壺中有天

弁ぜんと欲し 已に言を忘る

箱庭

 子供の頃に土手の上から周りを見渡した時、津軽平野が天然の箱庭のように見えた。高い人工物が一切ない津軽平野においては、岩木山だけが一際高く聳えている用に感じられる。そしてその山裾に別の標高の低い山々の稜線が連なり、弘前をはじめとした町や村々を取り囲んでいる。連なり周囲を取り囲む山々により、俺が見上げた空は縁取られ、まるで自分が閉ざされた世界の中に居るような錯覚に陥ったものだ。

 地理的な条件で見れば確かに津軽陸の孤島である。北を海、残りの三方を山に囲まれたその地形的な条件は、自然が成した牢獄のようにも思われる。津軽はあらゆる大都市と接続していない。札幌からも仙台からも遠く、東名阪などは言うに及ばずだ。文化的にも言語的にも全国的な標準とは全くその様相を異にしていると言って良い。それは津軽が田舎というより物理的に「外界」から隔離された異世界だからなのかもしれない。

 とは言っても津軽の内と外は別段、封鎖も隔離もされていない。国道や鉄道はもとより、海路でも空路でも外に出ることは容易い。その点で考えれば、子供の頃の俺が自身が所在する彼の地を指して箱庭だの異世界だのと言うのは謬見だろう。しかしそれは物理的に理論上は外に開かれているだけだ。実質、俺の見解はやはり正しいのだ。外部の人間にとってはどうかは知らないが、少なくとも津軽人にとって自分たちが生きる領域とその外側との間には明確な線引がされており、その多くは自分たちが生まれ育った馴染みの土地から出ようとせず、また出たくても出られない。その点で津軽を閉ざされた箱庭的な世界と捉えたかつての俺の見方は間違いではない。

 それは言わば物理や地理によるものではない、精神的な見えない心の壁により閉ざされた小世界と呼ぶべきものだろう。前述のとおり、全津軽人はその気になれば都会に移住することは可能ではある。貧しい町や村、厳しい気候から逃れ、都会に逃げようと思う津軽人は決して少なくはない。しかし、それを実行に移せるものは稀だ。一人一人の津軽人を自らの故地に繋ぎ止めるのは、自分たちが生き、死んでいく世界は飽くまでこの領域の中に限られるのだという考えや思いの様式なのだ。

 俺にとって津軽、とりわけ弘前は生まれ育った場所であり、既知の世界である。そこに自身の全人生を限定し、そこで生涯を完結させるのは、見知った町や土地の外で生きるよりも遥かに簡単だ。それでも俺は例の箱庭的な小世界から抜け出して、余計な苦しみを被ってでも外で生きる道を選んだ。その選択を俺は誤りだとは思っていない。むしろ、間違いや失敗だらけの自身の生涯において、それに限っては英断だとさえ思っている。

 

 

 しかし、俺はくだんの箱庭から脱したにもかかわらず、依然として閉塞感や自身の生が閉ざされ、行き詰まっているような感がある。津軽という物理的かつ地理的な隔たりから全く無縁な世界で生きている筈なのだが、それでも現在の俺は冒頭で述べたような子供の頃に抱いた感覚をこの東京においても味わっている。いまの俺にとって、障壁となり、自身を矮小な領域に閉じ込めている原因は一体何なのかと、俺は不意に自問する。

 例の心の壁が俺の生活や人生全体を取り囲み、東京においても俺を箱庭的な狭い世界に留めている。そしてそれを形作っているのは自身がこれまで生きてきて築き上げた好き嫌い、ひいては願望などなのかも知れない。それが現在の俺にとっての既知の世界を構築しており、それがそのまま心の壁となっている。そしてそれが俺の一挙手一投足や精神活動や情動などに至るまでの一切合財を制限する。俺の人生が行き詰まっている原因はそれだろう。

 好き嫌いや望みを追求することが自由な生き方だと漠然と思って生きてきた。しかしそれこそが不自由さの源となっていたと考えれば、現状で俺が感じている行き詰まりが腑に落ちる。津軽平野の物理的な環境よりも、俺の精神が定めた価値判断の基準に基づいた生き方の方が、俺にとってはより重大であった。心の壁が作り上げた箱庭から出られなかったからこそ、俺の人生は延々と停滞し続けてきたのだ。

 好きだから固執し、嫌いだから避け、望んでこなかったことだからしない、などといったある種の条件付けにより、俺のあらゆる活動は制限されていた。それが見えない壁なり、俺の肉体と精神を形而上の牢獄に幽閉していたのだ。津軽平野という天然の箱庭から出ても俺は、観念上の心のそれの外側については、終ぞ知ることもなく今日に至っていると言えるだろう。

