壺中有天

弁ぜんと欲し 已に言を忘る

呷りながら書いたら

 久々に酒を飲みながら、文章を書いてみることにした。文章を書く時は、基本的にシラフなのだが、アルコールが体に入った状態でそれをやったら、どんな風になるだろうかと思い、実験してみたくなったというのもある。酒を呷りながら、支離滅裂な内容の文章を作ってはならないという決まりはないのだから、せいぜい失敗すればいいのだ。

 

酒の力を借りて綴ると

 いつだったか、もう家の中では二度と飲まないと書いたような気がする。しかし結局、週末になれば気が緩んでしまい、足は自然と酒屋に向かう。自宅が在る麹町から半蔵門に在る酒屋まで、麹町大通りを直線距離にして僅か1キロメートル。そこには自転車を漕げばせいぜい5分ほどだ。そこでエビスビールをロング缶で6本、加えて適当なツマミに金を払い、それらを携えながらもと来た道を引き返す。

 そして一献、晴れて傾けることになるというわけだ。目当てのツマミを替えなかったことが心残りではあるが。家の中で晩酌をするなら、やはりエビスビールに限る。色々な酒を飲んできたが、自分にはエビスでなければならないようだ。付け加えるなら、ワインやウィスキーなどよりもビールが好みで、それの内で国産のものなら断然エビスビールが最も良いと信じている。

 アルコール依存の生活から脱してから、既に久しい。基本的に平日はシラフで過ごすようにしているが、2日以上仕事がなかったりすると、どうしても「楽しみたい」という思いが惹起してくる。酒を飲まずに働いたり本を読んだり学校に通ったりするような生活に、楽しみはありや。実のところ、俺は極めて怠け者である。真面目くさって生きるよう無理強いされて育ったから、その反動かもしれない。

 とは言うものの、俺を育てた両親は父も母もよく酒を飲んだけれども。子供の頃の俺にとって、大人とは酒を飲む人間だった。今にして思えば、それはとても奇妙なことだった。俺は津軽地方の寒村に産まれ落ち、その地で営々と暮らす両親に育てられた。親戚縁者なども当然、土着の人間どもであり、その土地柄は基本的に大人と言えば酒飲みを指すと言っても、決して過言ではなかった。

 子供の頃は、親戚の集まりなどで泥酔する大人が大嫌いだった。俺は酔いながらもそのことを思い起こし、何だかとても奇妙な気持ちがする。小学生くらいの頃は、酒を飲むという行為それ自体が信じがたかった。保健体育の授業名などでは、アルコールを呷った人間の脳が萎縮していることを表す画像などを見せられたものだ。それを見て子供だった俺は、絶対に酒など飲まないと心に決めていたし、また飲む者どもを同しようもない愚かな人種だと思っていた。

 そんな俺が、成人してからは酒が手放せなかったのだから、とんだお笑い草である。幼いころは、心の底から馬鹿にしていたの、それそのものに自分自身がなっているのだから。俺はとどのつまり、子供の頃から大嫌いで、見下していた酒飲みに、大人になってから浅ましくも、結局はまさしくそうなってしまっていたのだから。これが、喜劇でなくてなんだろう。

 死ぬまで、酒など飲むかと思った、本気だ。だらしなく、野卑で頑迷、更に言えば救いようがない連中と、同じようには決してなるまいと子供の頃は心に決めていたのに。世の中というのはシラフで渡っていけるほど気軽な場所ではないといったところだろうか。生きていても楽しくも面白くもなく、それどころか辛く苦しいだけの火宅にすぎない。そのありのままを知り、それに目を背けずに向き合えば、とどのつまり人は呑まずにはいられないのかもしれない。

なにせうぞ、くすんで

 酒気を帯びながら出勤すると白い目で見られるのが、解せない。俺が俺の時間に俺の家で酒を呑むことを、一体誰がどんな権限があって、責めたり禁じたりできるというのだろうか。仕事に差し支えるだのニオイがどうのだの言われたところで、馬耳東風。俺にとって仕事というのはとてもシラフでは臨めない行為だった。実際、底辺層がやらされる仕事など、酒を飲みながらやっても差し支えない作業でしかない。

