書き捨て山

雑記、雑感その他

正気を保つつまらなさ

 子供の頃、父や母によく正気を疑われたものだ。お前は頭がオカシイんじゃないのかと、両親はよく津軽弁で俺にまくし立ててきたのを今でもよく覚えている。自分の息子、それも長男である俺が「普通でない」という事実は、父親にとっても母親にとっても恐怖を感じさせたようだ。普通と言っても飽くまで津軽人としてのそれであり、日本国民の平均や標準とはかなり異なる意味合いであるということだけは付記しておく。

 両親は俺に普通の津軽人として生涯を全うすることを要求した。そのために彼らはあらゆる教育や躾を俺に施した。彼らは生粋の津軽人であり、長男である俺にも同じような人生を歩むように願った。健常で、正気で、並以上の身体的な特徴や気質を備えた人物として俺が成長することを前提として俺を育てた。俺は津軽で生まれ育ち、過程を築き年老い、そして死ぬことを本来なら運命づけられた存在だ。

 ところがそうはならなかった。俺は他の子供よりも運動神経の点では鈍重であり、太りやすく身長も伸びなかった。内向的な性格で友達もおらず、外で遊ぶよりも家に中にいることを好んだ。そして、それらの気質を父も母も酷く忌み嫌った。彼らの理想の鋳型に身も心も合致するように俺は徹底的に矯正・調教された。その一つ一つが俺にとってはとてつもなく嫌な思い出となり、未だにそれらの追憶が惹起する度に俺を苦しめる。

 両親に言わせれば、俺は快活でなければならず肉体も精神も頑健でなければならなかった。また、背は高くなければならなず顔や腹に贅肉がつくなどあってはならないことだった。俺は彼らにとってとてもではないが自慢の息子とは呼べない出来損ないの、偉業の忌み子であったと言えるだろう。俺にまつわる一切が逐一両親に癇癪に触れ、彼らは自分たちの語彙のすべてを用いて俺の精神を完膚なきまでに苛み、痛めつけた。

 それは両親にとって俺を思えばこそのことであった。彼らはなんとしても、どんなことがあっても自分たちの子供が彼らが信じる普通であって欲しかったのだ。しかし、それは彼らが想定していた理想の息子像への執着であり、その願望と俺自身の存在は全く繋がりも関わりもまるでなかった。その食い違いや齟齬が、俺と両親を延々と苦しめてきたように思う。

 

 

 津軽人として正気を保ちながら普通の人生を送ることを前提に俺はこの世に産み落とされた。それに疑問を抱いたり嫌だと思うことは、要するに頭がおかしいのだ。俺は雪に閉ざされた田舎町で死ぬまで生きていかなければならないのを人生のかなり早い段階で苦痛に感じた。だから俺は、自分が鄙びた寒村から逃れることばかり考えていたし、津軽人として行動したり話たりすることを可能な限り避ける子供になっていった。

 それが両親にとっては尋常でない挙動に感じら、それが冒頭で触れた発言につながっていくのだ。中学生の頃、俺は農村で貧しい暮らしに甘んじる現状から脱却しようと本などから知識を得て、都会に出るきっかけを求めて色々と両親に進言や提言などをクソ生意気にもしたことがあった。俺のその態度が父の逆鱗に触れ、烈火の如く彼は俺に怒り狂い、津軽弁で非ん限りの暴言を俺に吐き捨てた。

 今にして思えば、俺は生まれ育った家や町が嫌いだったが、それを表明することはその環境を俺に与えた両親の苦労や人生を全否定することでもあった。こんなところから早く出たいなどと俺が主張するのは、父や母には絶対に許容できない、正気でないイカれた言動にしか感じられなかったのだろう。それは無理からぬことだと言えるだろう。

 正気とは、与えられた境遇や宿命を許容し、その領分の中で生きることを指すのだろう。そう考えれば、俺はやはり両親が言う通り、頭がおかしい子供であったのだろう。いや、頭に限らず、身体的な面で言っても並未満の奇形人間であったと言っても過言ではない。体のことに触れるときりがないため割愛するが、少なくとも精神的に正気ではなかったというのは、疑いようがない。

