壺中有天

弁ぜんと欲し 已に言を忘る

客死

 大通りの方にある店にしておけば、と俺は家路に就きながら後悔した。四谷の目抜き沿いにあるスーパーで晩飯を買えば事足りたのにもかかわらず俺は、住宅街を抜け坂を降りた先にある方の店に行くことにしてしまった。大通り沿いならば単純に家との距離が短く、坂の昇り降りもないから時間もかからないが、坂下の方のスーパーで買い物をするとどうしても余計に時間がかかってしまう。

 大通り沿いにあるスーパーはどれもいわゆるミニスーパーであり、品揃えがよくないが、坂の下にある方の店は店舗面積が広く品揃えも充実しているから、それに目が眩んだのである。しかし大したものは買えずじまいで、蓋を開けて見ればただ単に遠出して時間を無駄にしただけであった。俺は帰途の最中に空費した時間と労力を惜しみながら心中で悔やんだ。

 自転車で勾配のキツい坂を登りきり、住宅地を経て四谷中学校の脇を通り、四谷付け交差点で信号に引っかかりながら俺は、ドブに捨てた時間について思った。ゆうに10分か15分は買い物のために余計に費やした。その分俺は、家でくつろぐ時間を減らしたのだ。そのように考えれば俺は、失った時間が惜しくて惜しくて仕方なく、店選びにしくじった己の不甲斐なさが情けなく感じられた。街の明かりが涙で滲む。

 だがそれと同じくして、たかだか15分が一体何だというのか、という思いも俺の胸中に湧いた。わずかばかりの寸暇を惜しまなければならないほど、俺の生涯における残りの時間は乏しいのだろうかと、俺は疑問に思った。しかし、その自問への自答は光の速さで導き出された。俺の人生はもう決して長いとは言えず、そのような意味において、俺にとってはたとえ1分であっても値千金なのだと。

 自転車を漕ぎ直進して麹町に入り、ひたすら家に向かいながら俺は尚早に駆られだした。俺は今現在の自分自身の実年齢を意識せずにはいられずになった。自活できて壮健でいられる時間というのは永遠ではなく、健康寿命という観点で言えば、俺は自身の生涯がとうの昔に折り返しに差し掛かっているのだと自覚するより他なかった。自宅の扉の鍵を開けて夕飯の支度を終えた頃には、もう俺はスッカリ憔悴してしまって、自分がこの東京という縁もゆかりもない土地で惨めに客死する末路を思い浮かべた。そして、誰もいない薄暗い部屋で俺は寝床に付してたださめざめと啼泣し、枕をしとどにするしかなかった。

 

 

 身を起こして窓を開け放つと、俺が根城にしているワンルームに涼やかな風が流れ込んできた。7月には珍しい快適極まりない夜で、夜風に身を晒しながら俺は自らの気を鎮めようと試みた。しかし、すぐに次の懸念が頭の中を支配した。こんな夜は果たして、後何回この俺にもたらされるのだろうかと。うだるような熱帯夜であったとしても、どんな夜もまた俺には有限なのだが、季節外れの快い夜など尚のこと貴重で、またそれが永続しないことを悔しく思った。

 スーパーで買ってきたピザをトースターで温めてからそれを平らげ、コーヒーを啜りながら俺は自分に残された歳月と無意味に浪費してしまった時間について考えた。俺は己のこれまでとこれからについてを、舌と鼻孔で感じるコーヒーの風味と同じように苦々しく感じた。インスタントコーヒーに砂糖もミルクも一切入れられないような目下の貧しい暮らしぶりも、その味がより際立たせ、浮き彫りにさせた。

 この生活があと一体どれくらい続くのだろうかと同時に考えた。碌なものも飲み食いできず、見すぼらしい賃貸に住み、寸暇を惜しみ右往左往するような、そのような惨めな暮らしに救急としているうちに、俺の人生の残り時間はあっという間に尽きてしまうのだろうかと憂いた。憂いながらも容器に入ったインスタントコーヒーは瞬く間に冷め、熱が逃げたマズイそれはさながら旬の過ぎた俺自身の人生を思わせた。

 トップバリュのインスタントコーヒーは、醤油のような奇妙な後味がする。それをやや強引に飲み干して俺は、ベッド脇のテーブルにおいてあるパソコン操作して動画サイトにアクセスし、適当なストリーミング配信のページをクリックし、流れる動画と音声をそのままにしながら夜の時間をただ無為に過ごす。読むべき本や書かなければならないもの、その他諸々をただなげうって、ただただ俺は夜の時間をただ無為に過ごす。

 人生を無駄に浪費している自覚など、子供の頃からずっとあった。テレビを見たりゲームをやったりする時間がどれだけ無意味でともすれば有害か、子供の時分の俺にでも明らかに分かった。しかし俺は自身の人生を有意義に送る気にはどうしてもなれなかった。ドブに捨てた莫大な時間と、掴めなかった機会の数々に思いを馳せながら俺は、現在進行形で油を売っている己の愚かさを自嘲する。

