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書き捨て山

雑記、雑感その他

内側の敵

 私は自身の心の内奥、それも中枢に陣取る他人の存在を感じる。何かで失敗をしたときや目標に届かなかったとき、私の中に居る何者かが私をあざ笑い、蔑み、徹底的に否定する声が聞こえるようなきがする。それ幼少の頃から今日に至るまで、片時も止むことのない残酷で容赦のない声だった。
 私は自分に対して不寛容だという自覚がある。その例の声が自分の精神における一つの側面であることは明白であり、要するに私は不都合があったり問題に直面すると内罰的な兆候を見せるというだけのことである。そしてそれが実際に被る不利益よりも遥かに私を悩ませるのであった。
 己の蹉跌や不備を私自身が許すことができない。何故あのときああしなかったのだろうか。何故もっと上手くやれなかったのだろうか。そのような自問自答を延々繰り返し、しくじりを免れたパターンに思いを馳せながら、現実との乖離に嘆きながらその原因たる自身の不行き届きを延々と内心で追求し続けるきらいがある。
 他者からの批判や嘲笑よりも自己嫌悪が私を最も苦しめる。自分の緩怠が甚だ許しがたく思われ、不甲斐ない自分にただひたすら腹を立てる。自分以外の誰にも責任を転嫁することができないため、必然的に己自身を吊し上げて徹底的に批判することになる。そして自分に浴びせられる情け容赦のない言葉が何よりも私にとって精神に打撃を与えるのだった。
 結局のところ、気にしているのは「他人の目」ではなく、自分自身からの攻撃だ。他人から失敗を指摘されたり責められたりすることが仮にあったとしても、私ははっきり言って歯牙にもかけない。仮に沈痛な面持ちを見せたとしても、喉元過ぎればそんなことは呆気なく忘れてしまうようなタチだ。しかし、保管でもない自分自身の容赦ない悪罵や人格や精神への攻撃は心の琴線に直撃するのだった。
 私は己を恐れる気持ちを外界に投影し、万物に怯えてきた。本当に戦慄すべきなのは自分が自分に向ける嘲罵や侮蔑だというのは明らかだ。しかし私は、自分の外側に何らかの外敵が存在しており、それによって自分が苦しめられ責められているという愚昧な考え違いをすることがままある。冷静になり自身を内省すれば冒頭で述べたように自身の内側に巣食う無慈悲な批判者を意識できるが、突発的に何らかのアクシデントに見舞われるとそれについてはどうしても失念してしまう。これは私が具有する気質の中で最も改めなければならないものだ。それについてこれから細かく書いていく。

 


 両親は私に大変厳格で厳格であった。彼らは執拗なまでに私を心身の別なく律しようとした。彼らは私の一挙手一投足、言葉の端々や表情一つにも事細かく注文をつけた。私の言動や行為の全てを徹底的に監視し、何か少しでも至らない点が一つでもあれば、それをあげつらい徹底的に批判し、私の精神を完膚なきまでに打ちのめした。
 幼少期から私には親に責めら続け、なじられた思いでしかない。言動一つとっても常に両親の意に沿うものにするよう心がけ、薄氷を踏むように最新の注意を払った。しかしそれでも両親の機嫌を損ねるのが常であった。つまり私は、父や母にとって何かにつけて至らない、気に食わない、虫の好かない子供であった。事ある毎に彼らは私の人格や心根、能力や知能について非難し、咎め続けた。ちなみに、現在においてすら彼らはその姿勢を変えてはいないということも付け加えておく。
 特に、お前は自転車に乗れるようになるのが他の子供より遅かったと、母は何度も何度も引き合いに出してよく私を非難したものだ。この「自転車の件」は母が酒を飲み酔いが回ると必ず触れる話で、私はそれにほとほとウンザリさせられた。要するにこれは、近所の他の子供よりも補助輪無しで自転車に乗れるようになるまで、自分の息子だけ時間が掛かったという母の不満話だ。この一事が母にとっては非常に気に食わず、母は自分の子供が健常かどうか私に疑いの目を向けたのだという。そのことを酩酊に耽りながら母はこれまでに何度も何度も、何度も私にまくし立てて言い放った。他人よりも自転車に乗れるようになる時期が遅かったという私の「過失」は、幼少期から青年期に渡るまでの間、大罪のように言い立てられ、母の口から私の耳に延々と滔々と流し込まれれた。母は私を知的障害者の出来損ないだと思ったそうだ。
 父や母は自分たちの価値観や世界観という「理想の鋳型」に私を嵌め込もうと躍起になった。何歳で歩き喋るようになり、何歳で自転車に乗り、友人を何人作り、将来の労働に役立つ技能を習得し、家庭の調和を乱すことなく成長し、何歳で結婚し、子供を何人もうけ、一家の命脈を保つことができる人間になることを彼らは私に要求した。しかし、その期待に答える能力や資質を私は一切有していなかったのは私にとっても両親にとっても全く不幸なことであった。

