他力斎

雑記、雑感その他もろもろ

振り向くな振り向くな、後ろには夢がない

 前回の記事で自分の先天的な要素からの逃避というセンテンスを書き、自分の中でもぐっと来たから今回はそのことを中心にして書いてみる。

 タイトルは寺山修司が遺した言葉として有名な名言である。寺山修司と言えば映画とか短歌とか、いろいろあるけど個人的にはこの一文が最も俺にとって心に響いている。

 この言葉に対する解釈はネットでいろいろ語られているが、自分の過去や境遇などに対して顧みても得るものなど何もない、という意味だと俺は解釈する。寺山の生い立ちは世間一般の価値観に照らし合わせればあまり幸福とは言えないものなのだそうだが、自身のバックグラウンドへの忌避感情として寺山はこのような言葉を残したのだろうか。

 寺山の生い立ちで特筆すべきなのは、彼が青森県出身であるという点であろう。寺山修司が遺した短歌に「吸いさしの 煙草で北を指す時に 北暗ければ 望郷ならず」というのがあるが、寺山は多分生まれ育った土地に対してネガティブな感情を抱いていて、そういう思いがくだんの短歌やこの記事のタイトルにした文句に表れているのだろう。

 俺は寺山修司と同郷である。通常、寺山修司の故郷と言えば三沢市の名が挙がるだろうが寺山は弘前市生まれであり、生前自分の訛りを津軽弁と称していたので俺の中では寺山修司弘前出身の郷土の著名人ということにしてある。そんな俺も地元の津軽に対してはいい思い出はないし、さらに言うと自分が津軽人であることに引け目を感じている。だから寺山のこの言葉は俺にとっては強く印象に残る言葉だ。

 青森の人間というだけでほかの国民からは一段下等な人間だと思われる。それが偽らざる現実だろうし、青森出のすべての人間はあらゆる場面においてそれを思い知る体験をしているはずだ。それは寺山も例外ではなかったはずである。望郷の念を抱くことができない「北」。振り向いても夢がない「後ろ」。それは地理的な意味での青森、というか津軽に加え、我々の人生におけるバックグラウンドを構築する諸々の要素を表している。そう考えればこの記事で引用した寺山の二つの名句は津軽人である俺にとっては身につまされるものがある。

 俺は郷里の弘前津軽の土地が嫌いだし、自分の生い立ちをとても恥ずかしいと思っている。しかしそれ以上に憎いのは弘前津軽を蔑んだり嘲んだりする他所の土地の人間である。さらに言えばそういった余人が頭の中で思い描いているであろう津軽津軽人に対する劣った、遅れたイメージをより一層憎悪している。そしてそれから逃れたい、払しょくしたいという願望が自分の中にはある。

 しかし、そうはいかない。今俺は東京で暮らしているがたとえ何年東京で生活していても俺は死ぬまで在京一世のよそ者だし、いわゆる「お上り」であることは絶対に覆らない。それに津軽人であることも問題だが学歴やルックス、経済力に至るまで俺にはネガティブな要素しかないし、他人に低くみられるあらゆるすべてを俺は備えているといってよい。

 そんな自分を形成したのは津軽の風土であり、貧しい家庭環境と浅薄な両親による教育であった。自分を形作った全てを俺は否定し、逃れ、遠ざかりたかった。今にして思えば俺にとってのすべての行動の源泉、いや人生全体を通した目的や意義は先天的な自分を形作る一切からの解放、自由への志向だったのではないかという気がする。

 自分自身からの自由。自己同一性からの解放。それを成し遂げ、冠水するために自分成すべき事がこの歳になって、というよりもこの記事を書くことで明確になった感じがする。俺はそのために滑川という名を名乗り、面倒くさい文章を書いているのだ。

 逆に言えば、書かなければ俺は自分自身という牢獄に生涯幽閉され続けることになるのだともいえる。文章を書かない自分、それは何の取り柄もない低学歴ワープア。年齢的にも取り返しがつかず、だれからも愛されず、未来のない低能でしかない。そんな自分に嫌気がさして、心底否定したく、また、自分が自分でい続ける必要性も全く感じないからこそ俺は書かなければならないのだろう。

 それはネガティブに言えば逃避なのかもしれない。薄い望みにすがるために27万円という金をスクールに支払い、文章を書くトレーニングのためと称して一円にもならない乱文を書き散らしてインターネットのブログに掲載するという愚行。それは単にむなしい現実逃避に過ぎず、本当はシナリオ学校などに通う暇があったらやはり転職活動をするのが定石だったのかもしれない。

 しかし、と俺は一考する。今の会社から逃れ別の職場に移ったとしても俺は所詮低学歴の底辺労働者であり続けるし、友人も恋人も夢も希望もないのに東京にしがみついて一人暮らしをする愚かないい年をした男に過ぎないという事実は全く覆らない。俺は転職活動をしている最中に薄々このことに気付いていた。俺が本当に求めているのは転職などではない。むしろ転生、それが叶わないなら今まで送ってきた人生とはまるで違う生活、人生というシリアルな時系列に乗っ取った出来事の羅列の上に積みあがった「自分」という醜悪な存在からの脱却! それこそが俺の本当の望みでありそれは転職や就業を通して得ることは絶対にないのである。

 唾棄すべき過去。忌むべき故郷。呪わしい出自。それらから遠ざかるには、俺に与えられている選択肢は書くことしかない。今になって確信している。日課として一日3000字の作文を書くという自己満足的な愚行にも今の俺にとっては明確な意思を持って臨むことができるようになった。自分自身から自由になるためのたった一つの手段として俺には文章が、シナリオがある。そう思いたい。

 思えば本当に無価値な人生だった。寒村の貧しい家に生まれ、鞭で狭量な両親に育てられ、高等教育を受ける機会もなく、きつくて割に合わない、苦役以外の何物でもない仕事を無為無策で延々やらされ続け、インターネットをやりながら安酒を呷り酩酊し、惰眠をむさぼり、無意味に歳を重ねてきた。ただそれだけの人生だった。

 現状の生活はギリギリだが休みは一応暦通りである。酒を辞めてしらふのまま毎日を過ごせるようにもなった。新しいことを始められる準備は完全に整ったといっていい。そんな状況で終末に通えるシナリオ学校の存在を知ったのは俺にとっては運命的に思えた。それまでシナリオの学校と言ったら六本木や赤坂の平日の昼間や夜7時ごろ始まる教室しか知らなかった。青山の学校は日曜日に受講できるもののあまりいい噂は聞かない。そんなこんなでスクールに通うことは諦めていたし、完全に独学で脚本の勉強をする解消もなくこの年まで無為に過ごしてきた俺だが、土曜日に受けられるシナリオ学校がつい2年前から存在していたとは! しかもそれを知ったのは転職活動に行き詰っている最中で、今年の4月からの入学が間に合う絶妙な時期だったというのは、俺にとってはまさしく天啓に等しく感じられた。勤め先の会社とその学校が目のと鼻の先ほどの距離しか離れていないという点も俺にとっては衝撃的だった。

 まるで誰かが取り計らって用意されたかのように、そのスクールは存在し、俺はそれをこれ以上ないほどのタイミングで知った。俺にとってはこれまでを、そして今を変える絶好の契機に他ならなかった。

 自分自身からの自由への志向。それこそが俺の人生のテーマであり一生を通して冠水しなければならないミッションなのだろう。そしてそのために俺は書くのだ。