 俺は津軽人のくせに、それであることを拒んだ。だから弘前の町から一歩も出たことがないにもかかわらず、津軽弁も話さず、町から出ることばかり夢想していた。子供の頃はラジオを聞くのが趣味だったが、地元の放送局の電波をあえて避け、わざわざ東京のチャンネルに周波数を合わせてラジオに齧り付いていたほどだ。俺は津軽人として野生を徹底的に拒絶し、与えられた運命から遠ざりたい一心で上京するまで生きてきた。

 

 重ねて述べるように、やはりそれはおかしいことだ。我ながら常軌を逸していたように思えるし、ある種病的な挙動ばかりが目立っていたのではないだろうか。親からも異常者呼ばわりされていたし、親戚縁者も学校の知人なども誰もが俺を否定したのは思い返せば当然のことだ。俺は狂気に身を委ねたかったし、それは津軽人として彼の地で生涯を送る己の分を超えたいという切実な思いからのことであった。

 津軽に生まれ、生きていくのは単純に楽しくなかった。俺が親や教師にいびられ通しで、友達もろくにおらず、勉強にもスポーツにも打ち込めなかったからなのかもしれないが、とにかく俺にとっては生まれ故郷で暮らしていくのは地獄のように退屈で、面白みなど全く感じられなかった。町の外に出られさえすれば、そんな境遇とはまるで違う生活ができると、子供の頃は愚かにも思っていたフシがある。

 実際にそうではなかったのは言うまでもないが、ともあれ俺が抱いた狂気は俺を津軽の外に連れ出した。親にとっては頭がおかしいだけだったのだが、その気質によって俺は少なくとも津軽から出ることはできた。俺は両親が言うところの「頭のおかしさ」によって好ましからざる環境から脱することに限っては成功したと言って良い。

 逆に俺が正気であったならば、俺は生まれ育った町から一歩も出ることはなかっただろう。それどころか、大学にも行けなかったのは確実だ。上京の口実を作るために俺は大学に進学する必要があり、そのための努力もしなければならなかった。「頭がおかしくない」俺が、果たしてそれを怠らずにやっただろうか。答えは考えるまでもないだろう。

 良し悪しは別としても、狂気は俺にとって原動力となっていたのだ。正気を保ったままだったなら、おそらく俺は何一つしなかったのではないだろうか。親が要求ないし強要することしかやらず、考えず、感じもしないような人間、彼らにとっての普通かつ理想の津軽腎臓をそのまま具現化した存在になっていただろう。想像すると、本当につまらないことだと思う。

 

 

 面白く生きるには、あえて狂う必要があるのではないだろうか。頭がおかしいからこそ拓ける道もある。それが良いか悪いかは別としても、少なくともそれによって身を置いている状況に何らかの変化は生じるだろう。狂気とは人間を突き動かす最大のきっかけとなりうる。俺は親から見ればマトモではなかったが、その要素こそが現在の生活の下地となったのだと言える。

 目下の暮らしもまたつまらないが、その原因は俺が昔とは別の意味合いで正気を保っているからなのかもしれない。人は意識的に狂わなければ、現状維持がせいぜいなのかもしれない。変化を求めるなら、人はむしろ積極的に正気を失う必要があると言い切っても良いのかもしれない。

 つまらない、くだらない正気の領域から抜け出すには、イカれていなければならない。生まれ持った領分から脱却し、面白みのある生き方を志向するならば、狂人になることは避けがたいことなのだろう。それはともすれば全く有益でないどころか、損や害をもたらす結果になるかもしれないが、それでもつまらなく不本意な人生しか送れないよりはマシだという考え方もできなくはない。

 退屈や不満は狂気への入り口であり、人間を変容させる嚆矢となる。それは世俗的、経済的な意味で言えば有害であったとしても、一度それを望んだらもう人は変わらざるをえないのだ。親や周囲の人間がどのような正論を持ってそれを否定したり制止したりしようとしても、変わることは止められない。行き詰まった人生に、人間は耐えることができない。それにより、衣食住が確保されたとしても。

 生活の破綻を免れつつ、また社会から排斥されないままに正気を失ってしまいたい。マトモであり続ければ生活の保証はあるが、ただそれだけだ。それだけで心底全てに満足できる人間の方が、奇特であり稀な人種なのではないだろうか。つまらないから人間は狂うし、それによって変化することが可能となる。変わることが必ずしも良い結果に結びつくわけではないが、それでもつまらないだけの生き方しかできないよりはずっとマシだと俺は思う。

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