壺中有天

弁ぜんと欲し 已に言を忘る

月5万の命

 今日は給料日だった。俺は給料日には帰宅してすぐに2枚の通帳を持ってATMに向かう。給料は三菱東京UFJ銀行の口座に振り込まれるため、まずそこから給料の大部分を下ろす。そしてそのまま郵便局に向かい、局内のゆうちょATMに金を移す。UFJの口座に貯まっている金は食費や雑費などの出費に充てられ、家賃や公共料金などの支払いはゆうちょ銀行の口座の金で支払うことになっている。

 メインとして使っているのはゆうちょ銀行の方の口座であり、貯金もそちらの口座に預金する形式を取っている。前述の通りゆうちょの方の口座で家賃や公共料金を支払っているため、給料の大部分をその口座に入れても最終的に月の収支はせいぜい5万ほどのプラスにしかならない。単純計算で、俺が一ヶ月働いた結果としての純益は厳禁してたったその程度なのだ。

 その5万の貯金すら現在の職に就くまでは出来ないような有様であり、貯金と呼べるほどの金ができたのもつい近年になってからのことだ。それが可能になっただけでも俺としてはある種の進歩や改善なのだが、世間一般の基準を自身の生活を比較するとどうしても虚無感に苛まれてしまう。月ごとの収入から食費を始めとした様々な支出を差し引いて最終的に残るのが5万円というのは、改めて考えれば情けない。

 俺はフルタイムで労働をしている。週5日、朝から夜まで好ましからざる空間に拘束され、他人のために労働力を収奪される立場に甘んじ、それを丸一ヶ月続けて得られるのが5万円だ。俺の人生に於ける時間は飽くまで有限であり、そのうちの一ヶ月間を金に換算して5万円なのだ。俺の命は1ヶ月5万円、丸一年働きながら貯金に勤しんでも念60万円にしかならない。

 大学生の時にやっていたアルバイトは時給1000円だった。そのバイトをしている最中にも、自分の価値が一時間1000円しかないという現実に何も思わずにはいられなかったことを思い出す。しかしその当時において俺はまだ学生であり、自分にはまだ人並みの人生があるなどと漠然と、愚かにも思っていたような時分であったからまだよかった。今の俺とは絶望感がまるで異なっていると言って良い。

 

 

 俺の生活が今以上に上向きになるような兆しは一切ない。目下の仕事には言うまでもなく不満があり、可能なら一日でも早く抜け出すことが出来たら俺は喜んでそうする。だが、いま就いている職業を辞めて別の仕事にありついたとしても、待遇は間違いなく悪化する。現在は努力すれば5万は貯められる状況だが、いまの仕事を辞めればそれも不可能になるだろう。よくて収支プラスマイナスゼロ、悪ければ貯金を切り崩して生活しなければならなくなるかもしれない。

 毎月5万円の余剰があり、それを貯金に回すというのは俺の精神を健全に保つ上で重要な意味を持つ。少なくとも月の収支は完全にプラスであり、我慢しながら現在の会社にしがみついていれば確実に貯金は貯まっていくのだ。財産は時分の心身を守る砦であり、それは多ければ多いほど良い。一定の貯金が継続して行える状態を維持することで精神が安定するという側面は無視できない。

 衝動的に仕事をやめれば短期的には自由にはなれるが、十中八九すぐに行き詰まるだろう。俺は実家ぐらしではなく、借家で生活を営んでいるため定期的に得られる収入がなければすぐに破滅する身の上だ。無職に転落すれば貯金どころではなくなるし、俺の年齢や経歴、持っている技能などの点から考えても転職は恐らく失敗するだろう。それらの事柄を勘案すれば月5万の貯金ができる現状に甘んじるしかないという結論に至る。

