壺中有天

弁ぜんと欲し 已に言を忘る

酒のない国に行きたい

 酒のせいで折角の休日が台無しになった。ビールくらいならいくら飲んでも平気だと思いこんでいたが、俺の肝臓はもう往時の機能を有していないようだ。摂取したアルコールを内蔵が処理できず、俺の身体は著しく体調を損なっている。要するに二日酔いで体の具合が相当に悪い。本も読めないし、文章を書くのにも難儀し、とにかく最低最悪だ。もう二度と家の中で飲酒はしたくない。

 

久しぶりに飲んだら

 三連休ということで久々に酒を呑むことにした。半蔵門にある酒屋でエビスビールをロング缶で6本買い、それを飲んだら法外な旨さだった。これは日曜日の話である。俺は3連休であることをいいことに月曜日にも同じ店で同じ分量の酒を買い込み、例によって例の如く家にこもってひたすら飲みまくった。一度飲み始めると、俺は止まらないタチでこうなるともう歯止めが効かないのだ。

 俺の月曜日は飲酒によって消失した。気絶するまでビールを飲んで、晩飯を食うことすらせずに俺は延々グロッキー状態だった。夜中に起き上がってトイレに行く事以外は、全く何もすることができなかった。日曜日だけの飲酒に留めておけば、俺の月曜日はもっと有意義に過ごせたはずだと、俺は今頃になって深く悔やんでいる。本当なら俺は、祝日を読書に費やすつもりでいたのだ。

 俺は成人してからこっち、ビールで体調を崩すようなことはなかった。ビールは酒ではないと腹の底では考えていたフシさえあった。俺はどちらかと言えば酒に強い方だと自負していたし、その一点に限っては他人にも誇れると愚かにも思っていたのだ。度数が高い酒ならいざ知らず、ビールごときの軽い酒なら、いくら飲んでも生活に差し障るようなことは、絶対にないと高をくくっていたのだ。

 もう歳なのだろうか、俺はビールでかなり悪酔いした。ベッドに仰臥したまま、俺はトイレ以外には何をする気にもなれなかった。全身が鉛のように重く感じられ、食欲も湧かず身を起こして水を飲むことさえ億劫だった。家で楽しく休日を過ごすはずだったのに、蓋を開けてみれば散々な結果だった。己の肝機能について、認識を改めなければならない時なのかもしれない。

 俺はアルコール依存症だったということを、唐突に思い出した。身体からアルコールが抜けると、動悸がして手足が震えだし、一睡も出来なくなるのだ。そんな症状に苦しんだのは、もう1年も前のことだった。喉元過ぎればなんとやらで、俺は己の身体が被った苦しみとそれを生み出した原因について、完全に失念してしまった。連休だからと言って、俺が酒を飲んでいいはずがないのに。

 今のところ自律神経に異常はない。一つだけ気がかりなのは眠れるかどうかだ。不眠より苦しいことなど、此の世にはないのかもしれない。手軽震えるだの心臓の挙動が不自然になるだのといったことよりも、眠るべき時に眠れない方が比較にならないほど辛いのだ。疲れていて、脳がマトモに働かないにもかかわらず、焦燥感が募り横になることさえままならない状態の苦しさといったら。

 眠れなければ仕事に差し支える。俺は何よりもそれが気がかりだ。体調など二の次三の次で、働けるかどうかが目下どんなことよりも重要なのだ。無産者として他人に雇われて労働している身の上であるため、要するに身体が資本だ。仕事を休めばその分給料が減るし、勤務態度が悪いと見なされれば減給や解雇の可能性もある。それを考えれば俺は恐ろしくてたまらなくなるのだ。そんな状況下において飲酒をするなど今にして思えば正気の沙汰ではない。我ながら迂闊にも程があるというものである。

元の木阿弥

 酒を断ってからかれこれ1年になる。2週間ほど離脱症状に苦しめられ、俺は地獄を味わった。脂汗が止まらず、先ほど書いたように一睡もできず、手が震えて文字も書けず、心臓が止まりかけるほどの危機を俺は体験した。もう二度と酒など飲まないと俺はそのとき神か何かに誓ったような記憶がある。少なくとも家の中では酒など呷らないようにしようと、その時は思ったのだ。

