壺中有天

弁ぜんと欲し 已に言を忘る

マユイズム

 私の曾祖母はマユという名前であり94歳まで生きた。マユは明治生まれの津軽人でとても頑固というか頑迷な人物であった。ひ孫の私とは同じ家で生活していたが精神的な交流と呼べるものは殆どなく、幼少の私にとってマユは得体の知れない何か恐ろしい存在のように感じられた。曾祖母はいつも何かに対して不満気だったし、厳しい表情をどんなときもしていたような記憶がある。

 マユは実利をとても重んじる性格であったという。ひ孫の私には知るよしもないことであったが、父や叔母たちから伝え聞いたところによれば、マユは自身の息子たち、つまり私から見たところの祖父や大叔父たちが実業に関係のない娯楽や芸術などについての書籍を開くことも許さなかったという。私の祖父は文学が好きだったが、マユの前では小説一つ読めなかったという逸話すらある。

 今にして思えば、マユの性向や気質はそのまま私の家の家風となっていたのだろう。津軽の寒村に根を下ろした我が一族の方針としては、マユの実利主義は至極当然のものだったように思える。大叔父たちは都会で企業人や実業家となり成功したが、私の祖父だけは家長として家を維持するために家業の農家を継ぎ、嫡子つまり私の父をもうけた。祖父はマユに倣って父を育て上げ、自身が受けた薫陶を父に受け継がせた。

 気候が厳しく、経済的弱者が多数を占める津軽においては、人間の精神もまた貧しいものになるのは無理からぬ話だ。曾祖母だけでなく、家中の者はみなどこか殺伐としていたし、金銭的に何にいくら掛かるかや収支の仔細についてはどうしてもシビアにならざるを得なかっし、そういう余裕のない心が意識無意識の別なくどんな瞬間や場合においても支配していたような感が思い返せばあるような気がする。

 私が父から受けた躾や教育などという名目の様々な仕打ちは、今にして思えば祖父や曾祖母に遡れる代物であった。父は自身が親からされた通りのことを私にもしたのであろう。そして父の父、つまり私の祖父は曾祖母の実理優先の思想を色濃く受け継いでいただろうし、父の思想は少なくともマユにまでは原因を求めることは可能だろう。

 家族という関係や家という環境は個人の心身にとって決定的な影響を与える。私は人間という存在は偏に環境の産物だと思っている。というよりも一個の人間は土地や階級、一族の諸要素を統合し代表する存在だと考えている。少なくとも生育環境は個人を語る上で絶対に無視できなものであることは自明である。私は己について省みる時、家についてまず思いを馳せる。自分の人格や精神、背丈や顔立ちですら私は「家」が作り出したと断ずる。私が抱え込んでいるトラウマをはじめとした精神的なネガティブな要素は実利のみを求める家風によって色々と強要されてきたからであり、その悪しき家風は私の主観の中ではマユが発端となっているように思えてならない。

 我が家の家風は私にとってとてつもなく大きな障害であった。田舎の貧しい家庭であり、子供はもとより大人の教育水準が都会人のそれと比べて明らかに低劣であった。そういう環境において生まれ育つ人間は平均以下の教育しか受ける機会を与えられない。私の将来は貧困と無知によって閉ざされたようなものであり、これは家庭環境を考慮すれば「そうなるべくしてなった」、避けられないことであったと言えるかもしれない。

 私は長男として、将来いくら稼げる人間になるかという一点のみを問題にされて育成され教育された。父も母も目先の損得しか頭になく、私がどんな人間になるかは単に月いくらの給料を貰う労働者になるかというだけのことでしかなかった。それだけが両親の目標であり、私が産まれて来て生きる目的であった。

 実利という唯一絶対の指標によって私は育てられたし、私のしつけや教育以外のあらゆる事柄についても金の問題は常について回った。生活はいつも苦しく、享受する娯楽もテレビ番組やコンピューターゲームなどが主で芸術や教養などとは全く無縁であった。かつて祖父が曾祖母から文学を取り上げられたように、父や母は文化的な文物に私を浴させることは全く無かったと言っていい。

 田舎の下層階級には教養など不要というよりも有害である。そういう環境で育つ子供に与えられ要求されるのは直接収入に結びつく習い事や実学であり、人生を豊かにするために芸術や文化などでは決してない。それは下層階級に属し、卑しい身分に産まれ生き死んでいく者たちにとっては揺るぎない真理だ。そのような意味において両親や祖父母、また曾祖母に至るまで貫徹された実理のみを希求して自他共それを要求する生き方や思想は当然のことであり、これに疑問や反意を抱くことは間違っていると言えるのかもしれない。

 大人になって親元を離れた現在も、形而上的な概念と化した「家」は常日頃私に付きまとう。私は都会で一人暮らしをしているが依然貧苦に喘いでいる。そういう身分である私にとってやはり経済上の問題は常に付いて回るし、労働者としても最底辺に位置づけられている。実利は現在においても私にとって懸案事項であり無視することはできず、金のことで頭を悩ませる度に私は貧しい故郷の家を思い出す。頑迷で無教養な人々の群像と自分自身の浅ましい身の上が重ね合わされる。彼らの影響下で育ち、全くそれを克服できていない己にもどかしさを覚えるのである。

 マユや私の家に限らず、貧しい家やそれに属する者にとって実利とは最も重視すべきものの一つだろう。我々は生きるだけで本当に精一杯で、眼前の損得から目を背ければ最悪命取りとなる。津軽人であるならば貧しさと不幸せからは絶対に逃れられず、またそれらは無知や無教養と無関係ではない。マユや私の身内の人々、ひいては津軽人全体が多かれ少なかれこのような気質を備えているだろうし、私もまた例外ではない。

 マユは私が知る最も遠い祖先であるが、マユもまた私が属する家系における一つの通過点に過ぎない。私はマユがとりわけ我利我利亡者だとか狭量で頑迷だなどとと言いたいわけではない。言うまでもなく曾祖母にも両親がいてそれにもまた親がいるのである。親から子、子から孫、孫からひ孫と下層階級の理屈や精神は延々と受け継がれるしまた、家系はどこまでも遡ることができる。そんな大きな流れの一部としてマユが存在し、また私も生きている。

 そして家系全体が受け継いだ実利を重んずる心は津軽という遅れた貧しい土地が生み出したものである。実利のみを求め、それ以外を軽んじたり気に留めたりもしない姿勢を私は浅ましく思う。しかし、このようなさもしい心を携えたまま私は異郷の地で今日も卑しい生活を営んでいるというのは無視できない事実である。

 マユに代表される一族の悪癖、津軽の地が生み出すゲニウス・ロキとしての貧乏性的な精神を私は乗り越えなければならないし、この問題は恐らく私にとって一生涯の主題となるだろう。目下の問題としては経済的に余裕のある生活を営める様になるべきだが、それ以上に思考しなければならないのは実利から離れたところにあるものにもっと興味や関心を持ち、労力や時間を避けるような暮らしを実践するべきだろう。単に金があれば解決する話ではなく、もっと精神的に豊かになれる道を模索することで、マユや家族、ひいては先祖や津軽的な物心両面における貧しさを超克できるかもしれない。