書き捨て山

雑記、雑感その他

楽しければ

 一体何が気に入らなかったのだろうと、自身の人生を振り返って思う。思い返せば、俺は自分の生得的な要素や環境が嫌で嫌で仕方がなくて、その一心でただただ悪足掻きに悪足掻きを重ねながら、七転八倒して空回りしながらもなんだかんだでこの歳までやってきたように思う。俺の行動や選択の根底にあったのは自分自身や己の身の回りの状況への嫌悪や忌避の念が殆ど全てであったと言っても良いかもしれない。

 俺は現在東京に住んでいるが元々はそうではない。俺が生まれ落ちたのは本州最北端の津軽地方にある弘前という町だった。それでの暮らしは俺にとっては耐え難く、どうしても我慢がならなかった。そのような気持ちや動機により俺は逃げるようにして東京に移り住んで現在に至る。自分が故郷を捨てて東京に移ったという一事だけでも、俺は思い起こせば奇妙な感じがする。

 弘前は典型的な地方都市であり、それ以上でも以下でもない。国内における屈指の大都市と比べれば見劣りはするが、生活するだけなら別段不便や不都合はない町だと思う。しかし俺は自分でも良く分からないが生まれ故郷の町を酷く嫌った。中学生頃の時分には自分が暮らしている町が地球上で最も最低の場所だとすら思った。終生生まれ育った町で生活し続け、己の人生を閉じることを俺は潔しとしなかった。

 重ねて言うが、俺の地元は都会に比べれば生活の水準は落ちるが、普通に働いて普通に暮らしを営むなら特に不便のない街だ。にも関わらず、一体何がそれほど俺は嫌だったのだろうか。都会の隅に居を構え、数多の人々が行き交う雑踏に紛れ込みながら毎日を送りながら、かつて暮らした世界のことを特に理由もなく思い浮かべながら、それのどこが気に入らなかったのだろうかと今更になって自問する。

 田舎暮らしが性に合わないなどというのは瑣末なことでしかない。たかだかそれだけの理由で故郷を捨てられるだろうか。第一、そのような思いは僻地で暮らしている人間は大なり小なりみな考えることだろう、特に若い人間は。それだけを動機にして痔持ちを捨てられるなら誰もがそうするだろうが、実行に移せる人間はそれほど多くはないだろう。また、仮に一時的にそうしたとしても遠からず帰郷する者の方が多いのではないだろうか。

 俺は高校が終わってからはずっと東京であり、地元に戻る気など毛頭ない。俺にとって故郷とは完全に過去の遺物にすぎず、現在とは完全に切り離された世界だ。しかし、俺は時折思う。何故俺は故郷を唾棄しなければならなかったのか。単に都会の暮らしに憧れたということだけではない、それとは異なるもっと別の何かがあるのではないかと。

 

 

 俺の場合、田舎暮らしよりもどちらかと言えば貧乏の方が重大であったように思う。僻地でかつ貧しい暮らしとなると、真新しいものに触れる機会はないに等しい。また、普段の生活で接する人々も無知で頑迷な人種ばかりであることも問題であった。俺が子供の頃に接した大人たちは今にして思えば、皆生きるだけで精一杯であった。乏しい収入の中で如何に生活を営むかということが最重要な課題であり、それ以外はなおざりにするきらいがあった。何よりも問題なのは、彼らの精神性であった。

 貧すれば鈍するという。これは礼儀礼節に限らず、文化的なものを鑑賞したり享受したりする感性や素養などの面においても言える。俺の周囲の人間たちにとっての最大の娯楽はテレビと酒であった。それ以外は大抵生活上の実利に関することと、世間体を取り繕うことくらいにしか関心がなかった。これは俺の両親や親戚が得にそうであったし、他人も大概はそういった性質の人々であったと記憶している。

 そのような人種に取り囲まれ、彼らにあれこれ指図されたり強要されたり、躾けられたり教育されたりするのだ。少年期の俺はそれについての不服を言葉や態度で表明する術を持たなかったが、漠然とした不満の念は人生におけるかなり早い時期からあったのだろう。俺は身の回りの人々が自分に無理強いする考えや習慣に染まり切ることができず、小学校高学年くらいからそのことで自分の人生に違和感のようなものを覚え、状況に容易く適応することができない有様であった。

 自分が生まれてきた境遇が、世間一般の標準と比べ大分劣悪であると明確に自覚したのは中学生頃のことであった。欲しいものも買えず、行きたいところにも行けず、高校進学の際には普通科の学科を選ぶことも許されなかった。見すぼらしい鄙びた農村で望まない職業に就かされ、不本意な生涯を送るというのが関の山。自分の人生は高が知れていると考えざるを得ず、俺は己の生涯を悲観するしかなかった。