 そんな誓いもいつの間にか揺らいでしまい、結局今日のような有り様なのだから愚劣きわまりない。盆や正月などの長い休みの最中にはどうしても気が緩んでしまう。土日しか休みがないならまだ我慢できるが、休みが3日以上あると飲んでもいいだろうという気になってしまうのだ。日曜日だけ飲んで月曜日は休肝日にしておけば、ここまでひどく酔わなかっただろうに、日曜に続けて月曜も何リットルも飲んだから、こんな目に遭うのだ。

 親知らずを抜き、歯肉に縫い込んだ糸を抜いたことで、少々ハメを外してみたくなったというのもある。糸の存在が口中で違和感を生み出し、俺は縫合して1週間それが気になって仕方がなかった。その糸をようやく抜くことができ、歯医者に通う必要も当面なくなった。それに加えて3連休で月曜が休みともなれば、久々にエビスビールでもと思うのは無理からぬ事であろう。

 一度酒を飲みだすと、止まらなくなる俺はやはり歴とした依存症なのだろう。連休の後半のすべての時間を俺は飲酒に費やした。俺はビールを合計5リットルも飲み、肝臓はアルコールを分解できずに身体が不調に陥った。これから先、完全に身体からアルコールを抜くのに数日を要し、離脱症状に怯えながら暮らさなければならない。そのことを思うと気が遠くなってしまう。

 学生時代はウィスキーでも焼酎でも、ストレートでいくらでも飲んだものだ。当然二日酔いはしたが、働いていなかったからどうとでもなった。酒のせいで次の日に響くだの何だのと気を揉むようになったのは労働者になってからだ。20代前半のうちはいくら飲んでも仕事に障ることもなく、どうにか生きてこられた。そんな生活にもいつしか陰りが見え始め、とうとう俺は断酒を余儀なくされたという次第である。

 酒があったから俺は労働者としてやってこられたという側面もある。俺の20代は飲酒のためだけに空費されたようなものだが、俺はそれについては一切後悔していない。大学も酒がなければ卒業できなかっただろうし、社会に出てから被った貧困や職場でのあらゆる理不尽も、酒を飲むことでやり過ごせたのは否定できない事実ではある。酒がなければ、俺の人生はもっと惨めだったと思う。

 俺は一生酒を飲み続けると心に決めていた、肝臓に限界が来るまでは。ある時、酒を呷ろうとすると胸がつかえるような感覚があり、その瞬間から俺の酒飲みとしての生活に終止符が打たれることになった。身体が全く酒を受け付けなくなり、アルコールが身体から抜けると自律神経が狂いあらゆる不調が俺を襲うのだった。それについては先に述べたが通りだが、それらの症状を通して俺は酒害の恐ろしさを身をもって知ることとなった。

 

 飲酒を再開すれば、酒を抜く際のあらゆる気苦労を再び味わうことになる。分かってはいるが、どうしてもふとした拍子に飲みたくなってしまうのだから度し難い。連休で、歯医者のことで悩まされることも無くなり、飲んでいい条件が一通り揃ってしまったがために、俺は再びビールに手を出すことになった。ビールぐらいなら深酒しても大事には至らないと思っていたが、蓋を開けてみれば先に触れたとおりである。

 横になって目を閉じる時、原因のない不安や焦りが胸中に絶えず起こる。この感覚の不愉快さは筆舌に尽くしがたい。眠るどころか、身体を寝かすことさえままならないのだ。俺は家の中を無意味に歩き回り、いたたまれない気持ちを抱えたまま夜を無為に過ごす。そうしている内に夜が明けて朝が来てしまう。そうなれば疲労困憊のまま俺は出勤のための準備をしなければならず、疲れ切った状態で仕事に臨む。

 酒をやって例の不調がぶり返すたびに俺は、このような苦しみを経験することになる。学習能力もなく、同じことを何度も何度も繰り返す情けなさが自分でも嫌になる。頭では重々わかっているのだが、それでも一年のうちに数回はこのような苦しみを味わうのだから我ながら呆れるより他はない。酒を楽しむということを、俺は実のところ全く経験していないのかも知れない。

 節度を持って嗜む飲み方が、俺には全然できないのだ。一滴でも飲み始めれば、気絶するまで飲まなければ気が済まないのは、中々損な性分である。シラフでいるのは、つまらなく楽しくない。飲酒の習慣がなくなってからも、その認識は相も変わらずだ。生きていても全く甲斐がなく、ハッキリ言って破滅するまで飲んだ方が俺は幸せなのかもしれないとさえ思う。

