壺中有天

弁ぜんと欲し 已に言を忘る

正しさから遠く離れて

 世の中の大半の人間は正しい生き方を実践している。生まれ持った分をわきまえ、許された範囲の自由の中で何かを欲しがったり望んだり、求めたりして生涯を送る。しかし俺にはそんな生き様が、とてつもない曲芸のように感じられてならない。分不相応の欲や志を持たずに行儀よく正当な市民・国民として生を全うできる人々を、俺は羨ましく思う。それと同時に、俺が行くべき道はそれとはまるで異なっていると認めざるをえないのだ。

 

生まれつき課せられたこと

 もし俺が、正しく生きようとしたなら、俺は東京になど住めなかっただろうし大学にも通えなかっただろう。正しい生き方というのは要するに、分相応な生き方ということで、それに則った生き方を俺が志していたとしたら、現在のような暮らしは絶対にありえないと断言できる。俺は何食わぬ顔をして、当たり前のように東京で生活しているが、それは本来の宿命に反した振る舞いだと言えるだろう。

 では本来、俺に与えられた正しい生き方とは何か。それは寒村にある貧しい家の長男といて相応しいそれに他ならない。俺は家を支えるために生まれてから死ぬまで地元の町から出ることなど本当なら許されず、マトモな教育も受けられずに働かなければならない身の上だった。俺は下層階級の底辺労働者として一生涯、被雇用者として他人に使われる人材となることを周りから望まれ、強いられ続けて育った。

 その生き様に於いて重要なのは第一に労働、次いで消費と納税、最後に生殖、それだけだ。つまり俺は働いてコンスタントに金を稼ぎ、それを誰かに支払い、次世代の労働力たる子供を作り育成するためだけに生まれてきた存在だ。それらと関係のない事柄について関わることも考えることも俺は決して許されなかった。田舎で死ぬまで貧乏暮しをする以外の人生など、端から願ってはならなかった。

 にもかかわらず、俺はそれが嫌だった。生まれ故郷の弘前が同仕様もなく嫌いだったし、家族や兄弟、親戚の連中とはことごとく反りが合わなかった。津軽という貧しく遅れた世界で望まない就職をし、身近にいる誰かと妥協して結婚し、可愛くもない子供を育てるだけの一生を、俺は拒んだ。俺は町の外の文化を渇望したし、貧家の長男として分を弁えることなどどうしても我慢ならなかった。

 そんな俺は両親を始めとした周りの人間からには常に厄介者だった。やれ東京に行きたいだの普通科の高校に進学したいなどと言っては、俺は父や母を困らせた。我ながら親不孝だと今は思うが、子供の頃の俺は正当な要求をしているつもりでいた。しかしそれは、やはり正しい言動や思想、願望ではなかったのだ。両親の言葉を借りるなら、俺は甘えていて、さらに言えばオカシイ奴でしかなかった。

 所詮、人間という存在は環境の産物にすぎない。産まれ落ちた境遇により、個人個人がどのような人生を歩むかなど9割9分は決まってしまう。いや、もしかしたら都心の上流階級に生まれても事故や病気で早死にするかもしれないし、ホームレスでも宝くじで億万長者になるかもしれない。だが、人生における不確定な要素など、せいぜいそんな程度のものでしかない。

 津軽の寒村で営々と暮らす貧しい家の長男として生まれた俺に、一体どんな希望や可能性があったというのか。重ねて言うが、俺に与えられた定めは、彼の地で死ぬまで寒さと貧しさに堪え続ける以外、何もありはしなかった。それに疑問や不満を抱くのは、先に述べたように「おかしいこと」もしくは甘えなのだ。その例の定めに従う道以外は正しくなく、全て間違った振る舞いでしか無く、俺の人生とは即ちそれだったと省みる。

星の下から目を背け

 どんな人間にも宿命というものがあるだろう。俺に与えられたそれは、辺境の地で社会の最底辺に属してこの国の社会を支えることだった。それを嫌がるなど、言語道断であり、あらゆる全ての人間が俺に対してその生き方を要求してきた。俺は子供の頃、両親の指図や躾けを理不尽で不当なものだと感じたが、社会に出てみると彼らが言っていたことと似たようなことを世間の大概の連中が言うのだからオカシイ。

