壺中有天

弁ぜんと欲し 已に言を忘る

遅れ馳せ

 大人になってから勉強すればよかったと思う、なんと月並みな後悔だろうか。そんな嘆きを吐露する大人たちが、子供の頃は馬鹿に見えて仕方がなった。ところが歳を取ると結局、俺自身もまたその大人と大して変わり映えしなようなアリサマなのだから我ながら滑稽である。少年老い易く学成り難しとはよく言ったもので、そんなことに感心ている暇もないほどに俺は刻一刻と歳を重ね死に向かっていくばかり。そんな俺が今頃になって、何かを学ぼうとするのは酔狂の極みだ。

 

恩師の言葉

「今から何やろうと思っても、10年遅いんだよ」

 先生は受講生たちにそう吐き捨て講義を終えた。俺は講義が終わったあとも、しばらく呆然と教室の椅子に腰掛けていた。遅いとは一体ナニゴトか。俺はまだ大学生なのに、とその時は思った。秋頃で、窓外から枯れ葉が舞っているのが見えた。俺はそれを眺めながら、己の身の上を風に巻かれているそれと重ねてしまった。まさにその時、俺は己自身の生が既に機を逸してしまっているのだと思い至ったのだ。

 先生は生活費を稼ぐために俺の大学で講座を持っていたが、学生のことは腹の底から軽蔑していた。別の講義の時には、

「こんな大学に通っているような人間は生きている価値がない」

 とまで言い放ったことさえあった。またある時は、学生に向かって今すぐ学校を辞めて別の、もっとマシな大学に入り直せ、とも言った。先生が講義で学生どもに言ったことは、他にいくつもあるが、それらを一々挙げるのは控える。

 しかしそれでも、俺の学生時代においてその先生は一番の恩師だった。常勤非常勤の別なく、その大学で教鞭をとっている人間たちにとって、学生は「お客様」だ。そのため、可能な限り彼らは学生の精神を逆なでしたり損ねたりしないよう当たり障りなく対応しているように、俺には感じられた。そんな講師たちの中において、例の先生だけは容赦ない罵倒や嘲笑を講義中に表明してくれた。

 その大学は先生だけでなく、世間の全ての人間にとっても下の下の類いだった。世間的にどの程度のグレードの大学に通えば恥ずかしくないのか、俺には分からない。それでもその大学に通うことが恥ずべきなのは理解できた。しかしその大学の構内において、その現実を学生も講師も基本的に触れず、見ないふりをしていた。ところがその先生だけは例外で、情け容赦も血も涙もない現実を俺の前に突きつけたのだ。

 冒頭で挙げたセリフもまた先生のありがたい言葉だった。10年早いという慣用句はよくあるが、「10年遅い」という言葉が当てはまることも多々あるだろう。その大学に通うような連中は先生が言うように何をするにしても手遅れで遅すぎた。官僚にもなれないだろうし、中流以上のサラリーマンも無理筋、アート系の花形の職なども望むべくもない。社会の最底辺でこき使われる未来が確定しているような者どもだった。

 そんな群れの一員として俺はキャンパスライフを送り、屈辱と後悔と絶望を味わいながら社会に出て、今日に至るのである。自身の半生を振り返れば、先生が言ったことはまさしく、恐るべき予言に他ならなかった。実際、俺は公務員にもなれなかったし、中流以上のサラリーマンになる道もなかった。クリエイター的な何かになれる見込みも全くない。そしてこれから先、発奮したところで年齢的に遅すぎるのは否定しようがない。

 だが、遅いというのは世俗的な意味合いにおいてであろう。先生が言う「遅い」というのは進学や就職などに間に合うかどうかの話だ。小学生のうちからガリ勉でも何でもして、マトモな高校や大学に通い、就活を成功させ、人並み以上の生活を手に入れるには、たしかに俺はもう遅い。そしてそれは大学生の時点で既にそうであった。そのことを先生は言ってたに過ぎない。その意味で遅きに失しているとしても、それでも俺には明日や明後日、来月や来年がある。それらをどのようにして過ごすかを考えるには、依然「遅くはない」はずである。