 結局、俺の人生は場所も家も大変悪かったと言える。要するに夢も希望もなかったし、更に言えば偏につまらなかった。文化も芸術も学問も、俺の人生には無縁だった。それは下層階級の人間には高嶺の花で、望むべくもない代物だった。そしてそれを俺は当然のこととして生まれてから死ぬまで受け入れなければならなかった。仕方がない、贅沢だといい、他の人間のように妥協して文を弁えて生きる以外の選択肢など本来なかった。俺は一貫してふさぎ込み、常時抑うつ的な心情で過ごしていた。

 

 高校生の頃、町の映画館で「プロデューサーズ」というミュージカル映画が上映されていた。その映画は、平凡で憂鬱な生活に甘んじている会計士の主人公がブロードウェーの舞台のプロデューサーをしている山師の男とコンビを組んでショービズの世界で成功を収めるといった内容だった。俺はそれを劇場で鑑賞する機会があった。

 当時の俺は学校で簿記を勉強しており、高校卒業後は指定校推薦で地元の国立大学に進学し、簿記の勉強を続け会計士になるつもりでいた。それは俺が心底そうしたいからではなく、単にそれ以外に選択肢などないと思っていたからだ。職業科から大学に進学するならば、高校でやっていた分野に引き続き取り組みのが定石であるように思われた。断じて俺は簿記や会計が好きなわけではなく、興味も関心もなかった。というよりも、はっきり言って大嫌いだった。

 そんな俺が例の映画など見ようものなら、スクリーンに映っている会計士の主人公の境遇と自分が歩もうとしている人生がダブって見えてしまう。その映画においては会計士という職業は世界一ダサくて魅力がない仕事であるかのような描写がされていたから猶の事だ。そんな主人公が会計士からクリエイターに転じて華々しい人生を獲得するという筋にすっかり影響されてしまった俺は、その映画の主人公のように楽しく面白い人生を、自分が腹の底から納得できるような生き方をしようなどと愚かにも考えてしまった。

 かくして俺は簿記とは関係のない道に進み、地元の国立大学を蹴り東京に行くことにした。俺がその決断をするに至るまでには様々な要因が色々と絡み合って入るが、直接的に俺の背中を押したのは、やはり例の映画であった。あれを観る機会がなければ、俺は東京になど出てくることはなかったかもしれない。そしてその方がこの人生、この暮らしよりもマシな生き方だったかもしれないとさえ思う。

 しかし俺は、映画の主人公のようになりたかった。楽しく面白く、心躍るような生を送りたかった。そんな思いが俺を上京させてしまった。それは愚かな選択だったかもしれない。堅実に簿記や会計の勉強を続け、地元の大学や会社に就職し、分相応の人生に甘んじるのは面白くはないが金銭の面で言えばその方が良かったかもしれない。だが、そんなことは高校時代の俺でも分かりきっていただろう。俺はそれでも映画に倣った生き方を志向した。してしまった。

 

 

 と言っても、東京に移住してから面白おかしく暮らしているかと言えばそうではない。上京してからも俺は貧しかったし、仕事は辛く不本意な生活を余儀なくされた。楽しくも面白くもない生活を延々続けてきた。そして無駄に歳ばかりくって、現在に至るというわけだ。

 だが、冒頭に立てた自問への腑に落ちる自答は出たように思える。田舎が嫌で都会に憧れたというのは表面上の、上辺だけの理由でしかなく、俺は単に、偏に、つまらなく不本意な、面白くもなんともない人生が嫌だったから地元を見限って東京に移り住むに至ったのだ。

 にもかかわらず、俺はその自分にとっての根本義をいつの間にか失念してしまったのだ。金や地位、世間体などといったものに囚われるようになり、自分にとっての本来の動機や目的、目標を見失ってしまった。俺は東京で暮らしながら時たま思う。なんのためにこんなところでこんな暮らしをしているのかと。その答えなど遠い昔から知っていたはずなのに。

 楽しさや面白さを追い求めて行きたいがために俺は弘前から東京に移った。俺の生涯において最も大切にしなければならないのはそのことだけだ。金や労力、体裁を整えるなどといったことは、本当は度外視しても良いはずのものだ。俺はそれらを希求するためにわざわざ故郷をかなぐり捨てたのではないのだから。

 とどのつまり、楽しければそれでいいのだろう。如何にして楽しみ、面白く生きるか。そのことだけに焦点を合わせて生涯を生ききることができれば、俺にとってはそれで御の字なのだろう。孤独や貧苦、屈辱にまみれた生活の中であっても、ただ生に興ずることは可能なはずだ。そのことをゆめゆめ忘れないようにした。