他力斎

雑記、雑感その他もろもろ

労働厨

 俺は労働者となるべくしてこの世に産み出された。俺が下層階級に属する低賃金労働者となるのは、生まれ落ちたその日から予め決められていたと言っても良い。蛙の子は蛙トイう言葉がある通り、俺の両親が僻地の労働者階級の人間であったのだからそれは疑う余地など一切ない自明なことであった。心がけや努力の多寡、運の良し悪しなどはどれも、その宿命を揺るがすものではなかった。

 何者かに雇用され、時給いくら月給いくらで時間や労力を他人に提供して糊口を凌ぐような生き方を俺は選ばなければならなかった。それを嫌だとかやりたくないだとか思うことは、すでに正気の沙汰ではない。雇われて賃金労働をする以外の生き方など、俺には選択の余地もなかった。俺に与えられ、許された自由というのは他人に使役されて寿命を全うするという前提の上に成り立ったものでしかなかった。

 その前提に則って俺は両親などから様々な教育や躾を施された。父も母も俺の教育について決して無関心ではなかった。むしろ彼らの考えや想像が及ぶ範囲において俺に出来る限りのことをしてくれたと言っても過言ではない。彼らが生まれ、生きている世界の中で妥当かつ正統とされている思想に基いて、俺の人格や精神、能力や生活における様式などを徹底的に造り上げようとした。

 どのような低級で卑賤な世界であっても、そこでの一員として生きていくにはそれ相応の資質が必要となる。俺の両親は俺が自分たちの世界で生を全う出来る人間にしようと躍起になっていた。彼らは自らにとって既知の領域の中で自分たちの子供が成長し、大人になり、結婚して子供を作ることを理想とし、俺に対してそうなるように仕向けた。俺がそれを嫌がったり疑問をいだいたりする素振りを見せればその傾向や内心の情動、思考などを全力で否定した。

 それは紛れもなく親心からだった。両親が俺にやったり行ったりしたことの全ては、俺の将来や人生を思ってのことだった。働かなければ生きていけないだろうし、生まれ育った場所を離れて生きる術もなく、大学にも行けず花形の職業につくことも出来ないだろうからと、それらの全てを踏まえて彼らは俺に接した。一から十まで徹頭徹尾、俺を底辺の人間にすべく彼らは全力で俺と向き合った。

 

 

 実際両親は正しかった。社会に適応できないような高望みをしたり、働きに出る今生も能力もないような人間に、もし万が一なってしまったらそれはそのまま死を意味する。雪まみれの寒村で、高い教育も受けることが出来ない人間は、低賃金長時間拘束のキツくて割に合わない仕事でも何食わぬ顔でこなさなければならない。他でもない自分たちの子供、ましてや長男がその脂質を有していないなど、彼らからして見ればあってはならないことだった。

 ところが俺はその「あってはならない」要素を多分に備えた個体であり、この事実は俺はもちろん、両親にとっても大変な不幸であった。額に汗して働くことは絶対に避けられないことであり、それは尊ぶべき善行であり、それのために人生の殆どを費やすことは問答無用で正しい生き方だというのが両親の思想だった。それを自明のこととして、信奉しそれに殉ずることが、どんな瞬間でも物心ついたときからずっと俺は周囲の人間に要求されてきた。しかし、それは能わなかった。

 両親は俺に小学2年生の頃から小学校を卒業するまでの間、そろばん塾での習い事を強要した。 俺はそれを始めたときから計算が得意ではなかったし、好きでもなかった。俺は幾度となくそろばん塾を辞めたいと母に懇願したが、彼女は頑としてそれを許さなかった。俺はそれを大変理不尽に感じたし、そろばんそれ自体が嫌で嫌でで仕方なくなり、小学5年ごろには発狂の一歩手前までにまで追い詰められたが、それでも母は俺にその習い事を続けさせた。

 母は自分の息子がそろばん塾で暗算能力を身につければ、将来役立って有利になるのだと本気で信じていたのだった。それは何についてかと言えば、無論仕事や労働についてだ。母は俺を机仕事の良い職業に就かせるために、そろばん塾を無理強いさせた。それは嫌がらせや虐待ではなく、母の頭の中における最高の教育であり、俺の為を思ってのことだった。