 頭では分かっているが、それでも胸中の内奥では現状に不服を持っている自分がいる。時分の命の値段が一ヶ月あたり5万円というのは卑下しているのでも他人から見た決めつけでもなく、厳然たる事実だ。ネットニュースやラジオ番組などで「夏のボーナスの使い途」などといったトピックを取り上げるような局面にぶち当たる度に俺は劣等感を抱かずにはいられない。無論俺にそのようなものは一円もないからだ。

 高々5万円を毎月貯めるために、俺の生活はかなりギリギリまで切り詰めているのが現状だ。服も靴も新しいものは全く買うことが出来ず、食事も可能な限り少なく済ませることに苦心している。電気代などの光熱費やケータイなどの通信費はどうしても削減することはできない。マンションの家賃は言うに及ばずだ。したがって、減らせるのはまず食費ということになる。

 

 一日あたりの食費は基本的に500円未満に抑える。まともに食事ができるのは晩飯だけで、それ以外は抜くかごく簡単な糖分補給で済ますしかない。朝食はご法度、昼食は板チョコ一枚が基本で、夜は夜で半熟卵にインスタントラーメン、それらに加えてバゲットか食パンを食うのがせいぜいだ。そのような生活を平日も土日も一ヶ月続けて、ようやく5万円貯められる、我ながら涙ぐましい話だ。

 このような爪に火を灯すような暮らしも若いうちに限れば美談や笑い話になるかもしれない。しかし、人間は歳を取らずにはいられない。若者の貧乏は絵になるが、若者でなくなればそれは単なる悲惨な窮状でしかない。本当に、見るも無残と言うしかないような状態で、夢も希望もない有様で延々労働と消費を繰り返すだけのどうのしようもないワーキングプア以外の何物でもない。

 学生時代のバイトについて先に触れたが、それと現在の状況は全く比べようもない別次元の話だ。学生であったり、20代前半ぐらいの年齢であったなら、まだ人生これからというか、挽回も巻き返しも有り得るのだからと自他共に楽観的になれるだろうが、最早そのような時期はとうに過ぎ去っている。俺にの人生にはもう明るい未来がない、少なくとも希望が見いだせるような未来は一切ない。

 仕事の合間の休憩時間に、まいばすけっとなどという負け組御用達のスーパーに赴き、税込み78円の板チョコを買い、商業施設の休憩スペースに辿り着くまでの道中でそれを齧りながら一人で街なかを歩く時、俺は惨めて悔しくてたまらなくなる。道中で若い者共や小学生などと大勢すれ違うのだ。その時に、卑しい仕事をしながらチョコレートを齧り血糖値を保って糊口を凌ぐ己をどのように認識すれば良いのかと、俺は途方にくれてしまう。

 今日は給料日だから例のゆうちょ銀行のATMに行かなければならなかった。ナケナシの金を貯金するために俺が毎月使っているのは、本塩町にある郵便局だ。そこに行くまでにも、輝かしい未来がありそうな連中や人生を謳歌している若い奴らなどを見かけたりすれ違ったりする。それに比べて俺は、食うや食わずやで見すぼらしい身なりで、雀の涙ほどの貯金に勤しんでいる。俺はふと、生きているのが嫌になる。

 

 

 俺は心底くだらない存在であり、それは否定のしようがない。俺を指し示すすべての要素がそれを表しているし、何よりも月5万円という指標が何よりも客観的かつ明白な証明として機能している。ろくに食事も取れず、まともな服も着られず、穴が空いていない靴を履く余裕もなく、糊口を凌ぎ恥の上塗り以外の何物でもないような暮らしをして、月5万しか貯金できない、そんな時分を何よりも雄弁に物語っている。

 5万とは恥ずべきことだが、それであると同時に俺にとっての心の支えでもあると言うことは先に述べたとおりだ。月ごとに少なくともその程度は貯金する余裕はあると自らに言い聞かせることにより、俺は最早風前の灯となった自尊心をようやく保つことが可能となっている。何という矛盾にして皮肉だろうか。