他力斎

雑記、雑感その他もろもろ

道具

 自分が社会を維持するための道具でしかないと認めるのは辛い。私は誰かにとって掛け替えのない大切な存在では断じてない。仕事上においては私の代わりを務められる人間など世間には吐いて捨てるほど居るだろう。私が今までに携わった全ての事柄についても全く同じことが言える。私がそれに関わらならない必然性は何一つなく、私と同じ機能を持つ個体がいればそれにすげ替えれば一切は解決するだろう。

 無論私自身の心情的にはそうではない。私にとっては私は誰よりも大事で地球上でもっとも重要な人間だ。それは言うまでもないが、それは私にとっての私であって、他人からして見ればそうではないこともまた言うまでもない。しかし、客観的に見た私がどれだけ無価値で無意味な存在であったとしても、主観においては私は絶対的に価値がある唯一無二の存在である。

 この自分についての見解の相違が悩みの種となる。主観的には自分はどんな人間よりも尊いはずなのに、客観的にはそうではない。誰よりも大切なはずの自分が社会や世間においては全く顧みられることもなく、あしらわれたりぞんざいに扱われたりする。このギャップが私を長年苦しめ続けてきた。

 それは主観と客観のどちらが正しいかという話でもある。だが、それについての答えをあえて出すならば身も蓋もないが客観的に見た人物像としての私の方への見方「正しい」ということになってしまうだろう。私が大切で大事だと見做しているのはこの世に唯一人だけで、それ以外の人間には私など路傍の石、塵芥ほどの値打ちもないという無慈悲な結論に至る。

 客観的、つまり他人からみてある程度の価値があると見なされるには、道具として徹するしかない。他人にとって利用価値のある存在であることを示すことで、私は他人から好意を抱かれるように努めた。それは学校でも社会でもそうであったし、現在も労働者として命脈を保ちながら自活できている現状を鑑みれば、それは必要最低限ではあるが一応の成功を収めていると言えるのかもしれない。

 コンスタントに賃金を支払われてしかるべき労働力として認められているからこそ私は収入を得ることができている。それがこの街で生活することを可能にしているのであり、成り立っている現在の暮らしは道具としての私が得た一つの成果であると見ていいだろう。

 

 

 私が道具としての自分を自覚したのは高校1年のときだった。高1の夏休みに母親が私に労働を強要し、母が勤めているクリーニング工場に1ヶ月働かされた。これが私の生涯置いて初めて経験した労働であった。月曜から金曜日、朝8時から夕方の17時までの9時間労働で、当時高校生だった私にとっては筆舌に尽くしがたい苦役に感じられた。汚物まみれの洗濯物を洗い、シーツを洗濯するための業務用の洗濯機を操作し、水気を含んだ重い重い洗濯物を屋上まで運び炎天下でそれを干した。その労働の対価は僅か時給610円であった。

 糞以下の扱いであった。青森県の法定最低賃金は時給608円であったため、そのギリギリの水準で働かされたのだ。仕事の内容がどうであれ、マトモな額の賃金が支払われるなら正当な労働であると考えたかもしれない。しかし私が被った強制労働は無論それとは無縁の代物であり、私は自身の不遇さを思い知った。

 しかし、辞めたいだのやりたくないだのといった泣き言を母は決して許さなかった。結局苦しみながら高1の貴重な夏休みをドブに捨てることになった。私は母の計らいにより、キツく割に合わない仕事をやらされる自身の身分を痛感させられた。それだけでなく、自分が被っている苦役が夏休みだけでなく、高校が終われば死ぬまで形を変えて従事させられるということにも気付いた。

 自分が赤の他人に都合よく使い捨てられるだけの存在でしかないとはっきり自覚したときの私の絶望感は、自殺衝動を伴うものであった。高1の秋にはもう死ぬことしか頭になくなり、自身の将来を悲観してどのような手段で自らの命を断つべきか思案するばかりであった。今にして思えば愚昧な悩みではあるが、当時は安い賃金で苦しい労働を死ぬまでやらされるという現実はそれほど辛いことのように思えた。