 父や母は俺をどうにかして一人前にしようと躍起になった。マトモに働けるように、稼げるようにと習い事や運動などを散々やらされ、そのどれもが俺にとっては苦々しい記憶として今も脳裏に刻み込まれている。小学生の頃に俺はそろばん塾を母に強要されたが、それも母なりに俺の将来を見越してのことだった。我が子を机仕事ができる身分にするために、ソロバンを習わせれば間違いないと踏んだのだろう、愚かにも。

 両親が俺に施したあらゆる教育や躾は、煎じ詰めれば良い労働者になるための素養だった。逆に言えば、それとして相応しい人間に育たないとしたら、俺は出来損ないであり間違った存在だということになる。そしてとどのつまり、俺はまさしくそんな人間になってしまったのだが、これは両親にはたいへん不満な結末だろう。彼らの努力や気苦労は全く実を結ぶことはなかったのである。

 両親がおかしく、反社会的なことを俺に要求していたのなら、まだ救いがあった。どっこい、彼らが俺にやったり行ったりしたことは、その殆どが真っ当であり、その事実が俺にとっては不都合きわまりない。結局、父も母も俺に対して完全に正論を言って居たのだった。鄙びた地の貧しい家で暮らす、それも長男なのだから一生底辺の労働者として生きなければならないのは定めというものだ。その前提に基づいて俺を育てようとした両親は全くもって正しかったのである。

 俺に高い教育は無用だった。文化や芸術に触れる機会も学問をする必要もなかった。単に雇われて働かされ、少しでも高い賃金を得て、何も考えずに漠然と金を払うなり納めるなりするだけで良かった。後は近場にいる何者かと適齢期で結婚し、自分と同じ生き方をして社会最底辺で支える世代の国民を再生産するだけで十分だった。と言うより、それとは無関係なあらゆる望みを抱くことは、反社会的でさえあった。

 俺は雇われて働くのが嫌で嫌で仕方がなかった。また、できるなら質の高い本物の教養を身に付けたいと欲し、文化的な生活を謳歌したいと欲した。それが如何に分不相応で、間違った願望であったか。国内の最底辺の地方で、職業科の高校に通わされ、長い休みには工場に働きに出される、そんな諸々について嫌だと思うことなど許されなかった。それを不服に思うことは、そもそもあり得ないことだった。俺の境遇や身分にあっては。

 俺はその禁を破った。俺は生まれ育った環境を嫌い、そこに俺を閉じ込める全ての人間、そこから抜け出すことを阻むあらゆる社会的な要因を憎んだ。仮にその上で何一つ実行に移さなかったとしても、自らの分を厭う感情を持つこと自体が、今にして思えば正しくなかった。父も母も、毎日不満げな顔をしている俺の態度を一切理解せず、絶えず咎め続けた。不満を感じる自由など俺には無かったのだから当然だ。

 

 与えられた役割に徹しようとしないものは、それだけでダメなのだ。身も蓋もない言い方になるが、俺はズバリそれだった。正しくあれ、間違ったことをするなと親をはじめとしたあらゆる人間が俺に強要ないし要求してきた。そしてそれが俺にとって何よりも重荷だった。蛙の子は蛙であり、貧しく卑しい家の長男として生まれた以上は、それとして振る舞わなければならなかった。

 何も願えなかったし、何も望めなかった。いや、予め与えられ許された範囲の中で俺は望み、願わなければならなかった。津軽の実家から通える範囲で職場や仕事を選択すべきだった。親の言いつけの通り職業科の高校に通い、それに一切の不満を抱くこと無く順当に高卒社会人として働くことが求められた。そうでない人生など想定されていなかったし、それを志向することは犯罪に等しかった。

 正しくあれと誰もが俺に言った。中学2年の進路決定の時、両親は俺に乳男の給与明細を突き付け、俺の将来の選択肢の狭さを嫌というほど思い知らせた。俺は工業高校の土木科に進み、そこで「手に職」をつけて少しでも給料が高い仕事にありつくことだけを考え生きることを要求された。それができない俺は、甘えていて頭がおかしい低能として親に完膚なきまでにナジラれた。

 当時は親が間違っているように感じられたが、間違っているのは俺の方だった。逆に父も母も完全に正しく、俺のほうが正しくなかった。田舎にはロクな仕事もなく、そういう世界で生きていくしかないならば、両親が言う通りにすべきだったと今になって思う。それが糞面白くもなく、失意と絶望しかない人生だったとしても、そのような生き方こそが俺という個体にとっては「正しい」のだった。

