他力斎

雑記、雑感その他もろもろ

 歯の欠けた部分に入れた樹脂が変色したため、歯医者に行くハメになった。右前歯の先端部分が黒ずんでいることに気づいたのは6月末頃だった。その後、歯医者の予約を取らなければならなかったのだが、俺が歯医者に行けるのは日曜日だけだった。家の近場にあり、かつ日曜に受診できる歯医者は限られてくる。それだけでなく、予約自体が取れないこともあり、受診に漕ぎ着けるまでに相当な日数を要した。

 変色した前歯をそのままにして1ヶ月以上放置したまま俺は初診の日を心待ちにしていた。俺は人知れず不安であった。これが単に樹脂が変色しているだけならばどうと言うことはない。しかし、これが虫歯などの急を要する何らかの症状であったならば、それを放置して日々を過ごすことは俺にとって常に気がかりであった。悪化して歯そのものが取り返しがつかなくなりはしないかと恐れた。

 結果から言えば、単なる取り越し苦労だった。例の黒ずみは単なる樹脂の劣化によるもので、俺が考えていたようなものではなかった。しかし、レントゲンまで撮らされ、親知らずの存在と奥歯に空いた穴の存在を知らしめられた。結局、前歯の樹脂は新しいものに取り替え、奥歯の治療は次回に持ち越しとなり、次の予約を入れさせられることとなった。

 問題は治療費であり、これが思いのほか高額で、歯の悩みは済んだものの、俺は出費のことで頭を抱えることとなった。初診ということもあり、俺が歯医者に支払ったのは4200円近い金額になった。俺は俺の懐にはかなりの痛手であり、しかも次回の診察もまた控えているため、それの出費のことも思えば歯よりも頭が痛くなると言う有様であった。

 空いた歯の奥底で虫歯出てきている可能性があり、塞いで治療しなければ取り返しがつかなくなると歯医者は俺を脅した。それを言われて初診だけで済ませる人間が居るだろうか。俺は次の診察を受けなければならず、その時には例の歯に空いた穴を埋めるための治療費を支払わなければならない。それを思うだけでどうしても憂鬱な気分になる。そしてそれと同時に、金と自身の身体を天秤にかけ、尚且つ金を出し惜しみしている自分に気付かされるのだ。

 

 

 金だけではなく、時間の問題もある。医者にかかるときはいつも思うが、俺にとってそれは楽しくなく、時間の無駄でしかない。それのために貴重な余暇が費やされることに俺は我慢がならない。俺はフルタイム労働をしている身であり、自由に過ごせる時間は言うまでもなく限りがある。そのため、病院に行くような徒労はできるだけ避けたいと思っている。

 俺は金にも時間にも余裕がない。それは日常のあらゆる局面で思い知らされる俺にとっての現実だ。食いたものも食えず、欲しいものも買えず、行きたい場所にも行けず、やりたいこともできない。それどころか、食いたくもない飯を食い、払いたくもないものに金を出し、身を置きたくない所に囚われる。不本意を被る人生が不幸せだというのなら、俺は間違いなく不幸な生き方をしていると断言できる。

 また、払わなければならない出費に逐一出し惜しみをする性分もまた自らのさもしさを浮き彫りにする。携帯電話を新調する時も、歯の治療をする時も、本来ならば喜び勇んで快くやるような事柄であっても、金を払わなければならないという一事が俺に二の足を踏ませる。払いが悪い自分の振る舞いや思考のパターンが俺を自己嫌悪に陥れるのは一度や二度ではない。

 携帯電話が無ければ社会生活に支障をきたし、歯の治療をおろそかにすれば健康を害し最悪命にかかわる。それらは言いすぎなところはもしかしたらあるかもしれないが、必要ならば気前よく金を払うべきだということなど、俺にでも分かる。しかし、それでも俺にはどうしても金が惜しく、利便性や肉体の健全性を損ねてでも端た金を死守したいという思いがある。

 それは即ち、自分よりも金の方を優先しているのだ。自分の人生を豊かたらしめ、掛け替えのない歯を良好な状態に保つ為の自己投資を怠るのは、自分よりも金の方が大事だと俺自身が見なしているのだ。それは自分自身を貶めているとも言える。俺の生活や歯をはじめとした肉体というものは、金よりも価値がないのだろうか。それらよりも出費を避けるならば、そういうことになってしまう。

