他力斎

雑記、雑感その他もろもろ

奨学金

 夏は俺にとって奨学金の季節だ、と言ってもこれから貰うわけではない。俺は学生時代に日本学生支援機構から奨学金の貸与を受け、大学に通っていた。学生時代に貸与された金額は総額で307万円超ほどで、未だに1円も返済していない。学生支援機構は奨学生OBが生活困窮者である場合、返済を1年猶予する制度を設けている。俺はその制度を利用しそれを申請することこれまで生きてこられた。

 本来ならば俺は10月に返済が始まるのだが、8月に返済猶予申請をすることでそれが毎年猶予され、返済開始が1年後に先送りとなる。返済が猶予されるのは最長で10年間となっており、今年も例の制度に頼ることで返済を先送りにする算段である。前の記事で貯金をしているだのという内容の文章を書いたが、それが出来るのは貸与型の生姜金の返済を先延ばしにしているからに他ならない。

 借金の返済を先送りにしながら貯金を蓄えるというのは我ながら滑稽ではある。だが、支払猶予期間というものが貸した側に設けられているのだからそれを利用しない手はないだろう。10年の返済猶予が経過する前に学生支援機構が俺に支払いを強要するようなことがあっても、猶予申請とは別の制度がある。そちらの方は月々の支払額を半額にするというもので、猶予ができなくてもそちらを使えば生活は苦しくなるものの、生活の破綻は免れられはするだろう。

 学生支援機構が学生に貸与する奨学金には1種と2種の2種類があり、俺が借りたのは1種の方だ。1種は2種と比べて貸与を受けるためのハードルが高いとされている。高校における成績もさることながら、学生支援機構から1種の奨学金を借りるには家の経済状況がかなり悪くなければならない、という条件がある。要するに1種は貧乏人のためにある奨学金なのだ。

 俺の父は津軽地方においてはかなり優良な企業で働いていた。父が努めていた会社の給料は月給30万だったと父はいつだか言っていた。父は県内においてはどちらかと言えば「貰っている方」に属していたが、それでも子供を大学にやるにはあまりにも厳しく、そのため俺が大学に行くには奨学金の貸与が必要だった。高校時代の俺は将来の負担になると承知の上で貸与を受けて大学に進んだが、これが全く大失敗だった。

 

 

 俺は職業科の高校に通わされていたため、大学に進学するには推薦以外の選択肢はなかった。そして更に言えば絶対に確実な道筋で大学に行かなければならず、万が一の失敗も許されなかった。そのため俺は指定校推薦で入れる大学や学部、学科を選ばなければならなかった。しかし、職業科の高校から指定校推薦で行ける大学など高が知れており、それらの中で最もマシな選択を俺はするより他はなかった。

 俺が置かれていた状況でどの選択をしたところで、ロクな結果にならなかっただろう。当時の俺は「腐っても4年制大学」などといった愚昧極まりない考えで大学に進学したが、その幻想は入学式で打ち砕かれた。俺が返済義務がある奨学金を貸与され、郷里を離れ満を持して入学した大学は、サル山や動物園と見紛うばかりの最低の部類に入る学校だった。

 俺は大学に進学したことを心底後悔したが、時すでに遅しだった。学生のレベルが論外なのはもとより、教鞭をとっている講師連中もその大学に通っている学生を講義中においても公然と蔑んだり嘲ったりすることは日常茶飯事で、俺はそれが何よりもいけ好かなかった。講師共の発言にいくら言い返したい衝動に駆られても、自分が属している大学がどうしようもない場所だという点について、俺は反論することができないのが歯がゆく、悔しかった。

 大学の構内だけに限らず、何処に行っても俺は自身が通っている大学を恥じずにはいられなかった。大学1年の頃、俺はTBSラジオで電話オペレータのアルバイトをやっていたのだが、職場で働いている他のバイトの学生連中同士で雑談をしている時、通っている大学の話になり俺は慄然とした。自分以外の連中は早慶日芸、それ以外の有名大学に在学しているものばかりで、その中における俺の場違いさと言ったら!