 昔の俺なら、腹の底からそう思っただろう。在りし日の俺にとっては、酒のない生活など想像もできなかった。休みの日はもちろんのこと、仕事がある日でも出勤する直前まで酒を舐めていたものだ。それを改めるよう物言いを付けてくる者どもは数多くいたが、誰の忠告や命令にも、俺は耳を傾けることはなかった。表向きは申し訳無さそうな、反省しているかのような態度や言動を見せたとしても。

 酒を飲んでいる間は何かを考えることもなく、何も思い出さずに済んだ。俺にとって、人生とは省みる価値もない代物でしかなかったから、俺はただひたすら酒に縋って生きてきた。過去や現在から解かれるために、俺は酒を飲み続けた。また、明日や未来のことを考えることからも、アルコールを飲むことにより逃れることができた。己の精神を救うための妙薬として、俺は酒を何よりも愛した。

 愛、という言葉で書き表すのは、もしかしたら間違いかもしれない。飲酒の習慣が途絶えた今にして思えば、俺は実のところそれほど酒がすきではなかったのではないか、という気もするのだ。アルコールの酩酊を心の支えにして生きていたのは、単にそうしなければならなかったからだ。社会や己自身から目をそらすためには、酒の力に頼るしかなく、それは仕方なくやっていただけだという側面もあった。

 人並みに二日酔いもするし、酒浸りになり人生を浪費することへの虚しさもあった。それでも俺には、やはり酒を欠くことができなかった。俺にとって生きることはそれだけ辛く、苦しく、更に言えば寂しく耐え難かった。酒をやめろと多くの他人から言われたが、それらの者どもの存在が俺をひときわ追い詰めて、結局は余計に酒量を増やす結果となった。

 振り返って懐かしむ思い出も、胸躍るような夢や輝かしい将来も、俺には何もありはしなかった。俺にあるのは苦々しい過去と恥ずべき経歴、そして目下の苦しく割に合わない労働と、暗澹たる悲観すべき未来だけ。そして、それらを直視したところで、なんら解決の糸口もなくそれらから解放される可能性もなかった。一体どうして、酒を飲まずに生活を営めるというのだろうか。

 何をしても無駄に思えたし、此の世の全てがバカバカしかった。そして酒を呑むことだけがはかばかしく進み、俺の脳と内臓はひたすら汚され傷んでいくばかりなのであった。手足は震え、言葉は出ず、気もそぞろでアルコールが切れると常に俺は、此の世の全てにただ、おののくのであった。医者に酒を止められても、それすらも俺は意に介さず、あらゆる全てから逃れるべく毎晩、気絶するまで酒を呷り続けた。

 

 そんな生活にも遂に終わりが訪れた。酒を満たしたコップを口に近づけると、胸が使えるような感覚を覚えるようになり、自律神経が狂い不安と焦燥感で居ても立ってもいられなくなった。酒を飲もうとしても身体が受け付けなくなった。俺は、とうとう来たかと思った。しかし、苦しみだけが延々と続き、死ぬこともなくそれに苛まれ続けることが、どれほどのものか、俺は想像できなかった。

 酒害で体を壊したら、潔く死のうなどと俺は愚かにも考えていた。酒が体に悪いだの脳が萎縮するだのといったことは、子供の頃から重々承知の上だった。度数の高い酒を一日に大量に飲み続ければ、最終的に内臓や脳に限界が来るということも予想はしていたが、その時にどんな思いをするか、俺には想像力が足りなかったようだ。それは、酒飲み全般に言えることかもしれないが。

 酒で体を壊すまではいいが、それを引っさげて生きていかなければならないのは問題である。悪くなった肝臓や脳によって世の中を渡っていかなければならないということが、どんなことか俺は知らなかった。好き勝手に飲み食いをして、後腐れなく綺麗にしぬことなど、通常はできない。不摂生や不養生の代償はあまりにも高くつき、それは筆舌に尽くしがたい苦しみを伴った。

 見苦しく、オメオメと病身で生きることは耐え難く思えた。手が震えて文字も書けず、脳が疲れているにも関わらず一睡もできず、不安や焦燥に駆られ横になり目を閉じることもできず、まさしく八方塞がりであった。俺は途方に暮れ、ただ絶望に打ちひしがれるしかなかった。相談できる相手も頼れる誰かもおらず、俺は一人で延々と苦しんで日常生活を継続させるしかなかった。

