壺中有天

弁ぜんと欲し 已に言を忘る

飯が不味い夜に

 最悪の夕食だった。苦しい労働を耐え抜き、丸一日会社に拘束され、ようやく帰宅して食卓についたのに、飯が不味いと言うのは最悪である。しかし、なぜ私にとって食べることが喜びだの楽しみだのといった行為なのだろうか。果たしてそれは人として当然の、生理的に避けられないことなのだろうか。食に囚われない生き方をしてみたいという願望が食欲より勝ることも、場合によってはあるだろう。また、私の身にそれが起こるのは、こんな不味い飯を食わされた日であるかもしれないのだ。

 

味気ない夕餉

 今日の晩飯は不味くて不味くて仕方なかった。パスタソースを安物にしたのがよくなかった。キューピーのミートソースの半額ほどの値段に釣られ、トップバリュのレトルトを買ったのは失敗であった。そもそもイオン系のスーパーで買物をするような身分である以上、日々の食事の質は残念なものにならざるを得ない。だが、それにしても今しがた食べたミートソーススパゲティは酷すぎる味で、ブログで文章にするほどマズかったのだ。

 食事というのは目下、私にとっての唯一の楽しみと言って良い。食事などせいぜい日に1,2度しか摂れない。それ以外で嬉しいことも楽しいことも基本的には存在しない。労働と、インターネットと読み書き以外には、眠るだけだ。労働はもちろんのこと、私は読書が楽しくなく、文章を書くことも他のことに比べれば苦にならないというだけで面白くてやっているのではない。睡眠もまた言うに及ばすだ。

 そのような暮らしぶりであるため、食事は私にとってかなり重要な行為となる。これ以外で能動的に心身を喜ばせうる何かなど、前述した通り殆どないのだから当然である。とは言っても、一日に私が捻出できる食費は多くて500円であるため、食い道楽にもかなりの制限がある。日に一度、まいばすけっとに赴き考え抜いた上で食品をかごに入れレジに持っていく、精算を行うだけで、私は緊迫し真剣な心持ちとなる。

 帰宅して食事の支度を行い大体20時30分頃になり、ようやく晩飯となる。重ねて述べるが、この時が一日のうちで最大級の楽しみとなる、他には現状どんな喜びもないのだから。ところが今日の食事は最悪だった。トップバリュのミートソースの不味さに私は驚愕するより他なかったのだ。全く何の旨味も風味もなく、ただなんとなく肉ベースっぽいソースがパスタにまとわりついているだけの、本当にただそれだけの食事だった。

 トップバリュの小品を買うこと自体が悪いと言えば話はそれで終わってしまうが、安さに目が眩んでしまったのだ。食費は一日500円以内と決めているが、可能なら400円ないし300円で済ませたいと、私は常々考えている。そんな私が置かれている経済状況に於いて、パスタソース300グラム90円はどうしても魅力的というか無視できなかった。そしてその挙句がこのザマだ。

 期待していた楽しみが損なわれた時の悲しみや失意はひとしお大きい。24時間後までマトモな食事を摂ることが出来ないと思うと、気が狂いそうになる。ちなみに昨日は今日買ったものより2倍近い値段のキューピーのミートソースだった。明日の晩にはそれを買って食べるとしても、今日の夜はもうまずい飯を腹に収めた後で、金も使ってしまったため食事をやり直すことは最早出来ない。そのことを思えば悔しくて仕方がない。

 しかし、飯のことで汲々としたり一喜一憂したりする我が身を情けなくも思う。飯が数少ない楽しみだと書いたが、そもそも食べることを楽しみとして定義し、それを精神の支えにして生きている現状が本当に正しいといえるだろうか。正直に言えば、毎日3000円くらいかけて豪勢に飲み食いすることは不可能ではない。倹約を自らに課しているから日に500円以内の食費でやりくりしているのだ。それならいっそ、日に一度の楽しみなどとは言わず、食事は完全に栄養補給のための手段として割り切ってしまう道もあるのではないだろうか。

食べるということ

 そもそも何故、私は飯を食わなければならないのか。子供の頃はそのような疑問を幾たびか抱いたことがある。人間が飯を食わないと死ぬ、という自明なことが幼い私には不可解で仕方がなく、不便で不自由に感じられた。毎日決まりきった時間に家の者が一同に集まり、同じ料理を同じ場所と同じ時間に腹に収める。子供の私にとって食事とは何やら厳しく窮屈な儀式のようにしか思えなかった。とどのつまり、楽しくなかった。

