壺中有天

弁ぜんと欲し 已に言を忘る

歳寒くして

 最近めっきり寒くなった。雨が降っており日が差さないこともあり、顔をしかめなければならないほど気候がよろしくない。普通の人間ならエアコンで家の中を暖かくして快適に過ごすところだが、俺にはそれさえ容易ではない。東京の気候が厳しくなればなるほど、俺は自らが置かれている状況の苦しさや惨めさを自覚せずには居られない。これで怠けもせずに汲々と生きているのだから、猶のこと度し難い我が身。

 

素寒貧

 10月も折り返しになり、めっきり寒くなってしまった。俺には季節というものがよく分からず、夏服から冬服に衣替えするタイミングが判然としない。今週のはじめに長袖で出勤したら、職場の従業員に暑くないのかなどと聞かれたくらいだ。その日は確かに暑かったが、10月だから長袖でも問題ないだろうと踏んで会社に行ったら、その判断が世間一般の通年とズレていたのだから釈然としない。

 同じ週にこれほどまでに気温が変わるものだろうか。天気が悪いせいでこの週末は週明けと比べ打って変わって寒々しい。文章学校に行く時に俺は裸足にサンダルといった出で立ちなのだが、他の受講生にそれが季節外れだと指摘された。会社では暑くないのかと問われ、学校では寒くないのかと言われる。言われていることに納得がいかないというわけではないが、どうにも適応できない。

 俺だって、暑さ寒さが分からない特異体質というわけではない。週明けは暑く感じ、週末は身震いするほど寒く感じる。感じるが、それに則った格好をすることが、俺にはどうしてもできない。不器用というか場違いというか、そのような醜態を晒さざるをえないのが自分でももどかしく思える。もっとも、土曜の学校は別に、気合を入れた格好をする必要がないから多少寒くてもサンダルでもいいと思ったまでなのだが。

 それでも日中はまだ我慢できたが、夜になるとより気温が下がり、俺は遂にエアコンの電源を入れた。俺にとって、冷暖房は相当な贅沢であるため、可能な限りそれには頼らずに生活している。今年の夏は一切エアコンの電源を入れずに乗り切ったほどだ。暖房は流石に使わないわけにはいかないが、それでも真冬になるまでは耐えるつもりでいた。それが早々にこの10月で頓挫してしまった。

 エアコンの設定温度は22℃にしてある。最大なら30℃まで設定できるのだが、電気代のことを考えるとそんな暴挙には出られない。暖房で22℃にしたところで、申し訳程度の効果にしかならない。人間という生き物は、暑さは我慢できても寒さには耐えられないようにできている。俺にとって冬は電気代のことが気になって気になって仕方がない季節で、実際それは相当痛い出費となる。

 住んでいるマンションからしても、どうも立て付けが悪いように思えてならない。エアコンを付けていても、なかなか部屋が温まらない。そのため、家にいる間中エアコンを付けなければとても生活できないような有り様なのだが、そうしているうちにも電気代がどんどん嵩んでいき、俺は気が気でない。冬場の電気代は相当な額となり、俺は毎年毎年それに悩まされずにはいられない。

 暖房くらい、目一杯使いたいものだ。だが経済的な事情がどうしてもそれを許さないのだ。食費もそうだが、電気代やガス代についても日々俺は神経を尖らせなければならない。要するに俺は金銭的にかなり困窮しており、そのために不便を被るハメになっている。生活に余裕があれば、電気代やガス代のことで悩むこともないだろうし、毎日好きなだけ飲み食いできるだろうに。

夏暑く冬寒い家

 既に書いたが、そもそも住んでいる物件からして悪い。明らかに壁が薄く、エアコンを付け続けても全く暖かくならない。温風をどれだけ流し続けても、手がかじかむほどに室内が寒いままなのだからたまらない。加えて、エアコンの送風がどういう理由なのかは知らないが、頻繁に止まってしまう。業者を呼んで調べてもらったが原因は分からなかった。

 わからなかったというよりも、もともとそういう製品だと言われた。省エネ設定になっているのだか何だか知らないが、気前よく送風するようにはできていないらしい。フィルターの掃除などをしても、一向に改善されない。そのため俺は毎年毎年、冬になると大変不便で、辛い思いをさせられることになる。引っ越しをしようと思っても、それもまた金銭的な問題が絡んでくる。