 

 それでも俺は、分かりきった愚行を積み重ねてこれからも馬齢を重ねていくのだろうか。孤独と貧苦の中で不遇をかこちながら、無意味に年老いていくことを防ぐにはどうすればいいか、俺にはとうの昔に分かっているにもかかわらず、具体的な好意には全く踏み切ることが出来ずに居る。それは現状の生活が居心地がいいわけでもなければ楽しいということでもない。我ながら奇妙に思うがそれでも、思うに留まるのである。

 客死という言葉が自身の生と密接に関わるなど、子供の頃は想像もしなかった。縁もゆかりもない土地で、誰にも気にかけられず看取られもせずに老い衰え、最終的に何かを患って死んでいく自分の人生を惨めで嫌なものだと感じるようになったのは、ほんのつい最近のことだ。自由な時間がたくさんあるわけでもなく、使い切れないほどの財産があるわけでもない、本当に単に何も得られも掴めもせずに、俺は死ぬのだ。

 それの事実に打ちひしがれた俺は、ベッドに仰臥しながら沈思黙考した。一年ほど前までは、それについては飲酒で誤魔化していた。酒に酔えばそれはどうでも良く、俺は終生それで良いのだと本気で思っていた、愚かしくも。酒を飲んでいる間は、過去のことを思い出さずに済むが、それ以上に現状を正確に認識し、先のことを見越す能力が鈍麻するのが今にして思えば最大の効用であったかも知れない。

 それに思い至った途端、俺の胸中に酒への渇望が芽生え、俺は仰臥から横臥に体制を変えてそれを振り切ろうと試みた。横向きに寝た俺の視界には、背中の側にあるテーブルの上にあるスタンドライトが照らした壁があるばかりだった。壁は一面、白だけの色使いで、いつどのような原因で付けられたのかも定かでないシミがいくつかあるばかりだった。俺はそれを見やりながら空虚な己の生涯にそれを重ねた。

 そうこうしているうちに飲酒したいという衝動が収まり、俺は状態を起こしてベッドに座り込み、そのすぐ脇にあるテーブルに向かって眼前にあるパソコンのキーボードを叩き始める。酒を飲み気を紛らわす代わりとばかりに俺は、一心不乱に文章を書き続ける。異土で何も為すこともなく、空手のまま借家暮らしを続けて客死。その現実から目を背けるために俺は文章を書いている面は、多分にあるのかも知れない。

 

 

 心臓が止まりかけたことは、一度ではあるが経験したことがある。その時俺は浴槽の中で湯に浸かっていたが、それは全く突然に俺の身に降り掛かった災難だった。その時、俺の肉体は全身が痙攣し、胸は跳ね上がるようになり、手足の力は抜け舌の先が痺れ意識が遠のいた。その時、俺は生まれて初めて死に接近したような気がした。言うまでもなく、その時、助けなど一切来なかったし、呼ぶこともできなかった。

 俺はそれが置きた最中、自分の肉体が完全に損なわれたのではないかと危惧した。そして俺は、まず真っ先にその日の仕事が正常にこなせるかどうかが気がかりになった。俺は死に瀕した時、勤めに出られるかどうかを気にするような性分なのだと、そのときは自らを苦々しく思ったものだ。もっとも俺は、働けなければ生きていけない無産者なのだから、当然と言えば当然なのだが。

 俺が誰も助けに来ず、誰にも看取られずに死んでいくのはほぼ確定している。日常のあらゆる局面が、その現実をまざまざと突き付けてくるように俺には感じられる。前述の心臓が止まりかけた出来事を取ってみても、俺は自分が窮地に陥った時に誰一人として頼ることができないという現実を思い知らされた。そのようなことが、この先何度もあり、それらをへていつの日か本当に俺は死ぬことになるのだろう。

 客死への恐怖は振り切ろうとしても振り切れるものではなく、その一事が俺を深く絶望させる。心臓発作とは限らないが、俺はいつか一人で死ぬ運命である。家族も友人も一人もいない俺の末路など分かりきっており、それから目を逸らすためにはやはり酒の力が必要なのだろう。にもかかわらず、俺にはもう飲酒の習慣もなく、それへの情熱も執着も持ち合わせていない。

 結局のところ、俺は常に死を意識しなければならないのだ。それも名誉ある死に様や暖かく満ち足りた臨終ではなく、ほとんど犬死にや野垂れ死にに近いような最悪な末期だ。俺が今更どのようにして家庭を築いたり、マトモな財産を蓄えたり出来るだろうか。とても無理だし、それをしたいならば10年早く深刻にならなければならなかったのだ。要するに今や全ては手遅れで、何をしても何を考えても、悲惨な結末に至ることは確定しているのだから、俺はもう腹をくくる以外に選択肢がないのだ。