 

 仮に歯がオオゴトになっており、俺が治療費を惜しんで何もせず手遅れになったなら、俺は当然後悔するだろう。そしてそのとき、腐り果てた前歯と引き換えに残ったわずかばかりの金に対して、俺はどのような感情を抱くだろうか。戯れに俺はそのようなことを考えながら治療を終えて家路についた。例え治療費がどれだけ掛かっても、俺はやはり金より歯の方が大事だ。

 何もそれは歯に限った話ではない。俺は自分自身を金と引き換えにしなければならないとき、果たして出し惜しみなどするだろうか。腕は? 脚は? 内臓は? 脳は? 金でどうにかなるなら、喜んでそれらを優先させるだろう。改めて考えてみれば、俺の身体、または精神は金などよりも余程重要だということが、今更ながら自覚するに至った。

 歯を全て失い、四肢を引き裂かれながら大金が手に入るとしても、それを良しとするものは居ないだろう。それは極端すぎる例えかもしれないが、金額が少額で、かかっている身体の部位も歯一本となれば、金より自分のほうが大事という根本が揺らぐのだから不思議なものだ。金よりも自己の心身の方を常に優先すべきだし、それは余暇の時間というものにも同じことが言える。

 金銭や時間を失ったり無駄にしたりすることをどの程度まで深刻に考えるべきなのか、俺は時折それについて考える。金や時間を惜しむがために、それよりも重要なものや大事なものを蔑ろにしてしまうようなことは、自覚していないだけで多くあるのかも知れない。というよりも俺は、もしかしたら金や時間を余りにも重視しすぎている嫌いがあるのかもしれない。

 金より大切なものなどいくらでもあり、余暇の時間を割いてでも行うに値する事柄は数多ある。それを俺はかなりの場面で忘れており、それのために金や時間よりも掛け替えのない何かを知らぬ間に損なっていたかもしれない。金では買えないものや取り返せない、二度と訪れない瞬間を、俺はともすれば取り逃してしまっていたのだとしたら、我ながら馬鹿げたことだ。

 

 

 それ以上に、金や時間が足りないという前提で生きている事自体が間違った考え方だとも言える。その前提を踏まえてあらゆる選択をし、何かを行ったり考えたりしているような人間が豊かになったり自由に振る舞えたりすることはないだろう。わずかの金や時間に固執しながら日々を汲々として過ごしながら、俺は急に虚しくなることがある。

 そのような情動の引き金を引いたのが、きょうの歯にまつわる出来事であった。歯のことで金が勿体無いだの時間の無駄だのと煩悶する自分自身の浅ましさを、俺は感じずには居られなかった。また、俺が生得的に備えている歯一本が値千金なのだということも、今更ながら自覚した。加えて、金や時間にこだわりすぎる自分の滑稽さや愚かしさも思い知らされた。

 金や時間のことで必要以上に深刻になるのは、もうやめにしたいとも思った。それらは人生において重要ではあっても唯一無二の代物というわけでは必ずしも言えない。金や時間を犠牲にしても維持しなけれならないことや手に入れなければならないものは数多くある。それらに執着し視野が狭くなった挙句、それらよりも優先しなければならない何かを喪失するようなことがあってはならない。

 俺は金や時間を無駄にしないように画策しながら生きてきた。それはさもしく、浅ましい生き方だったと言わざるをえない。ただひたすら惜しみ、求め、渇望し、不満だけを抱いてきた。それらだけを至上のものとし、それらを手放すことを極端に恐れ、またそれらを損なう度に過剰に憤ったり気に病んだり、嘆いたりしてきた。それらの全ての情動が、俺にとっては桎梏となり自身を無意味に苦しめてきた。

 少なくとも数千円の治療費と天然の健康な歯を天秤にかければ、流石に後者の方が大切だ、俺のような貧しい人間であっても。また、診察の為に余暇の時間がある程度は犠牲になったとしても、それは当然の代償であると捉えたい。自由に扱える金銭や時間よりも尊いものなど、数え上げれば切りがないほどに存在するし、それらの殆どを人間は気に留めておくことが出来ない。それだけでもゆめゆめ忘れないようにしたい。

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