 寒いと何もする気にならない。勉強する気にもならないし、文章を書く気にもなれない。ただ布団にくるまって惰眠を貪る以外のことは、できなくなってしまう。やらなければならないことは山ほどあるにもかかわらず、俺にはこのクソ寒い部屋では何も手につかない。貴重な余暇の時間も、冬場においてはただただ寒々しい空気に耐え忍ぶだけの時間でしかない。

 俺は雪国で生まれ育ったがそれでも、いやだからこそ寒いところが嫌で嫌で仕方がない。東京も俺にとっては寒すぎるのかもしれない。可能なら、冬でも寒くならないような所に移住したいとさえ思うほどだ。子供の頃に父親が、テレビで「人生の楽園」という番組を見ていて、それに出ていた沖縄かどこかに移住した老夫婦を羨ましがっていたのを俺は、唐突に思い出す。

 寒さと縁を切ることは雪国の人間にとっては夢と言っていい。東京も寒いが、俺の地元における気候は筆舌に尽くし難いほど酷いものだった。それに比べれば、東京の寒さなど俺にからしてみれば全然ヌルいと言えなくもない。と言ってもやはり俺も、通常の人間と同じ感覚機関の持ち主であるため、寒いものは寒い。まだ10月の中旬でしかなく、これからが本番だと思うと気が遠くなる思いだ。

 先にも触れたが、寒いと何もする気にならないのが最も問題である。貴重な時間を寝て過ごすだけになってしまうのだから、俺としてはそれの方が暖房費よりも耐え難いのだ。寒さに限ったことではないが、人間というものは精神よりも肉体のほうが先行するのだと、俺はつくづく実感させられる。心がけや気合、精神論ではどうにもならないことはいくらでもある。人間は寒さには耐えられない。

 一々書くまでもないことだが、改めてそのことを思い知らされる。気持ちだけで乗り切れるほど、人間は簡単ではない。飢えや寒さを前にして、人生の厳しさが身に沁みる。だがそれは、長い歴史の中で幾度となく語られてきたことでもある。俺の脳裏に、様々な言葉が浮かんでは消えていく。恒産なくして恒心なし。貧すれば鈍する。衣食足りて礼節を知る。エトセトラエトセトラ……。

 しかしそれらは結局、貧しさがもたらす弊害を言い換えているに過ぎない。人生における問題の9割は金銭が解決してくれるだろう。少なくとも経済的に俺が恵まれていれば、冬が寒いから嫌だのなんだのと言い立てることもなく、こんなブログを書くこともなかったろう。エアコンが効いた壁の分厚いマンションでぬくぬくと暮らしながら、休日を快適に過ごせたに違いない。

 

 金さえあれば、もっといいマンションに住めただろう。俺がこれを書いているマンションは家賃が街における相場の約半分ほどの建物である。そんな物件ならば、ありとあらゆる不都合が生じるが、それらのすべてに対して俺は我慢しなければならない。冬の寒さはその最たるもので、これから俺は春がくるまでそれに忍耐を強いられることになるのである。

 俺が住んでいる街は都心でもかなり高級な部類にはいる。本来ならオレのような身分の人間が立ち入ることもないようなエリアだ。そんな街に居つく以上は、それ相応のコストを支払わなければならない、本来は。しかし俺は貧しく、相場並みの賃貸に住めはしない。目下、俺が被っている寒さはとどのつまり貧しさによるものであり、手っ取り早くそれを打開するには金を手に入れればいいだけだ。

 そんなことは言うは易し行うは難しだ。社会生活において、金をどのようにして増やすか、恥ずかしいことに俺は知らない。机上の空論レベルのことなら幾らかは知ってはいるが、それを実践するための手など、俺には何一つとしてありはしなかった。少なくとも、普通に働いて給料を得るという形では、とてもではないが現在の実入りを増やすことは能わない。

 飢えや寒さから遠ざかる術など現状、俺には何一つとして存在しない。最底辺の社会生活をギリギリ維持する程度の収入しかない。これでも一応、精一杯生きているであって、決して怠けているわけではない。月曜日からはフルタイムで働かなければならないのだ。正規雇用者として真っ当な会社に属し、朝から晩まで職場に拘束され、労働力を他人に提供しているのだ。