 自分が無価値な存在であると他人から突きつけられたのが、当時の私には耐え難かった。時給600円ほどで朝から晩まで肉体を酷使し、汚物まみれになって働かされて然るべき存在が自分なのだという現実。それは己という存在がまさに他者の欲得や幸福の為に犠牲にされているということを意味しているように思われた。私は津軽の寒村で底辺労働者に甘んじている目下の自分が使い捨ての道具のように思われた。それがどうして受け入れられず嫌だったから私は結局東京の大学に進学することを口実に故郷を捨て去ることを決め、弘前を発った。

 

 しかし、東京に移住してからも私は依然道具でしかなかった。大学人の食い扶持を確保するためだけに存在するような大学を存続させるために学費を納め、ソルジャー要員として大企業に就職するために大学に通い就職活動に精を出す学生時代の私は、今にして思えば郷里に居た頃と何も変わっていなかったように思う。

 最も、就職活動中にそのことに漠然とは気づいてはいた。私は自分の存在が他人にただ使われ利用されるだけの存在であるという歴然たる事実を無視することができなかった。結局私は就職活動を途中で放棄し、腑抜けのようになり大学時代をただ無為に過ごし、貴重で二度とない青春時代を無意味に空費してしまった。

 私は他人や社会から見た自分自身が使い捨ての道具でしかないという現実を受け入れることも、それを覆すこともできなかった。大学時代の前半はそれをごまかしながらやりおおせた感があるが、学生生活が終わりに差し掛かって来るにつれ、自分ではどうにもならない問題に立ち往生するだけで愚劣に時間を浪費するだけだった。

 大学が終わり社会に放り出されてからは、本格的にそれを味わうこととなった。新卒で碌な企業に就職できなかった私は、工場での派遣労働や小売業、清掃業などといった社会における最底辺の仕事を転々とし、ありとあらゆる屈辱と貧苦、窮乏を被った。苦しい労働や薄給はもとより、世間の人間の軽侮や嘲弄の念や眼差しに耐えなければならないことが何よりも辛く、苦しく思われた。

 どの仕事もそれぞれ別種の辛苦があったが、自分を道具として安売りしなければならないという一点においては全て同じであった。どんな仕事も無賃労働は当然のようにあり、一日の殆どの時間を労働のために割かなければならなかった。私は自分の価値の低さに完全に打ちひしがれ、途方に暮れるばかりであった。

 

 

 現在は多少生活水準はマシにはなった。暦通りに休日があり、膨大な時間タダ働きで会社に拘束されることもなくなった。だが、労働者である限り、私は道具でしかないという事実は未だに一つも変わっていないと考えるべきだろう。私の経済状況は最底辺からは脱しても依然低いままであり、とても幸福と呼べるような状況ではない。

 そもそも私は道具として生まれ、それになるように躾けられ、それとして振る舞ってきた。思えばただそれだけの人生であった。いや、それは人の生と呼ぶにはあまりにもお粗末で程度の低いものだったのかもしれない。 

 振り返れば私だけではなく、下層階級というものは押しなべて道具でしかないのかもしれない。父も母も、社会を維持するためだけの存在にすぎず、祖父母も先祖も皆そうであったのかもしれない。その系譜の末端に存在する私もまた他人の幸福や快楽を社会の隅や底で支えるだけの代物でしかないというのは当然であり、理にかなっていると考えることもできる。

 心情的にはどうあれ、事実は事実としてはっきりと認識すべきだ。人間には2種類存在する。それは人間としての生を全うできる階級と、それを底辺で維持し支える道具の域を出ない階級。それは生まれた時点で9割9分定められており、中流以上のものとそれ未満の道具とは根本的に別の人種であると見なすべきだろう。

 奴隷や家畜ならまだ財産や生き物として扱われているから救いがあるが、道具はそうではない。私は代用が利く使い捨ての存在で、しかも二束三文の価値しかない。私は生まれたときからそのような扱いを受けてきたし、これからもそれは変わらないだろう。そして私をそのように遇する他人や社会というものに何かを思ったり感じたりする必要性などありはしないと言い切って構わない。私は徹頭徹尾道具であることしか許されない存在なのだから。