 そんな私ではあったが、家を出てからは飯を食うことが楽しく思えるようになった。親元で暮らしていた時期においては自由に物を食う自由などありはしなかったが、親の束縛がなくなってからはその自由を私は得た。実家にいた間は、食べるものも食べる時間も親の言いなりで一切の意志が反映されはしなかった。一人暮らしを始めてから、私は飯を食う喜びを知った。

 それは結果的に良いことではなかった。私は成人すると飲酒の習慣を身に付けた。今にして思えば、これが実に良くなかった。加えて、学生時代に住んでいたマンションの直ぐそばに24時間営業のスーパーが2店舗もあったのもなお、良くなかった。要するに、親の目が届かない所で好き放題に飲み食いできる環境が私には与えられてしまっており、それにより私の食生活は著しく堕落したのであった。

 無論金銭的な制約はあったが、一日500円以内の食費でやりくりしている現在に比べれば当時は毎日が食い放題飲み放題だった。まず、酒を飲むことが出来たという点が最も現在とは異なっていた。一瓶300円の安物のワインを常飲していたが、それ以外にもエビスビールだの何だのといった高めの酒も飲んでいた。また、ツマミの類いも店頭に並んでいるものは明け方でも夜中でも好きなだけ買って食えた。

 当然、私は醜く肥え太った。欲の赴くままに好き放題に飲み食いしていた当時の私にとって、学問など二の次であった。現在は学生時代とは比べ物にならないほど読んだり書いたりしているが、当時はバイトをして金を稼ぎ、退学にならない最低限のことをするだけで、それ以外はひたすら家の中で酒を煽りアテを食い続けた。振り返れば人生で最も楽な時期だったと言えるかも知れない。

 だが、そのような日々の中で得るものなど一つもなかった。あったとしたら、不摂生や好き放題に際限なく飲食する害を身をもって知ったということだけだった。私にとって大学進学は本位ではなかった。高校が終わってすぐに働くのが嫌で、地元から出て東京に住む口実が欲しいという不純な動機からだった。職業科の高校から推薦で行ける進学先には制限があり、高校で学習した内容と無関係な事柄を取り扱うような大学や学科には行けなかった。

 大学でやっていたことなど興味も関心も持てなかったために、私は飲み食いに耽ったのだった。大学の講師は常勤非常勤の別なく一人の例外もなく通っている学生を心の底から軽蔑し、それを講義中に堂々と表明するような有り様で、私はまずそれが最も嫌だった。その大学のレベルは世間的にも下の下の評価で、私は自らの将来を完全に悲観していた。大学で何をやったところで希望など見いだせず、結局のところ酒に逃げ、そして溺れた。

 

 学生時代はひたすら楽ではあったものの、そこに楽しみはなかった。前述の通り現実逃避の手段として、私は飲み食いを選んだ。いや、それ以外に手など無かったと言った方が適切かもしれない。酒を飲み、ツマミで腹を満たして得る一瞬の快楽に私は心身の全てを委ね、ひたすらそれに縋った。他人や社会との関わりに希望は一つもなかった。大学のことで国中の人間が私のことを嘲笑っているように感じられ、事実それは一概に間違いとは言えなかった。

 マジメに大学生活を送ったとしても、恐らく私はロクな人生を歩めなかったと言い切れる。大学の講師どもが口々に「こんな大学に通うような奴は」と言っていたが、それがその連中の私見ではなく、社会の総意のようなものであった。講師の中には一日でも早くその大学を辞め、浪人でも何でもしてもっとマシな大学に入り直せと言う者さえいた。私は屈辱を覚えながら、首肯するしかなかった。

 だが、奨学金の貸与により大学に通っていた私には退学する選択肢はなかった。どうしても辞めることはできなかったが、本音を言うと私だって可能なら辞めたかった。しかし、大学に通うという名目があるから私は故郷を離れ一人暮らしを許されている身であった。大学がゴミだったから辞めますと言えば、当然東京での一人暮らしに終止符を打つことになる。当時としてはそれだけは避けたかった。