 俺の大学で教鞭をとっている講師がその大学のことを心底バカにしていたということについては先に述べたが、それらの講師のうちで特に手厳しい先生がいた。その人物は講義を受けている学生に向かって何度も言ったものだ。

「一日でも早く退学してもっとマシな大学に入り直せ!」

 俺は悔しかったが、彼の言に趣向せざるを得なかった。目下自分が通っている大学に籍を置き続けたとしても大したことは学べないのは火を見るよりも明らかであったし、卒業した後の行く末もまた暗いものであろうことは容易に想像ができた。先生の言うとおりに出来たら、俺はもっと気楽に生きられだろう。

 

 しかし、そうは問屋が卸さないというのが人生だ。冒頭で述べた通り、俺はすでに学生支援機構から貸与型の奨学金を借りて大学に通っている身だ。大学選びに失敗したから辞めます、などといったら俺は単に無意味に借金だけをしたということになる。退学という選択肢は俺に限っては与えられていないも同然であった。俺は入学した日から、いや、奨学金を貸与する契約をした時からすでに引き返せない状態であったのだ。

 無意味で何の価値もないと重々承知でありながら、俺はキャンパスライフを送るしかなかった。ただひたらすら鬱々、悶々とした日々を送り、遊び呆けている他の学生どもとは真逆の生活に甘んじ、突破口も打開策もなく無駄に何年も過ごした。あとに残ったのは馬齢を重ねた肉体と、300万超の借金と、卒業証書という名の紙切れ一枚という有様だった。

 学生時代は本当に嫌な思い出しかなかったし、学生でなくなってからは地獄のような毎日だった。奨学金の返済のことを考えれば不安にならざるをえない、なぜなら全く返す目途が立っていないからだ。ちなみに返済猶予は最長で2020年までであり、その年の10月からは問答無用で返還をさせられるだろう。猶予の延長ができる可能性はもしかしたらあるかもしれないが、かなり厳しいと言わざるをえない。

 あんな大学に行かなければ、貸与型の奨学金など借りなければと思い返し後悔するばかりだ。しかし、大学進学という口実を作ることで俺は忌々しい追憶で彩られた故郷から脱することができたと言う事実もある。東京に出たいがために俺は大学に行ったようなもので、その意味では俺の目的は一応は達成されていると考えることもできなくはない。

 憎き故郷から東京に移住するためには、どうしても4年制大学に進学しなければならなかった。高校生だった俺の進路が専門学校や就職などであったなら、両親は俺が東京に行くことを許さなかっただろう。4年制大学という機関に幻想を抱いていたのはオレ一人ではなかった。俺はもちろんのこと、父親も母親もまた、大学という場所がどのようなところか全く理解していなかった。もし両親が大学の何たるかをしっていたなら、俺はやはり東京には行けなかったかもしれない。

 

 

 だが、親が許さなかったとしても家を飛び出して東京で暮らすくらいのことは、できたのではないかとも思う。親や周りの人間たちが許してくれないからやらないだのできないだのというのは、軟弱な言い訳にすぎない。親や世間に向けての大義名分を作るために300万円も借金をして、大学とは名ばかりな良く分からない場所で時間を無駄に過ごした人生の浪費について、俺は悔恨の念を強くするばかりだ。

 第一、普通科の高校に進学できない時点で既に十人並みの水準には至っていないし、それにどのような理由や背景があったとしても既にマトモではない。にもかかわらず、フツーに大学に行きたいなどと願うのは、何というかチグハグで歪な感じがする。尋常な道から外れてしまっている以上、とことん異端として徹するが唯一の正解であったかもしれないと今になって思う。

 7月も終わり、8月になれば俺は通年通り例の手続きの準備をしなければならない。文書をダウンロードしそれを紙に印刷し、それに必要事項と生活の窮状を訴えるような作文を書きつける。更に己の収入が低いことを証明する証書の写しを役所からもらってきてそれと先程の文書を封筒に入れ市ヶ谷にある日本学生支援機構に送りつけて審査してもらう。

 晴れて支払猶予の承諾が下されれば、その旨を知らせる通知書がくだんの法人から郵送されてくる。そして俺は胸をなでおろし、300万の借金のことをとりあえず忘れてアキを迎えることになる。大学が終わってからは、毎年のようにそれを儀式のように行ってきた。その手が通用するのも今年を入れても後3年しかないと思うと、何やら感慨深ささえ覚える。

 借金もまた俺という人間が生きた証であるかのように思える。それの返済義務があるから俺は生きてそれを支払っていかなければならなず、それをすることが俺の今生における目標のようにさえ感じられる。逆に言えば、借金が仮になくなってしまえば、俺がこの世に生きていたという証が消滅するということであり、それへの義務がなくなれば俺が此の世にあり続ける理由もまた消えてなくなってしまうのかも知れない。