壺中有天

弁ぜんと欲し 已に言を忘る

轍を踏む

 父と同じ小学校と中学校を出て、父と同じ部活道をやらされ、父と同じように職業科の高校に通わされた。思い返せば俺の人生は父親の人生をただなぞっていただけだ。高校が終わり上京したという点も父と同じだった。父は7年ほど東京で暮らした後に帰郷して家庭を持ったが、俺は父親よりも長い間東京で暮らしている。この点でのみ俺は父と異なっている。

 父も母も何かにつけて俺を都落ちさせたがる。キチンと生活できているか、家の中は清潔にしているかどうか、交友関係は健全かどうか、電話口で俺の生活の仔細を徹底的に彼らは聞き出そうとする。そして少しでも俺の暮らしの中で、彼らが想定する「当たり前で普通の生活」に見合わない部分があると、彼らは俺に「生活能力なし」との烙印を押し、一人暮らしなど無理だからなどと言って俺を帰郷させようとする算段でいる。

 東京に居続けられるかどうかが、俺という存在が父親と同一でないことを表す唯一つの要素だ。それ以外の経歴において、俺と父を隔てるものは何もなく、殆ど同種の個体だと言って良いほどだ。身長などは父親の方が大分高く、父は津軽弁しか話せず俺は逆に標準語しか話すことが出来ないが、それらに目をつぶれば俺は父親とほぼ同じように育てられ、似たような人生を歩んできた。

 両親が俺に施した教育は、津軽地方で被雇用者として働き一生を過ごすためのものだった。それは俺を父親と同じような人間にするためのもので、俺はそれを子供の頃からずっと嫌っていた。父や母が提示する人生モデルは、俺には何の魅力もないものでしかなかったし、父親と同じような人生を送ることも潔しとしなかった。そんな俺の言動や振る舞いを、両親は一つも理解できなかったし、する気もなかった。

 彼らは自分たちの人生に不満も疑問もなかったのだろうか。それは今となっては想像するしかないが、とにかく彼らは俺が自分たちとは似ても似つかない何かになること、なろうとする可能性を徹底的に潰そうとした。彼らにとっての理想の息子像は、俺にとっては桎梏や害悪にしかならなかった。彼らが想定した教育や躾は、俺を卑陋で頑迷な田舎者にするだけのものでしかなかった。ちょうど彼ら自身と同じように。

 

 

 津軽地方は経済的にも文化的にも全国の最低水準の地域だと思われる。そこで生きていくと言うことは、世俗的なあらゆる欠乏や不幸に甘んじることを意味する。父も母も、祖父母もさらにその上の世代も、皆そうして営々と生活をし、家庭を築きそして死んでいくことを不服には思わなかった。そして俺もまたその隊列の一員となることを宿命付けられ、物心がつく前からそれを前提として育てられた。

 父も都会に憧れたかもしれないし、故郷を嫌ったかもしれない。その点でも俺と父はやはり同じなのかも知れない、真偽は不明だが。父は高校が終わると東京の会社に就職した。景気がいい時代で、父が若い頃は高卒の就職組でも東京に気軽に出られた時代だった。父が言うには、仕事は下請けに殆ど任せて、自分たちはレクリエーションなどの計画を立てて遊んでばかりいたのだという。

 俺の時代において、高校卒業とともに就職するということは即ち、地元で働くということを意味する。俺が大学まで進んだのはそのルートが嫌だというただそれだけの理由だった。高卒で一生地元でキツく割に合わない仕事をやらされるのが、どうしても嫌だったから、それを避けるための唯一の選択肢として俺は上京しなければならず、またそのためには四年制大学に進学しなければならなかった。

 父親は家の都合で東京の会社を辞め帰郷しなければならなかったという。俺もまた長男であるため、「家の都合」で故郷に連れ戻される危険性はどんな瞬間においてもある。父親よりも母親の方がそれには意欲的で、俺の生活におけるアラ探しには父よりも余程余念がない。俺が地元で生きることを死ぬよりも嫌だと言っても、母は全くお構い無しで、単に家族が一緒に生活する状況を取り戻したいという一念でいるようだ。

 母の念願が叶い俺が都落ちすれば俺は正真正銘、父親と同じ人生を歩んだということになってしまう。父と同じ学校を出て父同じように上京し、数年東京で暮らして帰郷し、家督を継ぐとしたら俺と父を隔てるものなど最早なにもない。俺という個人の存在は完全に消滅すると言っても過言ではない。父親劣化コピーとして生きていくことは耐え難いことだが、そのような俺の気持ちを両親は決して理解してはくれないだろう。

