他力斎

雑記、雑感その他もろもろ

在京一世

 東京に住むなら最寄り駅が四ツ谷になる地域に限る。四ツ谷が無理だとしても、最悪でもJRと東京メトロが使える駅の近くに居住するべきだ、生え抜きの東京人でない人間が都内で生きていくのなら。誓って言うが、都心の一等地で暮らすのは見栄を張ってのことではなく、実利的な面で有利だからだ。何ら家の形で労働をして生計を立てるならば交通の便がいい場所に居を構えるのは当然だ。

 私鉄沿線の街など以ての外だ。勤め先がある渋谷の街を歩いていると、不動産屋が道路沿いに賃貸物件の情報などを掲載しているが俺の目にはよく入る。それらに視線を投げると世田谷区などの京王や東急などの駅から徒歩数分だの10分だのといったマンションの数々、俺にはそれらの物件に住む人間の気が知れない。これがまだ明大前や下北沢の住居なら話は分かるが、それよりもターミナルから離れる所にわざわざ住むお上りは騙されているようにしか思えない。

 我々はメディアや不動産屋にゆめゆめノセられないようにしなければならない。東京に家がない人間はどんな形であれ何らかの賃貸物件に住むしかなく、それが何処に位置しているかは死活問題だ。東京に親の持ち家がある人間とそうでない東京在住者とは、同じ都内で生きていても置かている状況が全く異なる。何処に定住するかは細心の中を払って決断しなければならない。

 特に収入が潤沢にない人間なら尚更都心に住むのが望ましい。家賃相場などは実のところ気にする必要はなく、男の一人暮らしなら案外どうにでもなる。仮に仕事がなくなっても短期の仕事などで食いつなぐには都内の主要な街の殆どにすぐにアクセスできる場所に住むのが最も賢明だと言える。そのような理由から、単身の地方出身者が東京で生活するなら四ツ谷駅周辺であることが望ましい。

 とは言っても、それは所詮東京で賃貸に住んで糊口を凌ぐ人種の理屈にすぎない。私鉄沿線や新宿以西などの地域で所帯を持ったり家族と一緒に暮らしている人間に対して、羨望や嫉妬の念を抱かないということもない。都心のワンルームで起居し、あちこち駆けずり回ったりするような生活のことを、別に上等だとは微塵も思わないし、むしろそれこそが卑しいとさえ思うこともある。

 

 

 生まれも育ちも東京という類いの人間は、俺とはまるで違う人種だ。東京という場所で生きていても、生え抜きの東京人と地方から出てきて都内に居着いた者との間では、歴然たる階級の差がある。俺はそのことについて出来るだけ考えないようにしているが、それについては何の前触れもなく思わずには居られない。所詮お上りの、貧乏で余裕がない田舎者だから都心で生活せざるを得ないのだから情けない話だ。

 多摩かどこかの住宅地の戸建てに住んでいる人間の方が、都心で一人暮らししている者より上だろう。千葉や埼玉に持ち家があるものと比べても同じだろう。他人の持ち物の建物に済み、決して安くはない家賃を払って生計を立てている自分の人生を省みると虚しくなる。大体月6万ほど大家の口座に振り込んでいるが、この「搾取」がなければ6万がそのまま誰かに渡さずに住む。

 大家という赤の他人に金を献上のは無駄以外の何物でもない。それをしなければホームレスか都落ちは免れないからそれは必要経費と言うか不可抗力なのだが、それでも俺がもし東京生まれだったらと夢想せずにはいられない。単身で東京に住み続けるのに、俺はこれまでにいったいいくら費やしただろうか。細かく振り返ったところでどうにもならないが、それから目を背けたとしてもまたどうなるものでもない。

 冒頭で書いたようなことは全て余所者の戯言にすぎない。地元で生きられないから東京に逃げてきて、その生活を維持するために色々と無理をしたり理不尽を被ったりしても、俺はそれを甘受せざるを得ない。異土の東京で生きていくために俺は人生の相当なリソースを割いている。そしてそれにより大家を始めとした他人どもが何らかの恩恵に浴するのだ。それに悔しさを覚えても、やはりそれもどうにもならない。

 大学時代に赤坂のTBSラジオでバイトをしていた時、日大芸術学部に通っている学生が職場にいたのを思い出した。俺はその時、今住んでいる町とは別の所で暮らしていたが、そこは地下鉄で赤坂から相当遠くまで行った先にある場所だった。俺が仕事を終えて地下鉄の構内に降りるのとは逆の方向に、例の学生は歩いていった。その男は電車に乗らなくてもいい場所に住み、そこから放送局に通っているのだと確か行っていた。重ねて言うが場所は赤坂である。