 医者にかかったり薬を買ったりする金もなかった。仕事を休むことも辞めることもできず、俺は死ぬより辛い思いをしながら離脱症状に苦しみながら働いた。2週間ほど経ち、ようやく眠れるようになり、俺は睡眠を取れる喜びと有り難さを身をもって知ったのであった。その後は日常的に飲酒をする習慣も途絶え、一日一日をシラフで乗り切れるようになった。

 酒浸りだった頃を振り返れば、俺はアルコールが好きではなかった。毎日ただ救急として、縋るような思いで酒を飲んでいた。飲酒を楽しいと思ったことが、俺の生涯において、たった一度でもあっただろうかと俺は自問してみる。高級な旨い酒を飲んでいる間は確かに喜びはあったが、いつもそれを飲めるわけではない。毎日酒を飲んでいた頃、俺は缶チューハイばかり飲んでいたのを思い出す。

 それは決して美味いものではなかった。それでも、当時の俺にとっては安く酔うことはどんなことよりも重要だった。悪酔いしようが次の日に響こうが、その頃の俺にとって、知ったことではなかった。俺は深刻に、真面目くさって酒浸りになっていた。今にして思えば、この上なく愚かしく感じられる。辛く苦しい人生をアルコールによってやり過ごそうと、必死だった。

一期は夢よ、ただ狂へ

 先に触れたように、俺は極めてマジメに酔っていた。真面目くさって、どんな局面にも臨む性分だったから、酒に対しても俺は極めてマジメだったと言える。楽しくも面白くもなく、必死になってアルコールを摂取するさまは、ハタから見ればさぞ愚かで浅ましかったろう。バカバカしくも哀れなものだ、我ながら。せっかくなら、せめて楽しんで飲めばよかったものを。

 俺はいつ、どんな場面においても、シリアスだった。安酒を飲み夜を過ごすことさえ、俺にとっては真剣な行動であったのだ。そんなことに、マジメになったところで、誰からも褒められず、また一円の得にもならないというのに。それが単に自分自身を害しただけだということには、既に述べた。それが有害で、また無益だったのが心残りなのではなく、それを真面目ぶり深刻に及んでいたを、俺は悔やんでいる。

 楽しく飲み食いすることを、いや人生全般において面白がって臨む姿勢を、身に付けなければならないと、最近は思うようになった。生きるということ、それ自体に一体どうして俺はマジメくさって一挙手一投足、及ばなければならないのだろう。結論から言えば、それは親や教師などからそのように躾けられ、仕込まれてきたからなのだが。それは人間というものが全く分かっていない、愚かな者どもの了見に過ぎなかった。

 飲むことが悪いのではなく、シリアスに飲むのが悪いのだ。シリアス! これこそが俺の人生を暗く辛い苦行にしていた正体であったのかもしれない。俺はどんな時においても行者のように生きていたと言っても、決して過言ではない。それは前述つの通り、躾と教育のタマモノであったのだが、俺はそんな姿勢や態度であらゆる事柄に取り組まなければならなかったがために、いつも不幸であった。

 マジメであれば、それだけで正しく、また善いのだという愚劣な思想はアルコールよりも俺にとって有害だった。真剣に深刻に、どんなことにも俺は臨んだ。飲み食いも仕事も、遊びさえも俺はマジメにやった。薄氷を踏むような思いで、ありとあらゆることを行った。それが正しく、そうするしかないのだと思いこんでいたが、それは正しくもなければ、適切でさえなかった。

 シリアスにやっているから自分は現実を見据えていて、ちゃんとしていて、更に言えば立派なのだと自惚れていた感さえある。マジメであるということと、愚鈍であることは、とても良く似ていると思う。俺の生き方は、まさしくそんなものであった。愚劣極まりないマジメな人間であったがために、俺は酒に溺れ人生を台無しにしたのだ。深刻に生きたからこその。

 適当に生きられるタイプだったら、アルコール依存症になど絶対にならなかったと言い切れる。俺は真剣に飲酒に耽ったからこそ、アルコールに溺れるハメになった。そしてそれは、俺にとって有益なことなど何一つ、もたらしはしなかった。それを振り返ればただただ、バカバカしくて仕方がない。そんな性分をどうにかしなければ、俺はまた酒に溺れる日々に逆戻りするかもしれない。酒に限らず、どんなことに対してもマジメぶるこの悪癖を。