 大学を中退したら、学生支援機構から借りた借金だけが残り、東京からも追放され、津軽地方にある実家で親と同居しながら低賃金で働き借金を返済する生活しか私には残されていなかった。そのことを思えば、私は己が通っている大学がどれほど糞で、大学と名ばかりの就職予備校にすぎず、いや、それと呼ぶことすら憚られるような代物であったとしても、通うしかなかった。

 大学時代にマトモに就職活動をして、それなりの企業に入ったとしても恐らく悲惨だったろう。大学のレベルで社会に出てからどのように遇されるかは9割方決まる。そもそもロクな就職先がないだろうし、上場企業などの世間的に良いとされる所に潜り込めた所で、所詮はソルジャー要員にしかなれなかったと思う。転勤があるようなレベルの会社に入社しようものなら、私は東京に居られないであろうと、容易に想像がついた。

 私は東京から出ることを極端に恐れた。学生時代の私は、自身がどこかの会社に入った後に研修が終わり次第、己が地方に飛ばされることを妄想した。それは荒唐無稽な空想ではなかっただろう。中途半端に就活に成功してそこそこの規模の会社に入れば逆に、私には都落ちという苦境が待っていただろう。都市部ではなく、聞いたことも縁もゆかりもない所に会社の都合で行かされる自分を想像し、大学生だった私は戦慄したものだ。

 私は就職活動にも精を出さず、卒業証書一枚だけを大学から渡され、学生の身分を剥奪された。そこから先は底辺労働者として生きる以外に手はなく、私は数々の職を転々とし現在に至る。その間にも私は、苦しい労働と暗い先行きから目を背けるためにひたすら酒に溺れ、肉だの寿司だのを食い続けた。貯金は殆どできず、私はその日暮らしで20代を労働と飲食に費やした。飲食とは主に飲酒だったが。

食い道楽の終わり

 20代も後半になり、30歳という大台が視野に入るようになってくると、私の脳と内臓はとうとう限界を迎えた。肝臓は正常に機能しなくなり、脳はアルコールが切れると手足を震わせるようになった。いつしか日銭を稼ぐための仕事にも差し支えるようになり、私は飲みたくても飲めない体になってしまった。貯金がない状態で低賃金労働をして一人暮らしを継続する先行きの暗さにも耐えかね、私は遅ればせながら節制生活を余儀なくされた。

 酒を手放すと不安で一睡もできず、自律神経も狂い動悸がして不安で居たたまれず、横になり体を休めることもできなかった。それはアルコールの離脱症状というやつで2週間はその状態で私は苦しんだ。私は医者にかかったり薬を買ったりもできず、頼れる家族も友人もおらず、一人でただその時期を耐えるしかなかった。酒で頭を鈍らせずにシラフで過ごす夜は、私に不安と後悔と絶望を与えた。

 飲み食いを楽しんでいた時代も、その代償を払わされた時期も、今となっては遠い昔のことのように思える。一日500円の食費で済ませるというのは、私にとってそれほど苦ではない。飲み食いというのは少なくとも酒飲みには不可分の行為であり、飲めなくなれば必然的に食う量も減り、自然と食費は減っていく。放埒に肉や刺し身を食べていた時代が、今となっては信じられないほどだ。

 一晩の楽しみとしての食事というものも、最終的には過去のものとなってしまうかもしれない。今晩は安物を買って食ったばかりに酷い有様となったが、第一、私にとって食べることが喜びとなったのは親元を離れてからだ。それ以前は食事そのものを楽しむ発想などなかった。その頃の感覚を取り戻す時が、まさにこの瞬間に訪れていると言っても良いのかもしれない。

 食べるものに気を遣っていた時期もあったが、それにより私の肉体や精神、ひいては人生自体が好転することはなかった。それならばいっそのこと、食べるという行為そのものの重要性を疑うべきなのではないか。飲酒を代表とする不摂生がどのような結果を招くかは言うまでもないが、それとは真逆の食物繊維を取り滋養に富むものを自炊により摂取する生活を試みても、私にはあまり効果がなかったのだ。

 トップバリュの不味いレトルトは、私を食という行為そのものから引き離す一因となるかもしれない。旨いものを腹いっぱい食べる、食べたい、食べなければならないというのは、単なる思い込みに過ぎず、それが出来なければ出来ないで人間は十二分にその状況に順応できるはずだ。それならば、可能な限り私は食べずに済むようなライフスタイルを貫徹するよう努めたい。それこそが私の今後の人生における一つの課題のようにも思える。