壺中有天

弁ぜんと欲し 已に言を忘る

登校拒否の

 働きながら学校に行く面倒臭さを俺は身をもって知るハメになっている。それは肉体的にも精神的にも、何より時間的に相当に厳しいと実感させられる毎日だ。通っている学校それ自体は別段、それほど大したことはやっていないのだが、それでもフルタイムで働きながらとなると、生活全体が余裕がなくなり、窮屈に思えてならない。もっと早く始めていたら、こんな思いはしなくて済んだかもしれない。

 

この歳になって

 明日は文章教室に行かなければならないが、全く気が進まない。別に正規の大学などではないから、通おうが出ようが、経歴に箔が付くわけではない。入学するのに金を払った以外で別段、努力なりなんなりをしたわけでもない。ただ、払ってしまった金が惜しいがために俺は、惰性でその学校に通い続けている。別に誰かに無理強いされたのではないのだから、これは完全に自己責任だ。

 そんなところに通おうとしたのは他でもない、労働者としての自分の行く末に絶望していたからだ。俺はとある零細企業に雇われ、雀の涙ほどの薄給のために働かされている。それが嫌だからと、転職活動をしていた時期もあったが、結局それも上手くいかなかった。一生涯、不本意な仕事をして日銭を稼ぐ以外に最早、俺には選択肢などなくそれに「然り」と言えない俺はある日、ネットで例の学校の広告を見つけてしまった。

 もっと若かったなら、そんなものに興味は持たなかったろう。その学校に入ってどうにか、と考えなければならない俺は、我ながらつくづく行き詰っている。作家が目指せるだのエッセイや小説が書けるようになる、シナリオさえ云々かんぬん。その手の荒唐無稽な夢物語に縋りでもしなければ、俺の人生はとてもではないがやりおおせはしない、バカげていても。

 通っていて幾度となく死に金だと思わされる。カルチャースクールに毛が生えた程度の講義や課題の添削のために、ほんのただそのためだけに俺は、30万弱も学校を運営している組織にくれてやったのだ。仕事や将来のことで悩んでいた時に、血迷ってしまったがためにそんな愚行に及んでしまったのだ。それと諌めたり止めたりしてくれる人間が、俺の身近には誰一人としていなかったのが悔やまれる。

 しかし払ってしまった以上、どうにか元を取らなければならない。別に作家だのシナリオライターだのになれるだの何だのといった文句を本気で信じていたわけではない。悪辣な世間の連中に虐使されるだけの人生に、わずかでも変化なり進展なりがあればいいと思っていた。そのために俺は30万円も投じたわけだが、今にして思えばナント愚かなことだったろうか。

 学校は土曜日だが正直、行くのさえ気が乗らない。なんと、今頃になって、この歳になって俺は、登校拒否になってしまったのだ。学校に行きたくないなどと、年甲斐もなく思っている自分の心が信じられない。一体いくつになったと思っているのかと、家の中で自問自答してしまう。そうしているうちに、どんどん時間は流れていき、学校へ向かう仕度をしなければならなくなっていく。

 本来なら、土日は丸々休みなのだから金曜の夜など樽酒を飲んで伸び伸び過ごしたい。だが、そんな願いも文章学校のせいで叶わない。深酒をしたせいで体調が悪くなれば講義などに差し支える。言うまでもなく一回一回の講義は有料であり、それも1000円や2000円では済まない。そのことを思えば、二日酔いの状態で土曜日を迎えるわけにはいかず、せっかくの金曜の夜を俺は、シラフで過ごさなければならない。

学成りがたし

 単に学校に通うだけではなく、課題の提出や公募への投稿などを行うために、結構な分量の文章を拵えなければならない。それをこなしていくためにも、俺は猶のこと酒を呷るわけにはいかない。学校だけではなく、平日はフルタイムで会社勤めをしている身でもあるため、学校と仕事を両立するには、酒浸りになっている暇などない。そんな生活が延々と続くものだから、酒への恋しさが日ごと募っていくばかり。