 

 俺はその時、かなりその日芸の奴を妬んだものだ。奴は親元で暮らしていたのだからなおのことだ。大学進学を口実に高校を卒業してやっと上京し、本意でないとある町に住めるようになった俺と比べて、その「日芸」なんという恵まれた境遇だろうか。第一そいつは、あからさまにこの俺のことをバカにしたような目つきや態度だったような気がする。それは俺の被害妄想ではなく、実際それは確かにそうだったのだろう。そうに決まっている。

 いわゆる東京人というものがどれだけ裕福で恵まれているか、実のところ俺には想像もできない。都心の一等地に両親と一緒に暮らし、生まれたときから優れた教育を受けて無数のチャンスに恵まれているような、そんな生涯を送れる人種が一体どんなことを考えたり感じたりしながら生きているかなど、見当もつかない。いや、想像したくないと言ったほうが良いのかもしれない。

 今住んでいる街にも東京人が大勢いるだろう。四ツ谷駅は千代田区と新宿区にまたがるようにして位置しているが、どちら側の住民も少なく見積もってもアッパーミドルクラス寄りは間違いなく上の階級に属している者たちだろう。俺はやはり他人を恨めしく思う。自分が割に合わない惨めな生活をしている直ぐそばで、満ち足りた人生を謳歌している連中のことを憎まずにいられる理由など、何一つない。

 東京でどんな目に遭っても、地元には帰らないと10代の頃は心に決めていた。実際俺は筆舌につくしがたいほどの苦渋や辛酸を味わい、屈辱や嘲弄に耐え忍ばなければならなかった。そしてその結果として現在の暮らしがあるわけだが、現在の暮らしが崩壊したとしても、俺は地元に戻って暮らすという選択肢は最早選ぶことは出来ない。東京を離れて、俺はもう生きていくことは出来ない。

 2,3年前に祖母が死んだ折に強制的に帰郷させられたが、その時俺は自分には故郷で生活するなど絶対に不可能だと思い知った。田舎は完全な車社会であり俺はもう10年近くハンドルを握っていない。そもそも車を買う金がないから運転技能以前の問題として俺という個人が東京を離れて生きることなどできない。都落ちは最早俺にとって即死を意味する。

 

 

 生まれ育った故郷など、俺にとってはもう何の思い入れもアドバンテージもない。東京も地元も俺にとっては居づらい場所でしかない。都会に移ったばかりの頃は、東京が自分の新しい故郷とするのだと愚かにも考えていた。長い間住み続ければ、その土地に溶け込めて地域の一員ヅラが出来るなどと安易に思っていたが、現実はそれとは真逆だった。

 故郷を捨てた者に、都合よく新しい故郷など与えられはしない。俺の居場所などこの世の何処にもありはせず、居心地のいい安全地帯など望むべくもない。しかし、元々親元で暮らすのが子供の頃から嫌だったし、都会に出ても浮くとか苦労するとかいうのは大体予想できたことだ。今頃になって感傷に浸るのも、バカバカしく思えるが現状への虚無感や他人への怨嗟の念もまた消えることなく俺の中で燻り続ける。

 俺など所詮社会の最底辺の存在だ。この世の何処にも居場所がなく、今更家族と一緒に暮らすことも耐えられない。自分が何処にいるべきで、何をすべきか判然としない。ただ浮浪者にならないように生活を維持するだけで精一杯だ。何か楽しみがあるわけでもなく、無意味に歳ばかり食って将来のことなど考えるだけで憂鬱な気持ちにさせられる。

 結局俺は死んでないだけで生きているとは言い難い。都落ちもホームレスも嫌だから現在の生活を必死になって守っているだけだ。俺は最早田舎の人間でもなければ無論東京人でもない。家賃や生活費を捻出するために時間や労力を僅かばかりの金に変え、有限な命をすり減らして種種雑多な他人共に搾取され利用されるだけの道具のような存在でしかない。

 故郷や家族を捨てた人間の末路とはこんなものなのかもしれない。生まれついた境遇から逃げようとして男の行き着く先がどうなるかなど、もしかしたら俺は腹の底でははじめから勘付いていたのかもしれない。縁もゆかりもない土地で他人に利用されたり見下されたりして生きるしかないような、そんな生活ひいては人生というものが良いものになる道理など、最初からなかったしそのことを元より俺は承知の上でこの地に移ってきたのだ。