壺中有天

弁ぜんと欲し 已に言を忘る

倦怠

 毎日3000文字の文章を書くというのは私には少々荷が重いようだ。言うまでもなく平日も土日も毎日毎日3000字の文章を書けるほどの話題が転がっているわけがない。基本的に日常というのは同じことの繰り返しであり、働いていればなおさらだろう。また、休日に風変わりなことをしようと思えば当然金がかかる。それができるような経済状況ではない。

 よって、毎日文章を3000字なんでも良いから書き続けるという行為は苦行でしかなくなる。多少支離滅裂な内容であったり誤字脱字があったりしても構わないと自分の中でハードルを下げたとしても、それでも私の能力では厳しい試みだった。書くという所作が自分の中で負担になっているのを感じる。

 結局のところ、私には文章を書く能力や適性というものが自分で思っているほどにはないということなのだろう。心の何処かでは、これだけはと思っていた。しかし実際にやってみると、文章を書くことがそう大して好きではないということに気付いた。それが分かっただけでも良かったと言えるのかもしれない。少なくとも大好きでやりたくて仕方がないというわけではない。

 職場に拘束されている最中に、文章のことを考える。どんなことをテーマにして記事を作成すればいいか。各段落の先頭のセンテンスだけでも書こうとした。そしてそれらについて考えあぐねることが、私は実は嫌なのだ。割に合わず将来性もない嫌いな仕事からようやく解放されても、自宅に帰れば食事の前か後に自らに課したブログの作文をしなければならない。そう思えば気が重くなる。

 誰であれ大儀で疲れることなどやりたくはないだろう。私もどちらかと言えば物臭な方であり、生来の気質のために何かを成し遂げた経験が殆ど無い。このブログを毎日更新し、一日3000字の文章を仕事の日も休みの日もコンスタントに書き続けるという苦行など、正直に言えば投げ出したいと思っている。

 だが、これまで同様に面倒だからと言って継続的なな努力を断念してしまえば、結局今までと同じ人生が死ぬまで続くこととなる。それは私にとって本意ではない。私の半生はとても肯定できるようなものではなかったし、現状ままのんべんだらりと暮らしていくことを私は潔しとはしていない。その一年だけが私の重い腰を上げさせ、今日の文の文章を書いている。

 

 

 さらに悪いことに、このブログ以外の文章も書かなければならなくなった。ならなくなった、という言い方は語弊を招く表現かもしれない。詳しい経緯は書かないが、別に誰かに強制されて、と言う話ではない。小品となる文章を書き上げれば、内容の次第によっては雑誌に掲載されるかもしれないという募集があり、それのために何かを書いてみようと思い立っているだけだ。別にどうしてもやらなければならない「仕事」ではない。

 しかし、誰のためでもなく何の得にもならない駄文を大量にこれまで書き続けてきたのは、文章を書くことで人生を少しでも好転させようと試みたのが理由であった。それならば、無名な雑誌の片隅にであれ自分の文章が載るかもしれないという話を無視して手をこまねいているわけにはいかないだろう。その募集においては880字程度の文章を書けばいいのだから、単純な文字の量で考えればそう難しい話ではない。

 仕事とこれとそれ以外の文章の作成を同時にこなさなければならない。しかし、それのハードルがどうに私には高く感じられる。働くだけなら可能だ。働きながら毎日欠かさず3000字の文章を作るのも可能だ。しかし、それら加えて何かをしなければならないとなると我ながら不安になる。単刀直入に言うなら、できる気がしない。

 何もかも投げ出してしまいたくなる。鬱屈した胸につかえるような思いを酒で押し流すような日々。私がかつて営んでいた生活に戻りたいとすら思う。たとえその先にあるのが破滅だとしても、その結末に身を委ねてしまいたい。現在の私には飲酒の習慣はないが、酒を飲まないのは文章を書くために判断力を保つ必要が有るためだ。逆に言えば書かなければ別に酒を断つ理由もなくなる。書くのをやめてしまえば……。

 仮に体は無事だとしても、書くのをやめれば私は死ぬまでこのままの暮らしぶりだろう。低賃金で長時間拘束され、やりたいこともいきたい場所にも行けず、労働と消費を命ある限り繰り返すだけの底辺でありつづけるだろう。現状を僅かでもマシなものにするには、何かを身に身に付けなければならない。そしてそれは私にとって書くことしかあり得ない。それでも……。