 学校に行く前は、職場に拘束されていない時間中いくら呑んでも差し支えなかった。仕事には差し支えたかもしれないが、それにより何かが無駄になっているとは思わなかったし感じなかった。学校に払った金をドブに捨てたことにしないためにと、今はかつてとは正反対の生活をしなければならなくなった。日曜日は月曜の仕事に臨まなければならないが、土曜や金曜も飲めないとなると、かなりの不満が募る。

 学校に通わなければ、俺は昔と同じように酒に溺れるだろう。もしかしたらその方が俺にはあっているのではないかと、最近は思うようになった。学校に通ったり文章を作ったりするのは単なる惰性に過ぎず、そもそも俺は書くことそれ自体が別に好きでもなければ興味もないのではないかという気が、近ごろするようになった。要するに学校が面白くも、楽しくもない。

 30万ドブに捨てた結果に終わるなら、それならそれでもいいではないか。胸中にそのような念が生じるようになってきた。無駄だったなら、そう認めてしまえば色々と楽になるだろうと。学校に通うのと平行して、図書館に通ったり無理やり読書をする時間を設けたりもするが、それもまた心身への負担となっている感は否めない。なにより、先に触れたようにそれを楽しんでいない自分がいる。

 俺が今小学生か何かだったら、そこまでではなくとも、もう少し若かったなら、まだ見込みはあったかもしれない。成人してからこっち酒浸りで何年も暮らしてきた人間が突然、発起して何かを始めたところで、人生が一変するようなことは有り得ない。生き直すには、立ち直るにはもう俺はあまりにも歳をとりすぎた。大学時代でさえ、教鞭を執っていた講師に手遅れだと嘲られたことさえあるのだ。

 そんな俺が、今更なにをしようというのか、何ができるというのか。俺はただ、下層階級の底辺に属する労働から逃れたい一心で、小説だのエッセイだの、シナリオだの何だのといったことを習おうとしただけだ。今にして思えば、やはりそれは悪手以外の何物でもなかった。それらについて学ばなければならず、そのために何かをしたり何処かへ行かなければならない段になると、俺には気が重いだけ。

 学校に学費を払ったことを正当化するために、俺はブログをやる習慣さえ自らに課した。それもまたかなりの負担になっている。生活の中の、相当な時間や労力を現在の俺はブログの更新に割いている始末だ。それもまた楽しくなく、それにより目覚ましい何らかの効用が見られたということもない。これももっと若い内に始めていれば、何かの足しにはなったかもしれない。

 

 自分にも若く幼い時分があったなど、今の俺には信じがたい。光陰矢のごとしと言う言葉が、昔は理解できなかったが、今となっていは身に沁みる。時分よりも若い人間を見るだけで、この頃は気が滅入るようになってしまった。この俺よりも未来があり、まだまだ人生これからの、仮にしくじったとしても申告になる必要もなく、巻き返しも取り返しも、いくらでも利くような、そんな連中。

 かつては俺もそうだった。そうだったはずであったが、そんな時期を完全に無駄にしてしまった。在りし日、俺は地球上で最も若い世代だった。なんでもでき、なんにでもなれた、気がした。実のところそんなことはなかったのだが、そんな幻想に浸れた時代がこんな俺にも僅かな間ではあるが、あった。未来だの将来だのといった単語が、肯定的で明るいニュアンスを持ち得た時期が。

 中学高校大学と、歳を重ねれば重ねるほど、俺にとって未来という言葉は暗く残酷な感を帯びてくるようになっていった。思い返せば年を追うごとに、将来の選択肢が音を立てずに狭まっていった。新しいことを学ぶ機会が年々なくなっていき、俺は取るに足らない、物を知らず先のない人間になっていくばかりであった。今頃になって俺は、日ごと悔み焦るようになってきたが、やはり人生の機を逸してしまっている。

 文章教室など学校のような何かでしかないが、そんなものに縋ろうとしたのは前述のような感情からくる焦りからだったのかもしれない。小学生くらいの頃は、仮病を使ってよく学校を休んだものだ。今風に言えば登校拒否児だったのだが、そんな俺が大人になってから自らの意志で金を払って学校に通っているのだから不思議なものだ。そしてその学校にも行くのが億劫だということも。