手に職という罠

 そもそもなぜ俺はそんな大学に行かなければならなかったのか。俺は職業科の高校から大学に進んだ。その場合、一般入試ではなく推薦で入れる大学しか選択肢はない。俺が通っていた高校から推薦で行ける大学など、高が知れていたし、また大学はもとより、学部や学科にも著しく制限があった。与えられた選択肢は、どれもが間違っているように思えた。ロクな大学に行く道もなく、学部も学科も行きたくない類いのものしか選べなかった。

 それでも高卒社会人になることは避けたかった。進路が思い通りにならないからと言って大学進学を諦めれば、その時点で俺は就職しなければならなかった。そして、就職するということは終生、地元で暮らすということも意味していた。俺は故郷の町が嫌いだったし、親元で生活することも耐え難く感じていた。だから進学という口実を得て、命に代えても東京に逃げる必要があった。

 そして例の大学に俺は、極めて不順な動機により進学した。そんな俺にとって、先生の言葉は余りにも痛烈だった。先生の講義を受けたのが直接の原因となり、一時期は精神を病んだことさえあった。それでも俺にとって先生は俺の人生における恩師だった。たとえどれだけ苦しい思いをさせられたとしても、本当のことを突きつける人間は俺にとって師と仰ぐに値する存在であったからだ。

 先生にクダンの言葉を言われたからこそ、俺は自身の存在や人生について改めて考える機会があった。そしてそれは俺にとって必要不可欠な経験であり、それを授けてくれた彼はやはり俺にとって最大の恩師に他ならなかった。彼との邂逅がなければ、俺は漠然と大学時代を送り、何も考えることも思うことも、また学ぶこともなかっただろう。あの大学の他の学生と同じように。

 しかし、例の大学に行ったこと自体は後悔している。俺にとってそれは単なる人生の汚点でしかなかった。先生が言う通り、あんな大学に通うような人間は生きている価値などないのだろう。そもそも職業科の高校に通ったことも悔やんでいる。それは親の言いなりになったがためのことであった。しかし、それでも俺は世の中のことを何も知らない両親に自らの意志で倣ったという事実をなかったことには出来ない。

 どうにかして、泣き喚いてでも俺は普通科の高校に進学して勉強して身を立てられる可能性を、中学生のうちから確保しなければならなった。それができなかったから俺は職業科などという掃き溜めに追い込まれたのだ。加えて、その先には例の大学への進学があり、先生との邂逅と冒頭で書いたような言葉の先例があった。そのように考えれば、やはり大学生だった時点で「遅かった」のは間違いない。10年早く行動していれば、こんな目に遭うことはなかっただろう。

 

 親の言いつけにより職業科に行かされたと書いたが、それも回避する可能性は十二分にあった。俺が仮に、町一番の秀才だったら、両親はそんな指図を俺にしただろうか。中学校いや小学校の時点で、俺が頭角を現していたなら、俺にキチンとした正当な教育を与えたはずだ。俺は別段、優秀なところがない子供だった。せいぜい並の頭しかなかったから、そんな俺には職業科が相応しいと親は思ったに違いない。

 そのように親に思われた俺自身に過失があった。そう考えれば先生の言葉が今になって一際、身に沁みてくる。大人になってからそんなことで悔やむことがなぜ予想できなかったのだろうか。と言うよりも子供の頃の俺は、なぜもっと熱心に勉強しなかったのだろうか。なぜそれを好きになれなかったのか。向学心という点では、子供の頃よりも現在のほうが強いのだから我ながら奇妙なことだ。

 幼く若かった俺にとっては学校も勉強も、いや人生それ自体が退屈で忌まわしいものでしかなかった。どんなことに対しても、俺は消極的に臨んだ。何もかもがつまらなく、また色あせて見えた。その根本的な原因は俺が育った環境にあった。俺は寒村にある貧家の長男であり、それとして徹するためにあらゆる躾と教育が俺に施された。それらの全てが、俺にとっては有害だった。

 両親は俺に勉強しろと無理強いした。強制されれば、どんなことでも人間は嫌になるものだ。両親にとって俺が「ちゃんと育たない」ことだけは、絶対に避けなければならなかった。社会からパージされない、前科者にならない、家に迷惑をかけない、働ける、稼げる、結婚できる、子供を作れる、家庭を築ける人間に、俺を是が非でもしなければならなかった。