 酩酊の中に安住してしまいたい。何も見ず、何も聞かず、何も思わず誰にも会わず、ただひたすら安酒を飲み続けて、俺はいっそ死んでしまいたい。ところが、そうは問屋が卸さない。酒で身を持ち崩すといっても、綺麗かつアッサリと死ぬというわけにはいかない。内臓や脳を壊したまま、人間は相当長い間生きながらえてしまう。悪くなった身体を引っさげて生き続けるのが酒飲みの末路だ。

 俺はそれが嫌だから、日常的に酒を飲むことは最早ない。眠れなかろうが自律神経が失調しようが、それでも明日はやって来る。そしてその恐るべき、忌まわしい明日をどうにかしてやり仰せる以外の選択肢など、俺にはない。明日について考えると、それだけで気が滅入る。俺は朝が来るのが耐えられない。次の日になり、働きに出なければならず、それのためにあれこれ支度だの準備だのをするのを思うと、気が遠くなってしまう。

 ストロングゼロなどの安酒に溺れれば、酔っている間だけはすべてを忘れられる。俺には振り返って懐かしむ思い出もなければ、望ましい未来への展望もない。俺の人生にあるのは後悔と絶望だけで、それらに板挟みになった現在が鬱々と、延々と続いていくだけだ。俺にとって生きることは単なる惰性による苦行に過ぎず、酩酊はそれから一時的に逃げる上で、有効な手段であった、

金輪際、一人酒はもう

 とは言っても、これほど酒で悩まされれている以上、もう家の中では一切飲まないようにするしかないだろう。現在、冷蔵庫には飲み残したロング缶のビールが2本ほど入っている。これを最後にして俺は、今後はどれだけ長い休みがあろうとも、盆も正月も酒など飲まないと心に決めるしかない。他人と食事をするときなどは止むを得ず飲むとしても、少なくとも自宅で一人きりの時には金輪際、飲まないようにしたい。

 酒で己の生から目を背けるのは、もう終わりにする。同じことばかり幾度となく繰り返す芸のない生き方にはいい加減、飽き飽きしてしまった。一人酒で悦に入っていられるほど、俺の人生は悠長に構えていられない。酒があったから労働者として生きてこられたと書いたが、その時期はもう過ぎ去った。いつまでも延々と、その段階に固執したり拘泥したりする理由など、最早一つもありはしない。

 子供の頃から色々なものにハマり、のめり込んだ。別な言い方をすれば、依存するきらいがあった。テレビゲームばかりやっていた時期もあったし、一日中ラジオばかり聴いていた頃もあった。成人してから耽る対象がそれらから酒に変わった。改めて考えてみれば、幼い頃から延々と俺は何かに縋って生きてきたように思う。そしてその縋る感情は、いつかは冷めて俺はその対象から離れた。

 酒に対してもそれは同じであり、「胸がつかえる」感覚を味わった時が、契機だったのかも知れない。今の俺はテレビゲームやラジオなどには一切触れずに生活している。それで全く問題はなく、それらを無理矢理にでもやったり聴いたりしなければならないとしたら、却って負担に感じるだろう。酒を飲むこともそれらと全くで、今の俺には単に面倒事の種にしかならない。

 耽溺できなくなれば、それに拘る理由など何一つない。かつての因習と無縁な生活をする方が、俺にとっては望ましくまた喜ばしい。今頃になってモンスターファームのゲームなどにハマってそればかりやるようなことがあれば、それは俺にとっては無益であり有害だろう。それと同じようにいつまでも酒に縛られ続けられるとしたら、モンファーに拘泥するのと同じような害が俺にもたらされるのは明らかだ。

 俺は金輪際、一人で酒を呑むことはないだろう。慣れ親しんだ習慣から解かれたいと俺は欲している。酒から離れて暮らせるようになれば、俺は休日をドブに捨てるような愚行を繰り返すこともなくなるだろう。また、自律神経を損ねたり不眠で悩んだりもなくなるだろう。かつてハマっていた事柄と今は完全に縁を切れているように、飲酒という行為からも俺はもう完全に無縁になれると断言したい。

 今晩、キチンと寝られるだろうか。今はそれだけが気がかりだ。安心して眠ることよりも大事なことなど、人生には存在しない。それを俺は酒の禁断症状を通して何度も思い知り、この晩においてもそれを味わっている。不眠に苦しみ、疲れ切ったまま朝を迎えることは、俺にとって死の遠因たりうる。働ける肉体と精神を維持するには、ぐっすり眠らなければならず、酒はそれを妨げる。いい加減もう学ぶべきだろう。