 柄にもなく学校に通おうと思ったことがそもそもの間違いだった。勉強を始めるなら、もう20年ほど早く取り組むべきだった。それを今頃になって、年寄りの手習いとばかりに、たかが文章と言えども始めようなどと考えたのは、単に血迷っただけの愚劣きわまりない選択だったと言えるだろう。課題をやったり自力で書籍を繙くのはおろか、講義に出席することさえ、やる気がしない。

 俺のような人間には本来、学校だの本だのなどといったものとは縁がないのだ。せいぜい卑しい仕事に身をやつし、稼いだ金は生活費と酒代にすべて費やし、無意味に馬齢を重ねて老け込んで、誰にも看取られずに惨めに死んでいくのがせいぜいなのだろう。そんな未来が仄見えてきて、それに恐れをなしたから、分不相応の何かを求め、わけの分からない連中に金を毟られるなど。

 楽しくないのが全てだ。講義に出席し、課題や公募のために文章を作るといった一切が、俺にとっては面白くはなかった。何をしても気が乗らず、楽しいと思えない。ただひたすら、金と時間がある限り、安酒を呷り続けるのが、お似合いなのかもしれない、俺には。一人きりで身を立て、酒に溺れるために必要な金を稼ぐための、キツくて割に合わないだけの仕事だけやっていれば、俺にはそれで十分なのかもしれない。

犬に論語

 物書きの心得だの、シナリオの書式だのといったことを学校で習うが、それが何になるのか。そんなものは所詮、俺には何の意味も価値もない。俺にとって必要なのは、理不尽な労働環境に耐えるための頑健な肉体と実直というか愚鈍な精神だけだった。俺が躾だの教育だので、子供の頃から施され続けたのは、ひとえにただそれだけだったと言っていい。

 そしてそれは、俺にとって必要なことだった。俺の人生には、俺に与えられた人生には、身に付けなければならなかったのは、せいぜい読み書き算盤ぐらいのものだった。両親は俺の教育に決して無関心ではなかった。今挙げたものすべてを俺は父と母から与えられた。社会は俺に教育さえ与えた。労働者として他人に使役されるために必要な精神性と能力を、俺に授けた。

 俺の人生は他人利用されるためだけにあった。現に俺は、其のようにして生きてきたし、これから先もそうするしかない。酒というのは俺にとって、そんな苦しく、また惨めなだけの人生を耐えきるために必要な、薬のようなものであったと言えるのかも知れない。俺は学がなかった。マトモな学校に通うこともできなかった。そんな俺が、文章教室だなど、我ながらお笑い草だ。

 俺に必要なのは一杯の安酒がもたらす酩酊だけだった。文化や芸術、学問めいた代物など、俺に与えられた生においては、それら全てが無用の長物でしかなかった。それを俺は、例の学校で改めて思い知ることになった。文章教室で俺の前に提示される一切が、俺には全く無縁の、どうでもいいものに思われてならない。第一、今から勉強して何かの賞に応募して、ものになったとして俺は一体いくつになる?

 何も考えずに死ぬまで酒を飲み続けている方が、俺にはお似合いなのだ。俺にとってはもう何もかもが遅すぎる。目の前の仕事、いま雇われている会社だけを見て、それだけを此の世の全てだと思って暮らす方が賢明だといえるだろう。それとはまるで異なる世界を夢見たのは、我ながらバカだったのだ。犬に論語という言葉が、そのまま己に当てはまるように思えてならない。

 新しく何かをすること、ひたむきに何かを学び続けるのは、歳を取れば取るほど難しく、辛く、苦しく感じられる。今からでも学校を辞められて、払った金が全て戻ってくるなら、と夢想する。実際に辞めるとなれば、残りの講義の分の授業料を返還はしてもらえる。しかし、今年の春から受けた講義の分は、言うまでもなく戻ってこない。退学して金を返してもらったとして、大した額にはならない。

 通っていても最早なんにもならないと、分かっていても俺は、意地を張るしかない。次の日の学校にも、這ってでも出席しなければならない。それが無駄で何の足しにもならないと理屈では分かっていても、俺はそれを投げ出す訳にはいかない。何の望みも可能性もなかったとしても、それを逃げる理由にはしたくない。それをしたら俺は酒と労働以外に何もない人生を送ることになるだけなのだから。つまらない講義であったとしても、どうしても出席し続けなければならない。