 だから極めて厳格に両親は俺を躾けた。数限りないことを俺に課し、また禁じた。それが裏目に出て、俺は勉強も生きること自体も嫌で嫌でたまらなかった。父や母が俺に提示したのは、プラクティカルな道徳や「手に職」をつけるための習い事だった。勉強しろというのは、学問を修めろという意味ではなく、飽くまで少しでも多く稼げる人間になれ、という意味合いしかなかった。

 それが面白くないのは無理からぬ事だろう。実学というのは結局のところ近視眼的で貧乏くさい代物でしかなかった。俺は子供の頃にそろばん塾をやらされており、そのことを身をもって知っている。ソロバンを習えば机仕事に子供が就けると考えるほど、俺の母や世間に対する認識が遅れていた。そんな環境下にあって、勉学に励むなど絵空事に等しかった。また、俺を職業科の高校に行かせたのも、両親の実学志向の結果であった。

 大学でもそれは同じで、俺が通っていた学校は実質ただの就職予備校だった。底辺大学というのはどこもそうだろうが、大学の4年間は全て就職という目標のためにある、という前提が根本にある。大学という場所においても就活の成功という実利が何よりも重んじられる。それは当然のことだと世間においてはなっているが、俺はそんなお題目を掲げて何をやったところでそんなものは糞面白くもなく、それを通して何かが身につくものでもないと思う。

ただ狂え

 大学が終わってから、俺には遅ればせながら向学心が芽生えた。俺は図書館通いを始め、読書をする習慣が身に付いた。これは大学時代にはどうしてもできなかったことである。時間など当時は有り余っていたが、どうしても当時の俺にはできなかった。なぜできなかったかと言えば、面白くなかったからだ。此の世の一切が、学生時代の俺にとっては全くつまらなく思えた。

 それは実利を何よりも尊ぶ思想が根底にあったからだろう。社会から認められる、金になるような事柄だけが正しく、それだけを求め、それに適わないものは無意味で無価値だと考えるような考え方で生きたところで、一体なんになるというのか。単に俺という個体にそのような考え方が性に合っていなかったというのもあるだろうが、それ以上に実利という言葉のつまらなさやくだらなさというは、あるのではないだろうか。

 学生でなくなってから色々と勉強したいことが見つかるようになってきたのは皮肉な話である。学生時代に何もしなかったくせに、時間がないだの何だと嘆きながらアレヤコレヤ調べたり習ったりするようになった。思い返せば、それらの全ては一円にもならないようなことばかりだ。実利とは間逆なことをやっているわけだが、そんなことの一切が、いまの俺には望ましく、面白いと思える。

 そろばん塾や職業科の高校、簿記や運動のレクリエーション等を学生のうちはウンザリするほどやらされた。それらは俺に何一つもたらしはしなかった。将来の就職や収入に結びつくとされていた全ては、俺にとっては面白いとは思えなかった。それらのどれもが情熱や熱意を注ぐに値しなかった。世間的な体面や金銭的な利得が得られる、というだけでは人間の心は動かず、また躍ることは決してない。

 先生は10年遅いと言ったが、俺は遅くても別にいいと思う。確かに今さら高校や大学に入り直すことは出来ないし、人生を謳歌することも温かい家庭を築くことも、俺にはもう出来ない。しかし、それでも人生の価値がそれら及びそれらを得るための過程にあるのではないということを俺は知った。機を逸した大人の手習いほど金と時間の無駄はないだろうが、それは将来を見越した若い時分の実学よりも面白くはある。

 そしてその方が俺自身にとっては価値がある。世間や他人の目から見ればそれは単なる愚かな行いでしかなかったとしても、他ならぬ俺が自らそれをしたいと欲しているのだ。そろばん塾や職業科の高校、就職予備校でしかなった大学よりも、いまの俺が仕事の合間にする読書の方が、ずっと値打ちがある、少なくとも俺にとっては。それは10年遅かったからこそ、遅ればせながら気づいたことだ。

 例の先生の発言も、かれこれ四捨五入すれば10年ほど前の出来事だ。当時の俺は逆にその言葉は10年早かったと言えなくもない。何かを学ぶということ、ひいては何かに時間や労力を割くということには、情熱が無ければならない。どれほど金銭的に有意義で、社会的に立派なことだったとしても、嫌々やるのでは何の価値もない。そのことを今、俺は遅ればせながら身をもって感じている。