 好きでもないことや、望んでもないことに対峙した時にこそ、新しい境地が拓けるのかもしれない。既知の小世界に留まることに息苦しさを感じている俺には、それこそがまさに必要なことなのだ。子供の頃にふと感じた例の行き詰まりや窮屈な感じは、今になってひときわ増しているように思えてならない。険しい山々の尾根に縁取られた津軽の空を見上げた時に味わった自身の有限さを東京にいる現在もなお被っている。

 

 好きなことは既に知っていることであり、望みも願いも過去に属している。それらを踏まえた生き方は、閉じたものにならざるを得ない。改めてみれば当然のことだ。未知の領域、未だ見知らぬものは全て未来に存しており、それには好き嫌いや望みや願いなどを抱く余地などない。俺は過去に固執して生きてきた。好悪や夢や希望、願望が既知の世界観を作り上げ、それが見えない心の壁となり自身を取り囲む。つまり俺が脱したかったのは他ならぬそれからだった。

 俺に限らず、好き嫌いや期待という想定が作る箱庭の中で、多くの人間は生きているのではないだろうか。その狭く小さな世界の中で足掻きながら、生涯の多くの時間を費やしているのが従来的な普通の生き方であり、俺はそれを潔しとしなかった。しかしそのことについて、ハッキリと自覚することができず、何から遠ざかり、抜け出せば良いのか判然としなかったから俺は行き詰まっていたのだと気づいた。

 無論、明確に望ましくなく、また嫌いで憎むべきことは当然避けなければならない。しかし、少なくとも嫌でないならばそれを殊更に厭う理由など本当はないはずだ。好ましく望んでいる何か、最良の選択や結果といったものに固執したために俺は、既に知っているところに留まるしかなかった。ベストに固執すればするほど、人間というものは不自由になっていく。

 望みや好みなど、詰まるところ当てにならないどころか却って有害なのだ。これまでの人生が完全無欠で満ち足りたものであるなら、自身の過去に基づいた好悪の判断や望ましい結果に執着することは間違いではないかもしれない。だが、そうでないのなら過去に基づいた価値や判断を絶対視すべきではないだろう。俺はこれまで、愚かにもそれをし続けてきたのだ。

 好きなものへのこだわりは、過去への執着と完全に等号で結ばれる。過ぎ去った時間や場所で経験したかつての思いや考えこそが、自分が好きだと「思いこんで」いる事物と結び付けられる。それは他人その時点でそのように見なしているに過ぎず、それは絶対的に盤石な基準でもなければ、普遍の原理でも法則でもない。好きなことは人間の選択肢や視野を狭めかねないものであり、それに固執する姿勢は自由とは程遠い。

 

 

 子供の頃から俺は、好きなことしかやりたくなかった。願いや望みが叶わなければ人生は生きるに値しないと思っていた。俺はそのように延々と思い続けてきたが、結局のところ好きでもないことに一日の大半の時間を割き、願望などまるで反映されない生活を営んできた。俺は好きなことが出来ず、大願が成就しないから問題であり、自身の人生が不幸せで不自由で、最低なのだと考えてきたが、これまで述べてきた通りそれは根本的な謬見だった。

 「好き」や「望み」などといった一見ポジティブなものに疑いの目を向けるべきだったのだ。それらは過去の経験や記憶から端を発し、人間の精神活動を制限するものだ。それらを絶対的な基準として振る舞えば人は、選択の幅を狭め自身が見知った領域の中だけで生きることになる。その領域こそが心の壁により取り囲まれた抽象的な精神の小世界、本稿で重ね重ね言い表すような箱庭となる。

 行き詰った人生を変えるには、見知った矮小な世界から一歩踏み出さなければならない。そしてそれを実行に移すには好きなものや馴染みのものから意識的に遠ざかり離れる必要がある。かつての俺が生まれ育った故地である弘前津軽を唾棄して外を目指したように、いまの俺は好きなものや望みから敢えて距離を置くべきときが来ているのだろう。

 既知の世界に留まり続ければ人間は淀み、腐る。俺が自身の生を持て余し、満たされず窮屈さを覚えていたのは、見知った領域から出ようとしなかったからだ。それは生まれ故郷などといった目に見えるわかりやすい形の事物からの遁走ではなく、心の動きを定める判断基準としての願望や好きという感情の方を手放し、遠ざからなければならなかったのだ。

 卑陋な箱庭から俺が真の意味で抜け出し、あらゆる意味において解かれるためには、慣れ親しんだ好ましい全てを求め、逆にそれに当たらない一切を避けようとする判断や峻別に頓着しないようにならなければならない。好きなことも望んでいたことも、一度全てかなぐり捨てて、全く望んでもいない好ましいとも感じてこなかった何かや何処かを志向するのは、最早必須であると言えるだろう。