 

 地元が嫌いで家族と暮らせず、働くことも忌避するなど、両親には恐らく想像もできないことだ。そのような願望自体も、それを抱く人間がいるということも彼らには全く思いもよらないことだろう。子供の頃から俺は、弘前の町が嫌で仕方がなったし、職業科の高校にしか進学できなことに絶望し、高校が終われば地元の工場か何かに就職させられることも死ぬほど不本意だった。

 要するに俺は、父や母と同じ轍を踏みたくなかった。両親と同じような人生を送りたくないにもかかわらず、彼らは俺を自分たち同じような人間にしようと八方手を尽くす。そのすれ違いが俺と俺の家族を著しく不幸にしたように思う。父のようにはなりたくなかったし、母親が求める人間像も頑迷で愚昧な人物であるようにしか感じなかった。両親には俺の思いなど夢にも思わないようなことだろうが。

 大学に行き、東京には出られたが、俺は結局のところ父や母と似たような人種になるしかなった。特に四六時中酒浸りだった点は、両親の生き写しだったと言っていい。また、後天的にどれほど頑張ったところで、田舎出の無知な下らない人間だというのは一生涯、覆ることなど有り得ない。とどのつまり、同じ轍を踏みたくないなど所詮は叶わない望みでしかなかった。

 俺は東京で酒に溺れた。成人してから7年ほど、殆ど一日も欠かさずに安酒を呷り続けたが、これは両親もそうしたことだ。父や母だけではなく、親族もみな一人の例外もなく酒飲みだった。気候が厳しく楽しみもないような津軽で生きるには、酒を呑むくらいしかやりようがなく、その気質を俺は受け継いだ。そしてそれは東京で暮らしている最中でも遺憾なく発揮された。アルコール依存は俺が津軽人の血を引いていることを何よりの証であったといえるだろう。

 蛙の子は蛙、親の因果が子に報い、いくらでも言い方はあるだろう。俺が俺であるということと、俺が津軽人の両親から産まれた人間に過ぎないということは不可分であり絶対に変えたり否定したり出来ない。後天的なあらゆる努力や心がけなど単刀直入に言えば無意味で無駄な徒労でしかない。生まれつきの自身の資質に依って立つ限り、俺は両親の轍を踏みながら生き、そして死ぬ以外に道はない。

 

 

 自分が自分であることを否定することでしか、それから抜け出す手段はない。彼らの息子として生き、津軽人としてあり続けようとする限り所在地が東京でも弘前でも何も変わりはない。自分を自分たらしめる全てを唾棄することでしか俺は両親と違う存在にはなれない。他人に定義された自分、環境のなかで予め定められた自己を倦み厭い、それから解かれようとするならば、生得的なあらゆる全てを否定しなければならない。

 辺境の底辺労働者として生きていくのは俺に定められた宿命だった。そして俺はそれに抗おうと散々足掻いた。大学に行ったのも東京に移住したのも、俺は先天的に定められた道から、両親と同じ轍から少しでも外れたいという一心であったように思う。思い返せば我ながら悲しい性分のようにも感じられるが、それが自分で選んだ道だから仕方がない。

 父も母も津軽で生まれ育ち、彼の地で家庭を築き終生そこで暮らすことが嫌ではないのだろう。彼らは自身の人生をどのような理屈によるかは知らないが、肯定することが出来ているのだと俺は推測する。俺よりも彼らの方がずっと幸福だろうし、また社会的にも正当な人種なのだろう。生まれ持った境遇に文句ばかり言い、悪あがきをして醜態を晒すような人間の有り様に一片でも正当性があると言えるだろうか。

 親と同じ轍を踏みたくない、という思いは全くもって正しくない。所詮人間など、家や共同体を維持するための道具にすぎない。その機能を果たそうとしない個体の振る舞いは絶対に肯定されるはずはないのだろう。俺が夢見たことや望んだことなど、今にして思えば何もかもが間違いであった。しかし、間違いであったとしても俺は今更おめおめと地元に戻ることは出来ないし、両親と同じ轍などもう、踏みたくても踏めはしない。

 だが、根本が間違っているのだから、その上で何がどうなろうと別段どうということもないとも言える。俺の生は言うなれば間違ったデタラメの生だ。その大本に何を積み重ねようとも、それに正しさなど生まれるはずがない。俺の生においては何もかもが間違っており、正しくなく、妥当でも理に適ってもいない。そのように考えれば、何もかもがお笑い草に思えてくるし、万事気楽に臨めるというものだ。それは単なる虚勢や虚仮に過ぎないかもしれないが。