 その対価としてこの暮らしがあるのだから、我ながら情けないやら悲しいやらだ。人生の大半の時間、それも老後の死にかけで暮らすような時間ではなく、若く鋭敏な肉体でもって過ごすそれを、何の恩も繋がりもない他人のためにハシタ金と引き換えにしてくれてやっているのだから、なんというカモだろう。時間というのは金と交換できるほど安くはない、本当ならば。

 それが分からない、理解できない人間など此の世にはいまい。それでも下層階級の底辺に属している人間は、その理解や認識を誤魔化しつつ、生活のために仕方なくそれを暮らしを維持するための金欲しさに他人に明け渡しているのだ。改めて考えてみると、それだけで涙なくして語れない話ではないか。それについてあれこれ考えだしたら、とてもではないが労働などできはしないだろう。

 惨めで悔しくて、何よりも自分自身が情けない。若い内の赤貧は絵になるし笑い話にも、ともすれば美談にさえなり得る。しかし、歳をとってからの貧乏はただただ見苦しく、また醜悪だ。どのような言葉をもってしても、それを正当化することはできない、少なくとも俺の場合は。それを正しいだとか間違っていないだとか、仕方がないなどと言って憚らないのだとしたら心底、恥ずかしいと思う。

30℃の夢

 せめてエアコンを30℃に設定できれば、冬は寒くて何もできないなどと泣き言をこぼすこともなくなる。それができるようにどうにかしてならなければならない。寒いだとか貧しいだとかいうのも問題だが、それ以上に深刻なのは俺の肉体的な年齢である。仮にもし今の俺が18歳くらいだったら、貧乏暮しも前述した通りまだ笑い話にもなるだろう。まだ若いのだからと。

 俺の現在の年齢で言うと、金が無いなどとボヤくことそれ自体が既に救いようもないほどの、赤っ恥以外の何物でもない。俺にとって一日一日を生きていくのは、それだけで恥の上塗りそのものだ。食いたいものも食えず、飲みたいものも飲めず、また家の中で暖房にも事欠くような有り様なのだから。加えて、一日中働いているにもかかわらず、そんな苦境に陥っているのだから尚更だ。

 俺はどんな存在なのだろうか。僅かばかりの金で惨めな暮らしを営むために、人生の貴重な時間を他人に差し出している俺は。使役されることそれ自体が悪いだとか気に入らないだとかと言いたいのではない。提供した労働力に見合った正当な賃金が支払われ、人並み程度の生活を営めているなら、俺は他人に使われることに過剰な敏感さを表しはしないだろう。

 現実においてはそうではない。俺が正当な条件で労働に従事したことなど、これまで生きてきて一度もなかった。15歳で働きに出されてから俺は、いろいろな職を転々としてきた。それはアルバイトから派遣、契約社員、正社員など様々な雇用形態であったが、そのどれもが俺には屈辱だった。働かなければならないこと、他人に利用されること、労働力つまり時間を赤の他人に毟り取られることが。

 掛け替えのない時間を引き換えにして辛うじて寒さを堪える生活だけが与えられているという現状。この惨めさをどう言い表せば良いのだろうか。それに甘んじ、耐えなければならない自分自身をどのように考えるべきか。それを避けがたいこととして折り合いをつける術を、俺はついぞ持たなかった。持たなかったからこそ俺は酒に溺れて現実から目を背けるしかなかった。

 貧しくても寒くても、酒に酔い潰れて眠ってしまえば何も感じない。そう考えれば酩酊とは下層階級にとって救いだと言える。マトモな頭で普通に考えれば、どうやって自分自身が置かれている状況に納得できるだろうか。卑しい労働に身をやつしながら、シラフで生活ができるような者が、もしいるとしたらそれは、単に何も考えられない類いの人間でしかないだろう。

 図太い神経を持つことが良いことだとは思わない。正常であり、かつ貧しく救いも望みもないならば、酒を飲まなければならない。そして酒を飲めないならば、気が狂うしかないだろう。俺は故あって酒を呑むことができないから毎日、シラフで惨めさに耐えながら、雌伏の人生を送らなければならない。せめて、エアコンの暖房の温度設定を限界まで高くできれば、大分マシになるのだが。