 高校1年の夏休みにおいては、問答無用で母親が働いていたクリーニング工場に送り込まれ、やりたくもないアルバイトにフルタイムで従事させられた。そろばんもその労働も、俺が社会に出られるように、働いて最低でも人並みに稼げる人間になれるようにと両親は願って俺にそれらをやらせた。俺は働くために生まれ、育てられ、躾けられてきた。ただそれだけの存在であり、それ以外の価値や意味など一切ない。

 

 自分とは一体何なのか、などといった疑問は極めて月並みだ。そしてそれについての答えは、少なくとも俺という個体には明確に予め用意されている。冒頭で言ったように俺は、単に労働に従事するためだけにこの世に作り出された。両親も、ひいてはこの国の社会全体といったマクロな視点から見ても、俺という個人・個体としての存在意義とは単なる労働者、それも低賃金で卑しい職業に従事する存在に甘んずること以外にはなく、それに則って生きることこそが俺の生涯においては「正しいこと」なのだと言える。

 正しさとは、常に実利的かつ合理的であり文を弁え矩を越えずに振る舞い、生き、そして死ぬことだ。俺という個体が成すべき正しいこととは、それは詰まるところ労働であり、そのそれを完遂するために俺は親から躾けられ学校で労働者として生きるための教育を受け、メディアなどを介して「それ」に徹するために相応しい思想や観念を植え付けられ、人格や精神を形成させられてきた。

 思えば俺は、その正しさに疑問を呈し反抗したかったのかもしれない。正しく生きるということはそれほど難しくはない。なぜなら周囲の人間がそれを勧め、また共用するからだ。それに唯々諾々と従い、恭順的に生きるだけで人は正しくあることは出来る。普通に学校に行き、普通に成長しておとなになり、普通に働いて普通に結婚して子供を作り歳を重ね死ぬ。それは正しい生き方であり、人はそうあらねばならないというのが一般的な考え方だ。

 それに否と言う時、どんな理由や事情があってもそれはやはり「正しくない」。俺が正しくない人間になろうと志向した時、親をはじめとした身の回りの他人たちは皆異口同音に俺を非難した。母が俺にそろばん塾を強制したのも、俺が労働者として良く遇されるようにという配慮からのものだったし、それを拒否する素振りをした俺は畢竟、正しくなくあろうとしたということに他ならない。

 要するに俺は不良だった。俺は子供の頃から内向的で従順な性格ではあったが、確かに不良だったのだ。労働者階級に産まれ者は低賃金で使役されることを当然と考え、それに喜びを見出さなければならないし、子供のうちの修学期間においては潜在的な労働力として相応しい振る舞いをするべきだった。俺はそれを嫌がったから、そのような意味合いにいて不良であったのだ。

 

 

 糞の役にも立たなくて糞面白くもないそろばん塾にも何の疑問や不満も持たずに通い続け、時給600円で全身を酷使して素手を汚物まみれにするような労働を週5日朝から晩までやれと言われればそれを喜々としてやる。そして高校は当然のように職業科で、卒業し次第地元の何処かの工場か何かに就職し、脇目も振らずに死ぬまで働く。それが俺に当たれられた宿命であり、俺にとってはやって当然の正しい行い。全うすべき人生であった。

 俺はそれを拒んだ。避け難いことで従うしかなかったが、内心ではそれを嫌だと思い、時にそれを表明し拒絶して他の道を模索しようとさえした。しかし、それは叶わなかったばかりか、正しくない、おかしいこととして周囲の人間たちに徹底的に糾弾された。俺は働きたくなかったし、見すぼらしい家も鄙びた田舎町も反吐が出るほど嫌だった。職業科の高校も嫌だったし、大学に行かずに地元で就職するもの嫌だった。

 労働者としての本分を果たしたくないなどと思う時、その瞬間から俺は生きる資格を失った。俺は働くことを厭った時点で、生きる価値がない存在になった。そしてそれは人生のかなり早い段階で起こったように思う。

 結局働かなければ生きていくことはできないし、労働に従事することを前提にして俺を躾けた両親やそれを無理強いするあらゆる言説や外的な要因は常に正しかったと言える。それを拒絶して、正しさから逸脱した俺は当然人生においてかなり遠回りをせざるを得なかったし、それにより無意味な苦労もさせられた。

 現状単なる底辺労働者として生きているが、働くということに疑問を持ったこと事態には特に後悔はしていない。俺は正しくない道を志向することが人間には可能であり、それこそが自由なのではないかとさえ思う。生存上の実益に適わない行為に及ぶことが自由であるならば、労働という行為に疑問を抱いた俺は子供の頃からずっと自由を求めていたのだろう。