 

 

 私が人並みにできるのは文章を書くことだけだ。資格もなく技能もない。経歴も際立って秀でた要素など全く無い。絵を描くことも作曲をする能力もない。英語などの外国語を習得することもできない。私がこれまでの人生で他人と戦って勝ち目がありそうなことは作文だけだった。それは他の何かよりはマシと言う程度だとしても、それは私の唯一の取り柄であるように思われた。

 その書くと言う行為が億劫に思われる。今日の分となる文章を考えたり下書きしたりするだけでも何度も書き直した。そしてその度に自分の文才が大したことはないと言う事実を思い知らされた。自分の能力のなさを思い知ることは何よりも辛い。他人にバカにされたり、思うような成果が出ないよりも、身を以て自覚することこそ耐え難い。特異だと思いこんでいる事柄においてはなおさらだ。

 面倒くさいだけで済むならいいが、書く度に自分の思っているような文章にならないのも癪に障る。単純な労力だけならばそれほどではないが、結局自分の拙さを自覚する機会に直面するのが嫌だ。全く書けない人間に比べれば多少はマシと言う程度の文章力しかないと露呈するのが耐えられない。それでも自らを鼓舞して少ない余暇の時間を咲いて文章を書くことは単純に大儀この上ない。

 結局のところ楽しくない。文章であれ何であれそうだが、結局楽しいかどうかが全てだと言える。面白がれることなら苦には思わないだろうし、時間や労力を割くことになってもそれを気に病んだりはしないだろう。私は働くことが嫌いだが、何故嫌いかと深く自問することはなかった。それは面白くないから嫌なのだ。それは仕事以外の、このような行為においても言えることだろう。

 仕事でも遊びでも面白さを感じないから面倒に思うのだ。私という人間の能力の低さは物事に対する興味や関心の幅の狭さに起因している。文章を書くという他のことよりは得意なことであっても、面白くないから投げ出そうとする。何かをやりたくないと感じたなら、それについてどのように捉えれば面白いと思えるか自問してみるべきなのだろう。

 

 

 逃げることは容易い。今書いている記事どころかブログそのものを消してしまえばいい。そして今すぐスーパーに走り、ストロングゼロのロング缶を6本ほど買い、後は気絶するまで飲み続ければいい。それだけのことだ。そして酒が残ったまま翌朝会社に行く支度をして、肝臓が分解し損ねたアセトアルデヒドの悪臭を全身から撒き散らして将来性のない労働に従事すればいい。

 暇を持て余して酒浸りになることはできる。怪しげな人工甘味料とアルコールを混ぜ合わせて作られた安酒は簡単に手に入るし、それを呷り酩酊状態になるのには何の労力も必要ない。体や脳を本格的に壊すことになるだろうが、残りの人生をただ飲み明かして暮らすという選択肢も別に選べなくはない。やろうと思えば仕事すら放擲して飲み続けられる。それに虚しさを感じないなら、それは全く安易なことだ。

 だが、その先に待っているのは家畜のような人生だ。いや、人生などといった言葉で言い表すにはあまりにもお粗末な生だろう。無節操に美味くもない酒を飲み続け、泥酔し時間をただ無駄に浪費してたところで、何一つ得るものはない。酒代を稼ぐために卑しい仕事に死ぬまでしがみつかなければならない。粗末な安酒の為に生きる人間など畜生にも劣る。

 面倒から逃げれば、私はある意味楽にはなれるだろう。これまでの私の人生はずっとそのような感じだった。私にとっての現在は、常に過去への後悔と未来への絶望との間で板挟みにされた代物でしかなかった。その居た堪れない今から逃れ全てを忘却するために、あらゆるものへの倦怠感や面倒臭さから目を背け逃避する手段として私はずっと飲み続けていた。そししてそれは実際安楽であった。

 しかし、その先には何もない。仮初の安逸や現実逃避の果てにあるのは、先にも述べた通り破滅であることは目に見えている。辛くてもつまらなくても、私は結局これをやめるべきではないのだろう。高々ブログの文章を毎日3000字程度書いたところで何がどうなるわけではないが、それでも酒に溺れて何もしないよりはいくらかはマシであることは明らかだ。