 俺は正しい生き方から目を背けて生きてきた。上京もその行為の一環でしかなかった。貧しく卑しい星の下に産まれ落ちた俺が、定められた運命に則って生きるならば、これまで何度も書いたような人生設計以外は許されず、また有り得なかった。そんな正しい生き方から、俺は逃れたかった。実利と得失だけが支配する世界から解かれて、まるで違う理屈が罷り通る世界を、俺は夢見ていたのかもしれない。

 東京でも、俺の生まれ持った運命は常に付いて回った。たとえ此の世のどこに居たとしても、俺が津軽人であることは一切変わらず、何の取り柄もなく下らない人間だという事実は全く覆ることはない。そのため、社会のどんな場所に居ても絶えず俺は苦渋と辛酸を嘗め、煮え湯を飲まされ続けてきた。東京に出ても、俺は全く自由でも幸福でもなく、将来に明るい兆しなども僅かもない。

 東京においても結局、俺は底辺労働者として苦しく貧しい暮らしに耐えるしかない。仕事も生活も、何もかも放り出して、破滅に身を委ねたい気持ちに駆られる。懐かしむ過去も、望ましい未来もない俺は、ただ延々と続く現在に必死にやり過ごしているだけだ。それはハタから見れば普通に社会生活を営んでいるだけなのだが、そんな正しい生活態度にウンザリしている自分がいる。

正しくない生を

 正しくあれと幼いうちから仕込まれてきたし、大人になってもそれに囚われている。俺にとって生きることとは、正しさへの反目とでも呼ぶべき営みであったと言えるのかもしれない。世間体を損なわず、恥をかいたり後ろ指をさされたりせず、稼げて体裁も整うような、そんな生き方を推奨、要求、あるいは強制されてきた。社会の構成単位として好ましい存在として振る舞うことでもあったろう。

 俺はそれが不満で嫌だった。そのような人生が正しく、更に言えば楽で賢明であったとしても。俺はそれに背を向けてでも、自分にとって満足できる、腑に落ちる、「然り」と胸を張って言えるような生き方がしたかった。結局それは叶わなかった感があるが、俺は人生を失敗したとは思わない。なぜなら、俺の人生の意味とは即ち、正しくない道を故意に選ぶことにこそあったからだ。

 極端な話、俺は失敗したかった。貧乏な田舎者として「正しい」人生がどのようなものであるかなど、子供でも容易く分かる。しくじることこそ俺にとっての念願であり、正しくない方向をひたすら向き、歩み続けてきたからこそ現在の俺の生活があるのだ。楽しくなかったとしても、それが俺にとってのある種の理想だったのかもしれない。俺が欲し、求めたのは、つまるところ正道から外れたオカシイ生き方でしかなかった。

 定石どおりの生き方ができず、またしたくなかったから、俺は今ここにいる。東京でああでもないこうでもないとやっている原点にあるのは、プラクティカルな価値観に基づいた貧しく狭い世界から逃れたい一心であったように思う。その領域の中で正しくあろうとするより俺は、敢えて正しくない、誤った道を自らの意志により選んだのだ。思えば、なんという不毛な生き方だろうか。

 俺は過ちを犯さずに一日たりとも生きられない。それを拒絶するなら、これまで生きてきた己の半生を根本から否定することになるだろう。常道を踏み外して生きたいと、幼いうちから俺は腹の底から願ってきた。だが、自身の本心について、俺はあまり明確に自覚してこなかったきらいがある。自身が本当に本心からの望みについて、ハッキリと見据えていれば俺は、もっと別の生き方ができたかもしれないと夢想してしまう。

 生きる上で踏まえなければならない正しい道はある意味で容易い。それは誰の目にも明らかで、考えなくても歴として正当性が分かる、そんな生き方だ。地元や実家から離れずに人生を送るのは、縁もゆかりもない場所で身をやつすより正しい。しかし、その正誤や善悪は別としても俺はそれを望まず、我を通して今日までどうにか生きて来られた。何にせよ、俺は自発的にそうしたし、そうしてきた。

 正しくない、誤った領域の中にこそ、俺は安住できるしまた、そうすべきなのだろう。真っ当だとか正当などといった言葉が当てはまる世界には、俺の居場所などはじめからなく、俺は本当でそれを察していたのかもしれない。間違い過ちの中で生きることだけが俺に与えられた真の天命、神から与えられた本当の使命なのではないかと思っている。