったらたぶん卒業できなかっただろう。酒があったから卒業まで耐えきったといっても過言ではない。

 大学を出ても就職できなかった俺は、卒業証書を与えられて大学から放り出された。そのあとは派遣や非正規の仕事を転々とし、ずっとワーキングプアとして生きてきた。そんな日々にも酒は欠かすことができなかった。恋人も友人もおらず、家族には全く頼ることができず、夢も希望もなく、孤独で、貧しく、惨めな俺にとって酒は唯一の救いだった。毎晩、いや毎朝大量に酒を呷った。

 具体的な酒量を書くと、アルコール度数8%の缶チューハイをロング缶で毎晩5,6本は飲んだ。ワインなら毎晩2,3本は一人で空けたし、焼酎もウイスキーも基本割らずに全部ストレートで呷った。酒が抜けきらないまま職場に行き、仕事から解放されると飯を食いながらありったけの酒を気絶するまで飲んでいた。

 そんな生活に支障をきたし始めたのが2016年の夏のある日であった。その瞬間はある日突然俺に起こった。職場がある渋谷から家まで歩いていたある日の月曜日であった。246を赤坂見附に向かって歩いていた時、前触れなく不安感や焦燥感に襲われ、自宅に戻り食事の準備をして用意した蕎麦を食おうとした時、箸を持っていた手の震えが止まらなくなったのであった。 

 その日は震える手で何とか食事を摂り、ストロングゼロのロング缶を5本飲んでそのまま眠った。その後の火曜日は精神的に不安定になるだけでなく動悸がして一睡もできず、気持ちを静めるために入浴をしようとした水曜日未明のこと、風呂場で心臓発作を起こして心臓が止まりかけた。全身が痙攣して胸の部分が跳ね上がり、手足と舌が痺れて立って歩くこともできない状態のまま浴槽に身を沈めたまま身動きが取れなかった。俺は死を意識したが数十分立ってようやく立ち上がれるようになり、取り敢えずその後出勤した。

 どうにか勤務時間をやり過ごした水曜日の夜、懲りずにまいばすけっとにストロングゼロを買い、いつものように晩酌しようとした。そのときのつまみはセブンイレブンで買ってきた103円のカルパスでパソコンでFC2ライブにアクセスして名探偵コナンの劇場版を違法視聴していた。

 酒を2,3口呷ってみて違和感を覚えた。アルコールを摂取すると胸がつかえるような感覚がするのだ。それに構わず飲酒して酔ったまま寝て出勤すると、水道水を飲むときにもその奇妙な感覚が惹起することに気付いた。木曜日はストロングゼロのロング缶を1っぽんに控えたがその夜も一睡もできなかった。そして出勤の時間となる。

  疲れているにもかかわらず全く眠れず、そのうえ仕事の疲労も積み重なり心身ともに限界に達した。昼間仕事の休憩時間に商業施設の出入り口に置かれている長椅子に横になるが一睡もできず、気持ちが嫌に昂り幻覚や幻聴などが見られた。

 金曜日の就業時間を乗り切り、幾分症状が軽くなったためエビスビールを買ってきて晩酌をしようと試みるも一口ビールを飲んだだけで身体に異常な反応が出始めた。前述の胸がつかえる感覚が早速起こり、それだけでなく動悸がして血圧が異常に上昇した。体中の血管が浮き出て不安感や焦燥感に襲われた。体が一切酒を受け付けない状態になった。

 土曜と日曜は完全に飲酒を辞めた。全身の震えが止まらず、体の自律神経に異常をきたして全身から以上に発汗した。長い文章を読むことができなくなるだけでなく簡単な文字を読むこともできない状態になり、そんな状況で月曜日を迎えた。

 翌週もほとんど眠れなかったが少しずつ快方に向かい、さらに一週間ほどたってようやく眠れるようになった。その後年の瀬までは断酒したがクリスマスの三連休と年末年始にまた大量に飲酒して2017年の1月上旬には前述のような体の変調が再び起こった。(これを離脱症状という)

 現在は飲酒の習慣がほぼなくなっている状況である。先週の土曜日にヒューマンアカデミーの面談があったため秋葉原に遠征したが、その生き帰りでビールのロング缶を3本ほど飲んだだけでそれ以外は全くアルコールを摂取していない。

 しかし、金曜の夜や土日に暇だったり財布に余裕があったりするとやはりエビスビールが飲みたくなる。それはアディクションだとか、そういうネガティブな願望ではないけどもできるだけ他人と食事をするときなどのやむを得ない場合を除いてはもう飲酒するべきでないと思っているのでどうにかして飲酒への衝動を抑えたいと思う。

 そういう意味でも土曜日のスクールはいいかもしれない。とにかくやることや用事があれば酒を飲む暇や酔っている時間が無くなるのでアルコールから遠ざかることができる。本当はもっと早くやめればよかったけども。

 いろいろといい時期かもしれない。酒を断ち、新しいことを始めるいい機会が来ていると考えれば27万スクールに払う理由としては十分だといえるだろう。酒浸りのままこれ以上人生を無駄にしたくないという思いもある。

 いや、それよりもあるのは、酩酊という状態それ自体に対する飽きである。気絶するまで安酒を呷ることにもう飽きたのだ。それに離脱症状で苦しむのもうんざりだし、心臓が止まりかけたり自律神経が狂って不眠で苦しんダリしているとき、自分には死ぬ気がさらさらないということが身に染みてわかった。

 酒浸りになっているときは、学生時代からずっと死んでもいいと思っていた。酒が肝臓をはじめとした内臓や脳にダメージを与えるということは重々分かっていたが酒が原因で死んでも本望だと思っていた。俺にとって死や病気は縁遠いものだったし、自棄になってもいたし、何より怖いもの知らずだった。

 目の前の嫌なことから目を背けるため、過去の嫌な思い出を脳裏から振り払うためには酒がどうしても俺には必要だった。酩酊に逃げ続けたのだ、何年も何年も……。

 先に書いたとおり、本格的に体を壊してそんな自暴自棄も消し飛んだ。人は簡単に死ねるものではないし病身を引っ提げて生きていくことはやはり苦しい。そんな苦痛に耐えるような覚悟など俺は全く持っていないし、安酒の酩酊で気を紛らわすのも限界のように思われた。

 そう、いろいろな意味でもう限界なのである。アルコールで現実逃避しても体を壊し、割に合わない仕事で人生を浪費するような人生にはほとほと嫌気がさしている。酒もやめられたし新しいことを始めるべきだ。そんな契機としては脚本スクールに通うのはいい選択なのかもしれない。