 

 振り返れば、私にとってあらゆる人間関係は両親との間柄の焼き増しにすぎなかった。私は父や母を恐れた。そして彼らは私にとって生まれて初めて接触する自分以外の人間であった。そして彼らへの恐怖が遍く全ての人々への先入観として私の心に根深く植え付けられた。対人関係に対して例外なく私が抱く恐れや不安という感情は、元を正せば両親に対する怯え以外の何物でもなかった。
 両親の罵倒や嘲弄、難詰や呵責や指弾は全て私の血肉となった。不首尾や不都合、不利益や理不尽に見舞われる度、私を責め立て追求する両親の声が私の脳裏で常に残響した。お前は頭も要領も悪く、醜悪で怠惰で愚劣・鈍重。誰からも好かれない人間未満の犬畜生なのだという罵声が頭のなかでなっているように感じられ、それらによってわた子は萎縮して臆病になってしまっていた。
 どんな局面のどんな瞬間においても私の中には常に父や母が居座っている。彼らは状況や背景、因果関係の如何を問わず常に私を攻撃し否定し、批判を浴びせ続ける。どんな時も私は幻聴のように付き纏う両親の声に竦み、彼らの批判をかわせずに頭を抱えうずくまる思いでそれが鳴り止むまでただ為す術もなく見を縮めるだけであった。
 内在化した父親や母親が私を常に苛み、攻撃し続ける。どんな些細な失態や恥もこの世を揺るがす一大事のように心の中の両親は一つの残らず取り上げ、私の肉体や精神についての一切合財を全否定する。それが恐ろしくて、耐えられず、行きづらいことこの上ない。

 


 私は他人は残忍で狭量で、恐ろしい存在だと考えてきた。人の世に両親などなく、誰も彼も虎視眈々と他人の失敗や欠点を探し回り、不寛容さを発揮できる端緒が一つでも見つかれば嬉々としてそれを取り立てて嘲弄し軽侮の念をありとあらゆる手を用いて表明し心身ともに相手を痛めつける。それこそが人間一般の本能であり、万人にとっての無上の喜びに違いないのだと、私は信じて疑わなかった。
 しかし、私は他人など一切見てはいなかった。先に述べた言説は、もしかしたら人間の本性についての一つの側面を言い当てている部分はあるのかもしれない。だが、私が認識して恐れ、問題視しているのは他人という鏡に映し出されが自身の内に秘めた鬼胎でしかない。結果的にそれが正鵠を射ていたとしても、それは他者という存在を見てのことではなく、飽くまで自身の内面を観照した結果にすぎないのである。

 私を束縛し、いたぶり苦しめ続けたのは自身の内なる存在だった。それは単刀直入に言えば内在した母や父の声であり、彼らが私に施した教育と躾の集大成であった。私に刷り込まれた自己嫌悪や自己否定の性向の起源は両親が私に対して抱いた失意の念にほかならない。何故お前は上手くやれないのか。何故お前は人並みの肉体や精神を持つことができないのか。何故お前は私の息子なのか。そういった失望の眼差しとそれを表明する態度や言葉が私の精神に深く突き刺さり、それによりできた心の傷が今なお膿を生じさせ私を害しているといったところだろうか。
 内在化した両親、内側に巣食う者を克服しなければならない。不意に些細なやり損じなどを犯したとき、心の準備ができていないせいで癒やし得ないトラウマの引き金を引いてしまうことがある。そうなれば他人がいくら気に留めず責めもしないとしても、私の内心においては大変な糾弾が繰り広げられ、私は内在化した父親や母親の手によって血祭りにあげられる。しかし、身も蓋もないがそれは単なる妄想にすぎない。それによって無駄で無意味な憂苦や葛藤が惹起されているなら、それは乗り越えなけなければならない。
 私が残りの人生において克服しなければならないのは、自分自身への不寛容さであった。人間は他人の目が気になり、他者からの批判を恐れているようで、実のところ自分自身の内なる声に怯えているに過ぎない。それを完全に滅却できるかどうかは置いておくとしても、それによって苦しみ、辛い思いをしているということは常に念頭に置くべきだ。