壺中有天

弁ぜんと欲し 已に言を忘る

俺の妹がこんなに疎ましいわけがない

 ネットでは妹萌えなどという思想が蔓延しているが、現実の家族において妹という存在を持つ人間ならそれに共感を抱くものはいないだろう。俺にも一人妹がいるが、生まれた時から大人になるまで、ずっと妹が嫌いで忌ましかった。

 俺は津軽の寒村の貧しい家の長男としてこの世に生まれ落ちた。都市部などと比較して、津軽という土地柄はあらゆる面において半世紀ほど遅れているといっても決して言い過ぎではない。とりわけ家や家族という観念においてもおおよそ現代という時代に追いついていない考えがいまだに主流だったりする。そんな環境で長男であるということはマイナス要因に他ならなかった。

 貧しく遅れた土地において、長男という存在はは家を存続させるための道具に過ぎない。俺は長男として生まれ長男として教育や躾を受けてきたがそれらはどれも前時代的なもので家の存続のために俺を一人前にさせるために父も母も俺には大変厳しくあたった。妹が生まれてから特にそれは顕著になったように思える。

 しかし、そんな家庭環境において妹はどのように育てられたか。これが俺とは打って変わって両親は妹を甘やかして育てたのである。俺は幼少のころからやりたくもない習い事を何年もやらされ続け、入りたくもない運動部に強制入部させられ、進みたくもない職業科の高校に行かされ、勤めたくもないクリーニング工場で強制労働させられ、という風に育てられてきた。妹の教育はそんな俺絵とは全く対照的で、両親は妹が望むままに欲しいものを買い与え、やりたいことをやりたいようにやらせてきた。俺はそんな風に育てられる妹が恨めしくて仕方がなかったし、兄妹で育て方や躾け方に差別というか区別をつける両親を憎々しく思った。

 妹は声優志望だった。アニメが好きで、東京に出てアニメ声優になるのが幼いころからの夢だった。俺にも夢なりやりたいことがあったが俺の望みなど両親は全く聞き入れなかったにもかかわらず、妹の望みは可能な限り両親は叶えようと躍起になった。妹は中学時代は演劇部で、高校時代はどこかの街の声優の養成所にも通っていたらしい。俺はやりたくもない労働で高校時代の貴重な時間を浪費したのに、それとは対照的に妹は自分の夢を追う機会に恵まれたと言っていい。

 結局妹は声優にはなれなかった。というよりも津軽の実家から東京に出ることすら叶わなかった。しかし、妹は高校が終わって成人するくらいまでは津軽の声優学校に通って夢を追い続けることができたのである。やりたいことの一つも許されなかった俺からしてみれば妹は十分幸福だったと思う。それができた妹は俺と比べて明らかに両親に贔屓されていたし愛されてもいただろう。俺はそんな妹が妬ましかった。

 ちなみにどの高校に行くかどうかという選択肢も俺と妹とではまるで違った。おれは職業科の高校にしか進学を許されなかったにもかかわらず、妹は普通科の高校を第一志望にするように両親は積極的に後押しした。妹は俺と比べて数段学力で劣っているにもかかわらずである。妹が中学卒業後の進路を決める段になって、俺は自身と妹との間で高校の選択肢に明確な違いがあることをその時にまざまざと思い知らされた。加えて両親は妹を金のかかる私立高校に入れてでも「普通科」に通わせることに拘った。そのことで俺は両親という家族というものにホトホト嫌気がさしたのであった。長男の俺が職業科で妹は普通科! 俺より数段劣っている妹の方が! しかも私立にやってまで親は妹を贔屓にして! という憤りを当時の俺は家族に対して抱いたのを居間でも鮮明に覚えている。

 俺は自由にいさせてもらえなかったのに! そんな被害者意識をずっと持ち続けて俺は大人になったし、そんな思いで大人になってからもずっと生きてきた。俺は妹のために犠牲になった、妹が気ままに生きるために俺は割を食わされた。そんな感情が心の内奥で燻っていたように思われる。

 自分が他者のための犠牲にされている。他人が幸福や快楽を享受するための生贄にされているという不満感は俺の生涯においていつも付きまとった。会社でもそうだったし、学校でも無論そうだった。そしてそれは家庭の中においても変わらなかったのだが、俺はここにきて自身のそのような感情について一考するべきなのかもしれないと感じている。

 俺のこの被害者意識。それは俺に何をもたらしたか。確かに俺はあらゆる局面であらゆる人間からひどい仕打ちを受けてきた。しかし、それを踏まえそれを立脚点とし、「自分は惨めで哀れな被害者」だという設定で生きることに一体何の得があるだろうか。そんな疑問がつい最近になって浮かんできたのである。

 両親、妹。津軽の頑迷で狭量な家族や親族は確かに俺を不当に扱ったし、俺の人生から選択肢を奪ってきたところはあるかもしれない。しかし、それがんなんだというのだろうか。俺は自信の過去に区切りをつけることを望んでいる。これまでいくつかの記事でそのような趣旨の文章を書いているが、それを成し遂げるために必要なのは「被害者たろう」という気持ちを手放すことなのではないだろうか。

 妹のために、家の存続のために、子供のころからずっと抑圧されてきた。そんな過去の自分が受けた仕打ちを立脚点として自己を認識し、人生というシリアルな時系列に基づく出来事の羅列に則った自分から解放されるために必要なことは、そんな被害者としての私からの脱却に他ならない。俺は自由になるべきであり、それは何よりも優先されるべきことである。それを完遂するために必要なのは被害者意識の唾棄であることは疑いようがない。

 妹のために俺はたくさん割を食わされた。理不尽な目に遭ってきたし、妹さえいなければ、と物心ついた時からずっと思ってきた。しかし、妹に限らず、俺を苦しめたすべての他人とそれに付随するあらゆる苦しく嫌な思い出を手放さなればならない時がまさに今、この瞬間に訪れているといってよい。

 誰からどんな仕打ちを受けたか。そんなことはもうどうでもいいのではないか。最近になってそう思うようになった。それは特に会社で働かされている時にも感じるし、その思いは家族に対しても敷衍して言えるのではないだろうか。俺は他者から被った諸々の事柄をまるでコレクションを収集して丁寧に並べて陳列するかのように後生大事にしているのではないか? そう自問することが多くなった。

 これまで被害者として振舞ってきた自身を顧みれば顧みるほど恥じ入る思いもあるし、損だったなとも思う。自己憐憫に浸ることで人間に一体何が得られるというのか。俺は弱く、愚かだった。弱者のまま、被害者のまま生きていこうなどと考えるのは怠慢以外の何物でもない。それで実のあるものなど何も得られない。俺はそのことを今生において身をもって学んだし、そのきっかけを与えたのは妹や両親といった家族だったのかもしれない。

 不遇を託つことの生産性のなさ! そのことに気付くまでに俺はたくさんの時間を要した。客観的な事実関係にばかり注視して、被害者であろうとすることの無意味さ! それが「正しい」としても、その正しさが俺に一体何をもたらすというのだろうか。

 もう家族とは大分疎遠になった。今は物理的に離れたところで生活しているし、電話などで連絡を取る機会もめっきり減った。だから今になって冷静に家族について考えることができるようになったのだろう。俺が思うに家族関係はあらゆる人間関係の基礎たるものであり、その家族に対して被害者意識があるということは、すべての対人関係においても俺は積極的に被害者であろうとしているのではないだろうか。そういう自信の気質を不毛であると断じるのはこれから先生きていく上で必須のものとなるだろう。